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浄夜 1

メル編

挿絵(By みてみん)



 高等部の僕の寄宿舎の部屋から見る夜空は美しい。

 星月夜も格別だが、下弦の三日月は昔、絵本で見たゴンドラに似て、夜天を漂っているようだ。

 今夜は晴れ。星も月も隠れる雲はない。

 きっと、今夜、彼はやってくるだろう。



「メル、来たよ」

 ベランダの硝子を二回叩き、ドアを開けて姿を見せたのは、アーシュ。

 僕より二つ下の中等科の二年生だ。

 二階にある僕の部屋に、椋木を昇ってやってくる。

 三月のこの時期、空気は冷たく、夜露は霜柱に変わると言うのに、彼はパジャマの上にタフタのコート一枚を羽織ってやってくるのだ。


 部屋に入れたアーシュの身体を、僕はそっと抱きしめる。

 暖めるには一番手っ取り早いからだ。

 アーシュも嫌がらない。

 ふふと笑い、「メルはいつもあったかいね」と、身体を摺り寄せる。

 間も無く14になるアーシュは伸び盛りだが、僕よりも頭ひとつ程低い。

 濃い褐色の柔毛から、いつものように薄荷草の匂いがする。

 瞳を見つめる。

 今夜は嫌に艶っぽい。

 その意味は聞かなくてもわかっている。



 浄夜 



 アーシュを見たのは、彼が学長のトゥエに拾われたその日だった。

 保育所に連れてこられたアーシュは、とても小さかった。

 保育所では幼子は珍しくないし、赤子だってよく見ていた。だけどこんなにも生まれたてを見たのは初めてだったから、その小ささに驚いた記憶がある。

 純真無垢な姿に誰もがかわいいと微笑んだ。


 赤子のアーシュの髪の色は薄い灰色だった。

 瞳の色は今と変わらず、深淵の藍色。星が散らばっている。

 彼は捨て子にもかかわらず、誰彼構うことなく感情をばら撒かせ、元気に泣き喚き、笑い、甘えていた。

 当然の如く、誰もがこの子を愛しく思い、大事に育てた。

 アルトは他人を信頼したり、愛したりすることは苦手だ。

 対応する相手の心の複雑さにこちらが疲弊してしまうからだ。

 もし誰かを愛してしまったら、頼りきってしまったら…後はいつか来る裏切られる日を恐れて生きなければならなくなる。

 愛も信頼も、初めから無いほうがマシだと、僕ら、アルトは考える。

 より力を持ったアルトは余計にそうだ。だって、他人を頼る必要がないのだから。

 ただ、アーシュの無垢なかわいらしさは、信頼や愛とは関係なく、「癒し」として保育所の皆を幸せにした。


 アーシュには生まれ持った品格があった。

 彼は生まれながらの王かも知れない。

 だが、それを気づかせない通俗的な観念の姿でいるから、粗方は誤魔化された。

 彼は民を弾きつけるには、万全の姿で存在する。


 僕は彼をずっと見ていた。

 彼に惹かれ続けた。

 彼を振り向かせたいとか、愛し合いたいとかではない。

 彼の心と身体を犯したいという俗物的欲望だった。

 また、同時に彼の足元に平伏したい。とも願った。

 この相反する欲望は、歳を追うごとに膨らみ続け、だが比例して、それを抑える理性も育っていくものだから、僕の中で見事に調和されつつあった。


 12の時に「真の名」を学長から与えられた。

 学長トゥエの前に跪き、その名を頂いた時、僕が求めるものは、この力で何を示せるか、の答えだけだった。

 僕の為すべき道をトゥエに質した。

 「君はカノープスだよ、メルキゼテク。時代を導く者」と、彼は言う。

 その言葉を僕はこう解釈した。

 時代を導く者を、導く案内人。

 ではその導く者とは一体誰だ。

 …聞かなくても知っていた。

 だから僕は聞いた。

「アーシュは…何者なのでしょうか」と。


 トゥエはそれぞれの両手の人差し指を天と地に向けた。

 これもまた、無限の解釈ができる。

 見る者の受け取り方は千差万別だ。

 光と闇を統べる者、その逆。

 それを統一する者、または壊す者。

 均衡。新しい未来…

 そして、無。


「未来は動いています。彼が何を選ぶか、私にはわからない。だが彼に委ねるしか無いのです」

「では、ルゥは…ルシファーの存在は」

 僕はこの時点でルゥの「真の名」がルシファーだと突き止めていた。

 後に続く名はどうだっていい。最初の名が総てなんだ。

「ルゥはこのサマシティの子ではない。我々の未来とは関係がないのです」

「だけど、アーシュはルゥを選んでいる。ならば未来は彼を引きずりこんでいる」

「彼はここに居る存在ではない。彼もそれを知る時が来る。それまでの仮宿なのです」

「…」

 アーシュはそうは思ってはいまい。



 ルゥはアーシュが4つの時に拾ってきた子だった。

 繊細で綺麗な子だった。アーシュは彼を「セキレイ」と呼んだ。

 その名によりルゥはアーシュの刻印を受けている。

 彼らは双子のようにくっついて遊んだ。

 僕はうらやましくてたまらない。いや、保育所の誰もが彼らを羨んだ。

 すべてを委ねあう者が、親のない僕らにはいないからだ。


 アーシュは僕の存在を意識していなかった。

 保育所で育ち、ずっと一緒に暮していながら、彼にとって僕は他の子と同じ大勢の中のひとりでしかないのだ。

 彼は天性の無頓着さで、他人を自覚しない。

 彼の目に認められた者が、彼との絆を繋ぐ事ができるのだ。

 それは王である彼に許された傲慢さであろう。


 僕は待った。

 彼が僕に気が付く、その日を。

 彼が僕を求める、その日を。




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