天使の楽園、悪魔の詩 7
三人の絆はそのままに俺達は少しずつ大人になっていく。
中等科二年も終わる、春の頃だ。
女友達がくれたローズマリーの鉢から花が咲き、部屋中を香らせていた。
匂いに惹きつけられたと部屋に来たのはルゥだった。
十六夜の月が美しく、ベランダから二人並んで眺めた。
「アーシュは?」
「居ないよ。またメルのところかもしれない」
「…」
メルは俺達よりもふたつ上の高等科の一年生。
彼もまた俺等と同じく「真の名」を持つホーリーだ。
アーシュやルゥとは同じ保育所育ちで、アーシュは近頃メルのいる高等科の寄宿舎に入り浸っている。
聞くところによると、大人の域にある彼らは性欲も旺盛で、ここ以上に毎晩盛っていると言われるが、あいつは大丈夫なんだろうか。
そもそも許可なしの夜の外出は、禁止事項なのに、アーシュは「規律は破られる為にある。勿論バレぬように」などと小賢しい事ばかりを言う。
「アーシュなら大丈夫だよ。彼はまだ童貞だ」
「何故わかる?」
「何故って?だって最初は僕とやりたいってずっと言ってるもの。それに経験したのならすぐにわかるさ」
俺の懸念を打ち消すように、自信満々でルゥは言う。
「そういうもん?」
「そういうもんさ。でもね…」
自信満々のルゥの顔色が一変する。
「どうしたの?」
「メルだよ。僕、あの人、気に入らないや」
「彼は君らと同じ保育所仲間だろ?信用してもいいんじゃないのかい?」
「信用とかそんなんじゃなくて…メルはアーシュを自分のものにしたがっているんだよ、きっと。アーシュには僕がいるって知ってるくせに。僕からアーシュを奪い取る手筈なのさ。昔っからメルはアーシュを狙っていたんだよ」
「…そうなの?」
「そうに決まってる。だけど、僕はアーシュと番になるんだから、メルには渡さないんだからねっ!」
こんな風に感情を剥きだすルゥは珍しく、アーシュへのあからさまな独占欲が、何だか微笑ましくて仕方ない。
俺もアーシュに懸想しているが、ルゥがアーシュをアーシュがルゥを愛し合う姿を嬉しく思う気持ちも真実なんだ。
勿論羨ましくもあるけれど。
「じゃあ、アーシュがメルのところへ行くのは何が目的なのかな」
「それは…」
ルゥは下を向いて口ごもった。
「僕にも教えてくれない。…僕では駄目でメルならいいって…一体何なんだろうね。僕は悔しいよ。誰よりも僕がアーシュの一番だったのに。…それにさ、今日、僕、裏の林のとこでアーシュとメルがキスしているのを見たの。頭に来て、それを責めたらアーシュ何て言ったと思う?」
「…なんて言った?」
「『たかがキスだろ。セキレイともいつもやってるじゃないか』だって。あいつ、僕とメルを並べやがった。酷くない?」
「それは…酷いかも」
歯がゆくてたまらないと、ルゥはベランダの木の手すりを何度も叩く。
「もう怒り沸騰だよ。あいつをギャフンと言わせてやりたい。だからベル、手伝ってよ」
「え?…なにを?」
「僕と寝て欲しいの」
「……は?」
月夜に照らされたルゥの面差しは、決意に満ちている。が、言ってることはちとおかしくないか?
「だからセックスをしたいの。僕の身体が気持ち良くなるまで、ベルに教えて欲しいの」
「ルゥ、おまえ何言ってるか、わかってる?」
「いつまでたってもアーシュが僕に手を出さないのは、僕を傷つけるのを怖れているからだよ。あの根性なし。アーシュは僕のことになると弱いんだ。大体において僕はアーシュの後ろにいるけれどね、セックスぐらいはこっちから手ほどきしてやる。ベッドの中では僕に頭が上がらないようにしてやる」
「…あのさ、競うとこ、ちがくねえ?アーシュは初めての相手はルゥって決めているんだろ?それってアーシュもルゥの初めての相手は自分がいいって言ってるようなものだろ?ルゥが俺と寝るのは裏切り行為じゃないの?」
「なんだよ。ベルって変なところに節操を奉るんだね。成功する為には練習が大切だろ?このままじゃアーシュはいつまで経っても僕とセックスなんかしやしないんだからね。そのうちにメルに強姦されたらどうするんだよ。それこそおいしいとこを横取りされるじゃないか。僕はメルには負けたくないんだからねっ!」
「…俺は練習台なのか?」
「そうだよ。ベルは経験豊富だし、第一こんなことベルにしか頼めないよ。アーシュは嘘つきだからね。ベルの方がよっほど頼れる親友だもの」
「アーシュが知ったら怒るよ」
「だってアーシュは平気で嘘をつく。『真の名』なんて意味がないって言っておきながら、図書館の奥の部屋でずっと調べ続けているのはアーシュだ」
「違う。君が俺と寝たことを知ったら、アーシュは怒るって言っているんだよ、ルゥ」
「そんなの…ほおっておいたアーシュが悪いって言ってやる。どちみち僕らは思春期だよ。早々待てやしないさ。もうひとりで寝るのも飽きたんだよ、僕」
腕を組んで不貞腐れるルゥに、俺もお手上げだ。彼の意思の強さもアーシュには引けを取らない。
彼は引き下がるつもりはないらしい。
ふたりが以前のようにひとつのベッドで寝ていないのは知っていた。
ひとり部屋だし、それぞれお互いの部屋で寝るのは当たり前だ。だが別々ということは、夜はお互いどこで何をしているのかわからないということでもある。
ルゥはアーシュがまだ何も経験していないと言いながら、彼の行動を疑っているのだろう。
慣れないひとり寝は、相手が誰かと情事をしているのでは、と、誰だって不安になるさ。
ルゥはアーシュを自分に縛り付けておきたいのだ。
自分から離れられなくしたいんだ。
その気持ちもわかるけれど、ここで俺が彼の目的を果たす役目をしていいのか、考えなきゃならない。
ふたりの為に最良の方法を選ぶ必要がある。
「ルゥの気持ちは充分わかった。それじゃあ、始めようか」
「え?」
「俺とセックスしたいんだろ?ベッドに行こう」
「…うん」
ベランダの戸を閉めて、ルゥをベッドに導き、身体を押し倒した。
パジャマを脱がせ、首筋に口唇を這わせ、そのまま胸の突起を転がす。
指でルゥのものを少し乱暴にいたぶると、小さな悲鳴が上がる。
「や…」
上ずった声で、鼻を啜る。
顔を見ると涙が零れていた。
「怖い?」
「そ、そんなことないよ。灯りがまぶしいから恥ずかしいだけだよ。続けてくれよ、ベル」
「強がりだね、ルゥ。こんなに震えているのに。負けん気の強さはアーシュとそっくりだ」
「そう、かな…」
「君達は双子のように思考が似ているんだ。良く考えてごらん。最初に好きな人とセックスをしたいっていうのはアーシュだけじゃなく、君の想いでもあるんだろ?テクニックなんかどうでもいい。アーシュと君は最初に結ばれるのがお互いの最良の選択だ。俺はそう思う」
「ベル…」
「自分の口でちゃんとお言いよ。アーシュが欲しいって」
「…」
「自信が無いのはお互い様だろ?アーシュとしてみて、具合が良くなかったら、その時、俺を練習台にしてもいいよ」
「ベル…」
「今夜は特別に俺が抱いててやるからさ。明日はアーシュにちゃんと言うんだよ、いいね」
「…うん、ありがとう…ありがとう、ベル」
ルゥはそのまま少しだけ泣き続け、そして安心したように俺の胸で眠った。
彼に必要だったのは、雛を温める親鳥の羽。
俺は裸のルゥを胸に抱いても、性的な欲望は起きなかった。
ただ彼の求める者になりたかった。
だが彼を抱くのは簡単だ、とも知っていた。
ルゥの上にアーシュを重ねれば、俺はいつだってルゥを犯すことが出来る。
裏切られたと泣くアーシュを見てみたいと思うのは、悪いことだろうか。
週末、俺は実家へ帰った。
この休日に彼らは抱きあう約束をした。
それはきっと叶えられる。
その夜、俺はベッドでひとり、泣いていた。
この涙は俺の為だけのものだ。
誰にも…わからない。