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天使の楽園・悪魔の詩 10

10、

 スタンリー家でのアーシュ達との休暇が始まった。


 約束どおり、夜は三人でひとつのベッドにくっつきあって寝た。

 俺の部屋のベッドは三人で寝ても充分な大きさではあったが、何故かふたりに囲まれて真ん中に寝る羽目になった俺は、毎晩、中々寝付けなくて困った。

 俺の両側にふたりは寝ている。そのふたりの寝息を感じながら、なんとも形容しがたい空気を味わうことになる。つまり…

 両側のふたりは恋人同士で、俺達三人は親友同士で、俺はアーシュに恋をしていて、アーシュは何も知らない。ルゥは弟みたいにかわいいから傷つけたくないし、俺は俺で一人前の欲望はあるし…

 もう、どの感情を選択していいのか、ついにはわからなくなってしまう。

 それでも…

 右手と左手…重なり合ったふたりの温もりが愛おしくて、たまらないんだ。


 翌日は彼らを馬術に誘った。

 本物の馬も見たことがないと言う彼らは興味津々、おっかなびっくりで我が家の馬屋に並ぶ馬にブラシをかけている。

「まずスキンシップからだよ。馬に信用してもらわなきゃ、背中には乗せてもらえないからね」

「「わかった」」

 元気のいい返事だ。

 瞳をキラキラさせながらふたりは馬の世話を懸命に励む。そのおかげで三日後には二人揃ってひとりでも上手く乗馬できるようになった。

 

 エドワードも感心した様子で、ならばと彼の先導で、遠出を楽しむことになった。


「ふたりとも才能があるんだな。それだけ乗りこなせればもう立派な紳士だ」

 夏だけ使う小さなコテージで昼食を取る。

「ハイアルトだからかも知れないね。力を使わなくても、身に付いた感覚で動物の直感を瞬時に嗅ぎ分けられる。ふたりともホーリーならば、言わずもがなだ。おっと、失礼。クリスもホーリーだったね。魔王が三人も揃うとは、我が身の安全は保障されたも当然だ」

 エドワードはふたりが来てから、何だかいつもより饒舌になった。しかも機嫌がいい。

「魔王は善にも悪にも転びますよ。あなたを地獄に突き落とすかもしれない」

 皮肉屋のアーシュが、ホットコーヒーを差し出す。

「それはそれで面白そうじゃないか。アスタロトと一緒に地獄へ行けるのなら、この身が焦がれても恨むまい」

「うん、いつでも突き落としてやるよ。でもその前に…このハムサンドうま~い!」

 サンドイッチにかぶりついたアーシュが目を細めて感嘆する。

「モルネーソースが決めてなんだって。持たせてくれた執事が言ってたよ。こちらのローストビーフもお奨めするよ」

「やっぱり学園の食堂とは違って高貴な味わいだね。ベルと友達で僕らは得したね」

 ナイフで小さくカットしたローストビーフを口に入れたルゥがにっこりと笑いかける。

「そんなことないさ。俺の方こそ…君らとこんな風に過ごせるなんて、夢みたいだ」

「…クリストファー」

「え?なに?エドワード」

「良かったな。本物の友達に出会えて。貴族であっても、金があっても私には得られなかったものだ。ひどく残念だよ」

「今から作ればいいんじゃないの、エドワード」

「え?」

 ルゥの言葉に驚いたようにエドワードがルゥを見る。

「僕らが友達になるよ、エドワード。ねえ、アーシュ」

「は?ちょっと老けすぎてね?それにエドワードはすけべ爺だ」

「アーシュだって助平じゃないか。変わりゃしないよ」

「何だよ。まだ根に持っているの?まあ、セキレイがそう言うのなら…友達になってやってもいい。ローストビーフも美味いからね」

 ふたりの言葉にエドワードは「じゃあ、一緒にベッドに寝るか」などと軽口を叩きながらも、瞳が潤んでいるようだった。




 楽しい日々はあっと言う間に過ぎる。

 三人で学園に帰る日が明日になった。

 部屋で荷物を片付けている時、メイドが「奥方様がいらっしゃいました」と、やってきた。

 奥方様とは俺の母親であるナタリーの事だ。

 この屋敷で会うなんて珍しいことだと、階下の応接間へふたりを連れ、挨拶へ向かった。


 久しぶりに会う母親はいつものように美しく可憐で、少女めいた顔で俺を見る。

「あら、クリストファー。こんなところで会うなんて」

「クリスはいつも夏季休暇はここで過ごしているだろ?姉上はいつも忘れるのだからね」

「だって、興味が無いのだもの。でも、変ね。クリストファーってますますエドワードに似ているわ」

「それもいつも言っている台詞だよ、姉上」

「そうだったかしら?」

 アンティークの椅子に座り、品良く紅茶を頂く姿は、女優のようだと思う。

 一体この人に年齢などあるのだろうか。幼い頃とほとんど印象が変わらない。

 これだけかわいらしいのに、母親としての自覚も愛情も薄い。

 俺を親戚の子ぐらいしか思っていないのだろう。

 その彼女が俺の後ろにいるふたりに気づいた。


「あら、他に誰かいらっしゃるの?」

「あ、俺…僕の友人です」

「折角の夏季休暇だと思ってね、私が彼らを招いたのだよ。クリストファーが友達を連れてくるなんて素敵だろう。それに母親としても彼らに興味がないかい?」

「別に…」

 あまり関心のないナタリーに、ふたりが不機嫌にならないか心配だったが、ルゥとアーシュはそれぞれ、彼女に貴族的な丁寧な挨拶をした。

 

 彼女の目の前に立って膝を折り、自己紹介をする。

「ルゥと言います。ベ、じゃなかった。クリスにはいつもお世話になってます。スタンリー侯爵にも良くしていただいています…。あの、とてもお綺麗ですね。それに…いい匂いがする。こんな方がお母さんなんてベルが羨ましいなあ」

「どうも。あなたも素敵なプラチナブロンドね。私、好きよ」

「ありがとうございます」

 ルゥはおよそ人に嫌味を感じさせることのない笑顔で後ろに下がり、アーシュの背中を押した。


「あ、え~と、アーシュと言います。こんにちは~」

「…」

「ベルのお母さんですよね。ベルから聞かされたけど…凄く若くて綺麗で…え~と。僕、母親が居ないので羨ましいです。…あの、なにか?」

 ナタリーはアーシュの顔をじっと見つめている。

「あなた、アーシュっておっしゃるの?」

「はい、そうです」

「眼鏡を外してくださる」

「は?」

 アーシュは頭を捻りながらも、素直に彼女の言う事を聞いた。

 眼鏡を外したアーシュは、雰囲気が一変する。揺らぎがなくなるのだ。際立った美貌に凄みが増す。

 ナタリーは眼差しを背けず、アーシュを見つめ続けた。アーシュもまた目線を外さない。


「あなたは…アスタロト?」

「え?…いえ、ただのアーシュですよ。ただし、学長からもらったアスタロト・レヴィ・クレメントと言う『真の名』は持っていますが」

「私、あなたを観たことがあるわ。ねえ、エドワードは見覚えが無い?」

「え?…いや、アーシュとはこの屋敷で初めて出会っただけだ。手はつけてない」

「馬鹿ね、そういう意味じゃなくてよ。この子の顔、ああ、忘れるわけないわ。いつもおばあさまから聞かされた…そうだわ。エドワード、画廊に案内して」

 母は椅子から立ち上がって、真っ先に画廊に向かって歩き出した。

 俺達も勿論後に続いた。


 画廊には両サイドの壁に絵画がずらりと並べられている。どれも古くからスタンリー家にある逸材の絵画らしい。俺には絵の価値なんてわかるはずもないが。


「エドワード、奥の部屋を開けて」

 前もって鍵を用意していたエドワードが、画廊の壁の絵画を避け、その後ろにある鍵穴に鍵を差し込み、秘密の扉を開けた。

「すご~い、映画みたい」

 能天気なルゥの声が、張り詰めた空気を和ませた。

 俺でさえ入ったことは無い。

「我が家はニンジャ屋敷だって、言った奴がいる」

「ニンジャ?」

「キリハラ先生に聞いてごらん」

「キリハラもここに来たの?」

「まさか、この部屋には来ないよ。でも屋敷には招いたことがあるよ。恋人同士だったからね」

「や~らし~言い方」

「うらやましそうな言い方」

 ルゥとエドワードは言葉遊びを楽しんでいる。ふたりはこちらが妬くほどに仲が良い。


「ねえ、エドワード。あなたは学園ではユーリと呼ばれていたんでしょ?キリハラは何て呼ばれてたの?」

「カヲルだよ」

「まんまじゃん」

「そういう生徒もいる」

「フ~ン」

「君だってアーシュの他に名前は持たないだろ?」

「確かにそうだけど」

 二重になったカーテンを開け、淡い光が部屋の沢山の宝の山を映し出した。

 母は迷わず壁に作り付けの扉を開けた。

「これよ、これ」

 

 重厚な額縁に守られた古い油絵があった。

 40号ほどのさほど大きくない絵画だ。

 中央に女性か男性か見極められない美しい裸体が背中を向けて横たわり、優美な顔を向け、こちらを見つめている。長い艶やかな黒髪が背に、横たえたシーツに絹糸のように散らばっている。

 その顔をよく見ると…なるほど、アーシュに似ている。

 輪郭も、鼻梁も、形の良い口唇も、絶妙な配置で美しく映え、際立った美を描いている。


「ホントだ。アーシュに似てる。ね、このモデルは誰?」

 ルゥの素直さが羨ましい。

「これはもうずっと昔…そうね、二百年ほど前の作品よ。誰が描いたかはわからないけど、この絵にはタイトルがあるの。『レヴィ・アスタロト』。それがこのタイトルよ」

「へえ~、アーシュと同じ名前だね」

「アスタロトはどこにでもある神話の題材だ。別にこのモデルがアスタロト自身なわけではないでしょう」

 アーシュの声音がどことなく険しい。

 いや声だけでない。

 アーシュは眼鏡を外したままでいた。

 研ぎ澄まされたその優美な顔は、この絵のアスタロトそのもののように見えた。



挿絵(By みてみん)



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