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天使の楽園・悪魔の詩 11

11、

「この絵はね、おばあさまがこのスタンリー家へ嫁がれた時に、肌身離さずに運ばれたものよ」

 母は目を細めながらその絵を眺め、懐かしそうに話し始める。


「おばあさまはサマシティから随分離れた小さな街の子爵の娘だったの。スタンリー家に嫁がれた時は15歳。勿論政略結婚だったわ。おばあさま…ティナは男の人なんかまるで知らない淑女だったのよ。恋物語に憧れを抱いた夢見る乙女ね。だから、結婚相手はずっとこの絵の中のアスタロトのような人と思い描いていたの。少女趣味でしょ?現実には…二十も離れたおじいさまの妻にならなければならなかった。無理矢理よ。誰も慰めてもくれない。どんなにかひとりぼっちで心細かったでしょうね。初めての夜はずっと泣いていたとおっしゃってらしたわ。我が身の屈辱と夢を捨てなければならない事実が辛かったのね。

この絵はおばあさまが生まれた時からおばあさまの家に飾られていたそうよ。魔王アスタロトが一時の興に任せて、三日間だけ人間の娘と交わった。その時を過ごした姿を描いたと言い伝えられている絵がこの『レヴィ・アスタロト』。

…本当に今にも動き出しそうに瑞々しいし、比類の無い美しさね。それにとってもキュート。…ね、面差しがアーシュに似ているでしょ?」

 そう言われた本人は、黙ってその絵を見つめ続けている。

 母は話を続けた。


「おばあさまの一途な愛はこのアスタロトに一生涯注がれたの。現実がどんなに辛くても、この絵を見て、この方を想い続けていれば、希望が持てるっておっしゃっていた。おばあさまの夢見がちな少女趣味は現実逃避でもあるけれど、自立できない女がこの家の中で生きていくしかないのなら、夢を見続けるくらい許せるでしょ?」

「…おばあさまは綺麗な人だったよ。私にもよく神話や童話を話し聞かせてくれたけれど、この絵の事は全く聞かされていないな。姉上だけが特別だったのかね」

 エドワードは話を聞かされなかったことが心外だったらしい。むくれた顔で母を睨んでいる。

「女同士の秘密の話だったのよ。心から愛する人のことは、粗野な男の子には話せないわよ。侯爵様にも悪いでしょ?それに、あなた、口が軽いから、すぐ他人に話してしまいそうだもの」

「姉上は秘密主義ですからね」

 ふふと笑いあう二人の眼差しには特別な親密さが伺えた。

 エドワードと母の関係はまだ続いているのだろうか。それともそれを超越した絆があるのだろうか。

 俺には何もわからないし、それこそ、ふたりだけの秘密なのかも知れない。


「これを描いた人は、実際にこの人を見たのでしょうか?それと…アスタロトと交わった娘と言うのは、本当にいるの?」

 アーシュはふたりの関係などには全く興味がない様子で、絵を眺めたまま、質問した。

「両方とも実在すると言われているわ。その娘が書いたと言われる日記も残っているのよ」

「見たいな」

「残念だけどここには無いわね。話ではその娘は、王家へ嫁いだらしいのよ。貴人だったのね」

「…」

 アーシュは諦めきれない様子で、絵の傍からから離れそうもなかった。


「ホントアーシュにそっくりだよね。もしかしたらその娘さんはアスタロトと言われるこの絵の人との子供を宿してて、アーシュに繋がっているかもしれないよね」

 ルゥの言葉にドキリとした。

 ここにいる誰もが言いがたいことをサラリと言う気質が今は恨めしい。

 アーシュがどう思ったかと、俺は気が気ではない。

 だがアーシュは、ルゥの言葉に気に留める風でもなく「じゃあ、俺の『真の名』は、正真正銘の本物だね」と、笑った。

 …心からの笑いではないことだけはわかった。

 


 母はディナーも取らずに、屋敷から去った。

「たまたま寄っただけなのよ」 

 上質のシルクのコートをエドワードに羽織らせてもらう母を、ホールで見送る。

「では皆様、ごきげんよう」

「食事ぐらい一緒にしたかったのに。たまには母親の顔でクリスとの時間を持てよ」

「ディナーの約束は別にあるの。それに…クリストファーにはエドワード、あなたがいるじゃない。あなた、鏡で自分の顔をご覧になれば?父親の顔をしているわよ」

「それは、卑下している?それとも…」

「褒めているのよ。でも老けたエドワードは嫌いよ。いつでも私の一番の弟でいらしてね」

「わかってるよ、ナタリー」

 手の甲に口唇を押し付けたエドワードに、母は少しだけ切なそうな顔をした。


 屋敷での夕食は、休暇の最後とあって、豪華だったが、アーシュはあまり食も進まず、残しがちだった。

 夜、寝ようと自分の部屋へ行くと、パジャマ姿のアーシュひとりしか居ない。

「あれ?ルゥは?」

「ああ、セキレイならエドワードの部屋だ。最後の夜だからエドワードと寝るってさ」

「…え?エドワードと?」

「変な勘違いをするなよ。寝るだけだよ」

「…いいのか?」

「何がさ。ほら、俺達も寝るよ、ベル」

 先にベッドに横になったアーシュは毛布の端を持ち上げて、俺を誘った。

 俺は不可解なまま、アーシュの隣りに寝そべり、毛布を引き上げた。

 すぐにアーシュが身体をくっつかせ、手を絡ませる。彼はこういう甘え方をするのを好んだ。

 彼のくせっ毛の髪が、俺の頬を掠めた。

 同じシャンプーを使っているのに、アーシュからは淡い薄荷の香りがする。


「…いいのかよ」

 顔をずらして、アーシュの顔を見た。

「何が?」

「恋人だろ?エドワードに任せて心配じゃないの?」

「ベルの叔父さんだろ?君が疑ってどうする」

「だって…」

「俺は心配して無いよ。エドワードがセキレイに感じている好意は父性愛だよ。それがわかっているからセキレイも彼に甘えている」

「そうだといいけれど…」

「大丈夫だよ。エドワードは君を愛しているよ。父性愛ではなく、君を、愛してる。だから君を抱く」

「母親の代わりに?」

「それもあるだろうね。本当にベルのお母さんは綺麗だもの。エドワードはずっと見惚れっぱなしだったね」

「うん…」

「一生涯の愛を誓っているのかもしれないね。あのおばあさまのアスタロトへの愛みたいに」

「そうかもしれない…」

 エドワードの想いが尊く感じられた。

 エドワードの優しさに母は報いてくれるのだろうか。それとも俺の知らないところでは、あのふたりはもうとっくに、尊い境地まで到達してしまっているのだろうか…


「俺も誓うよ。ベル、君に永遠の友情をだ」

 アーシュは握り締めていない片方の手を、俺の胸の上に置いた。

 胸の鼓動が早まるのを知られたくなくて、俺はその手をそっと押しやった。

 そうやって誤魔化さないと、ふたりだけでこのベッドにいるのが辛くなってくるのだ。

「…ありがとう。でも、本当にいいのか?エドワードがルゥに対して絶対欲情しないとも限らないぜ。彼は小さくて可愛い子が好きなんだから。ルゥが心配だよ」

「セキレイがエドワードと一緒に居たがっている。俺は驚いているよ。セキレイがあんな風に他人に懐くなんてさ。セキレイが求めているのは俺じゃなくてエドワードなのかもしれないって思ったりした」

「まさか」

「そう、まさかだ。本当のところ…セキレイは親が欲しいんだよ」

「え?」

「言わないけどさ。わかるんだ。…セキレイが両親を求めるのは、きっと記憶を失くす前の生活が親の愛情に満たされていたからだと思うんだ。4歳の頃って君、何か覚えている?」

「うん…なんとなくだけど、印象的な事は記憶にあるよ」

「そうだよね…。今のセキレイにはそれが無い」

 ルゥは4歳の頃、ふいにこの街に表れ、アーシュに拾われたと聞く。それまでの記憶のすべては彼には残されていなかった。


「セキレイを見つけたのは俺だって言ったよね」

「うん」

「俺が望んで…彼が目の前に現れた。俺が…彼を呼んだのかもって、召喚してしてしまったのかもって…きっと力の使い方を間違えたのだと思う。俺はセキレイが欲しくてそれまでのセキレイの記憶を消して、俺だけの『セキレイ』にしたくて…彼をずっと繋ぎとめてしまった…」

「そんなこと…アーシュの考えすぎだろ?」

「俺はね、ベル。自分が何者かとか自分の親が誰なのかとか、割とどうでもいいって思いこんでいるんだよ。だって、それを知ったところで自分が変わるとは思えない。でもさ、もし…あの絵の『アスタロト』が僕の父親だって思ったら…ね。すごく嬉しかったの。ああ、自分にも親がいるのかもしれない。この姿も力も親から与えれたのかも知れないって…なんとも表現できないくらい胸が熱くなったんだ。だから…セキレイだって、両親を求めるのは当たり前だろ?もし、僕が勝手に彼を欲しがって、両親の元から引き離したのなら、僕の力で彼を帰さなきゃならない」

「ま、待ってくれ、アーシュ。それってどういう意味だよ。ルゥを帰すって…ルゥと別れるってことなのか?」

「この世界から離れるという意味ではそうなる。まだ彼の居た場所を探り当てていない。だけど『senso』の力でセキレイの居た場所、両親の居る次元を探し出して、彼を送り届ける。…俺にはその力がある」

「君は…その為に、ルゥを帰す為に、メルと寝たりしたのか?」

「愛する者の望む事を叶える努力くらい、恋人なら誰だってするはずだ」

「ルゥは…知っているのか?」

「いや、まだ記憶さえ取り戻していないんだ。親を探し出すって言ったって、見当もついてないんだから、言えないさ。それにどうせ反対されるに決まっている。あれはああ見えて、俺には天邪鬼なんだ。親に会いたいなんて絶対に言わないよ…僕の為に」

「…アーシュ」

「健気だって言ってよ。誰も僕を褒めてはくれないんだから…ベルぐらいは褒めてくれ。僕だって、セキレイを失いたくはない…」


 幼子のように身体を寄せるアーシュを強く、抱きしめた。

 アーシュの心底からの決意が、俺のこころにシンクロした。


「アーシュ、何でも言ってくれ。君の為になら、どんなことだってやるよ。力になるよ。…大好きだよ、アーシュ」


 今、アーシュが一番欲しいものが、あの絵のアスタロトだとわかっていても、俺にはなれない。なら、出来うる限りのまっさらな愛情で、そして友情で、彼の痛みを癒したかった。




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