Brilliant Crown 7
7、
創造主、天の皇尊ハーラルは、ただひとりここに在った。
その手によって創りだされた数々は、創造主の憧憬であった。
しかし散りばめられた数々の憧憬を育てたのはその手ではなく、人の手であった。
人は創造主の求めるモノとは違った奇妙な存在であったが、
その奇妙さゆえに、彼は彼らを愛したのであった。
アーシュを無視したミグリは、未だにイールを問い詰めるのは止めなかった。
「天の御方を招いて、今更何を願うのだ?おまえとアスタロトが選択した未来は、天の御方が望んだものではない。祝福など与えられようか」
「それは…」
イールは口ごもった。
天の皇尊の使いであるミグリにここまでアーシュを拒まれようとは思ってもみなかったのだ。
これが天の皇尊の意志だろうか…
あれほどまでにアスタロトに執着を見せていた天の皇尊が、生まれ変わりであるこのアーシュを簡単に見限ってしまうのだろうか…
イールは隣に佇むアーシュを見た。
ミグリの前だと思い、ふたりの繋げた手はとうに離れていた。
だが、お互いの気持ちは離れることなどないはずだ。
イールとミグリのやりとりを、この少年が不安に感じるのではないかと、イールは懸念した。もとよりイールはアーシュを守らなければならないという信念めいたものに終始駆られている。
何とかしてアーシュをアスタロトを継ぐ者と認めさせたいし、イールの最愛の恋人であるのだと誇りたいのだ。
テレパシーを使わずともイールの眼差しの意味をアーシュはなんとなく感じ取っていた。
大丈夫だと、微笑みながら頷くと、アーシュは一歩前へ出て、ミグリに声を掛けた。
「記憶は無くても俺はアスタロトだし、クナーアンの神として精一杯務めを果たすつもりです。天の皇尊にお願いしたいことは、ただひとつです。俺は人間だから寿命がある。長くても四、五十年程だろう。そして俺が死ぬ時、半身であるイールも共に消滅する。その後のクナーアンをイールも俺も憂慮するのです。クナーアンの人々を不安させる惑星にはしたくない。だから…」
「不安にさせる最たる元凶はおまえたちふたりの勝手だとは思わないのか?イールとアスタロトよ」
聞いたこともない遥かに厳かな声音が、背後から響いた。
アーシュは慌てて後ろを振り返った。
ぼおと白い宙の向こうから、まばゆい金の光が集まり、人の形を創った。
キラキラと燐光を放ちながらも、少しずつまばゆさを収めた人形はアーシュとイールの方へ近づいてくる。
完全に人の形を為した天の皇尊は、初めてアーシュの前に姿を現した。
アーシュはポカンと口を開けたまま、しばらく身動きが取れなかった。
前もって想像した天の皇尊のイメージとは、少しばかり…いや、かなり離れていたからであろうか。
自分を産み、創りあげた天の皇尊を、アーシュは「天の王」の学長であるトゥエ・イェタルのような存在だとばかり考えていたのだから。
若い男の姿だった。
それも恐るべき美貌である。
恐るべきとは恐怖を感じる感覚ではなく、自分が対峙する存在ではないと恐れおののく意味であり、迂闊に拝顔を許されるものではないと、誰もが一目で直感するオーラである。
その証拠に、イールもミグリもすでに跪き、深く頭を垂れている。
アーシュは戸惑いながらも近寄ってくる御方の視線を逸らせずに、突っ立ったまま面を上げている。
しかし…なんという姿なのだろうか。
美を極めた匠が一心不乱に捏ね上げ、己の理想を造形した姿があった。
すべての理想を頭に描き、誰もが憧れ、敬うべき形という者があるのなら、今、アーシュが目にしているものこそ、その姿であろう。
豊かに輝く金の髪は腰より長く波打ち、すらりとした長身の身体は凛として背筋を伸ばし清々しい。しかし輪郭がわかるほどに透けた薄衣は例えようもないほどなまめかしさが漂う。ただ羽織っているだけの薄絹は肌が透けて見えそうで、はっきりと見えるわけでもない。
足元は素足に近く、草を編んだようなサンダルを履き、細かな細工を施した首飾りと腕輪が両腕に飾られている。光に反射した七色に輝く宝石は、何故だか淡く焦点がボケて見える。
肌の色は純白に近いが、頬の当たりはなんとなく赤みを帯びている。
額には呪文のような複雑な刺青がサークレットのように刻まれているが、なんとも高貴でその顔にふさわしい。
赤い両眼が射抜くようにアーシュを見つめていた。
すべてが圧倒的な存在だが、アーシュにはどこか自身に近しい気がしていた。
その存在が光の眩しさに見えなくなるものではなく、光から生み出される影を持ち得た重厚感を天の皇尊に感じていた。
目の前に近づく顔を見たくて、見上げようとするアーシュを、天の皇尊は制した。
アーシュの頭を右手で押さえ、そのまま両手を滑らせ、アーシュの頬に当てたかと思うと、両頬を指で摘み、そして抓りながら左右に思い切り引っ張ったのだ。
「ひゃ、たあ~いっ!」
驚いてはみたものの、力を弱めない御方の戒めにアーシュも痛みで声が出る。
「ひゃ~ああ」
アーシュの目線は御方の肩の位置でしかない。
上を見上げようとしても、両側から頬を引っ張られているから、顔も動けない。と、言うより、アーシュはこの手の暴力には慣れていない。
次第に痛みの感覚が増大し、アーシュは我慢ならずにしゃくりあげ、その拍子に涙が零れた。
跪いたイールも顔を上げ、この様子に驚愕し、止めようとしたが、天の皇尊の手を払いのける勇気などはない。それでも顔をしかめて、涙ぐむアーシュが哀れで、イールは意を決して立ち上がった。
「いいかげんにお止め下さい。御方さま」
先ほどまで正面を向いていたが、背後から現れた天の皇尊に身体を向けたため、今は、背後に居るミグリが開き直ったように、天の皇尊に呼びかけた。
「天の皇尊たる御方さまが、人間の子供を泣かせてどうなさるのですか…」
少々呆れ果てた声音で、再度ミグリが、天の皇尊の所業を諌めた。
「…人間というものを、私は産みださなかったが、この姿は極めて良い出来である。アスタロトは、どうやってこれを作ったのだろうね。長年にわたり、人の構造に興味をそそられてはきたけれど、今、初めて、私は、人間に触れた…」
叙事詩でも朗読するかのように、朗々と言葉を綴る天の皇尊だが、イールもアーシュも情感に浸る場合ではない。
天の皇尊の使者であるミグリも同じであろうか、溜息まじりの声が後ろから聞こえた。
「触れたんじゃなくて、苛めていますよ。そら、あなたのお気に入りのアスタロトが、痛みに耐えかねて泣いているのがわかりませんか?」
「この子の泣き顔を見たかったから泣かせているのだよ。…罰なのだから痛いのは仕方ないね、アスタロト」
天の皇尊は、アーシュの両頬からやっと手を離し、アーシュの頭を軽く二回叩き、アーシュの横をすり抜けた。
アーシュはあまりの痛さに、両の手の平で頬を包み、立ったまま俯いている。
イールには指の間から真っ赤に腫れあがった頬が見える。
(…ったく、子供じみたことをなさる御方だ)
イールは今すぐにでも、アーシュを抱き、その痛みを魔力で癒してやりたかった。だが、天の皇尊を目の前に軽々しく、行動するわけにもいかない。
(しかし…)
イールは身体を回転させ、天の皇尊の姿を追った。
いつの間にかミグリの横に大理石のような(大理石ではないだろうが)なめらかな質感の高御座が現れ、天の皇尊はゆっくりとその座に腰を下ろし、イールとアーシュと対座した。
(一見以前と変わらぬ御姿ではあるが、このように色めいた感覚ではなかった気がする。この御方が何を企んでいるのか…探るしかないのだが…)
イールは天の皇尊の行動に神経を尖らせた。
天の皇尊との対面というイールとアーシュのひとつの願いは叶ったわけだが、先の行方はわからず、ふたりの未来はこの創造主に委ねられていると言っても良かった。
彼の御方が一流の演技者であることも、注意しなければらない。そして、御方はこの場をどうにでも裁ける唯一の執行者なのだ。
御方を本気で怒らせることだけは避けなければならない。
アーシュはズキズキ痛む頬を両手でさすっていた。
魔力を使えば少しは痛みは引くが、天の皇尊が与えた痛みを、勝手に打ち消すわけにはいかない。それを行い、御方の機嫌を損ねたら、この状況がどうなるかはわからないほど緊張している。それがわかっているからイールもアーシュには近づけないのだ。
だが、アーシュは天の皇尊の愛情を疑わなかった。
この痛みはアーシュへの御方の愛情なのだろうと判断した。
父親が危険を冒した息子を叱りつけ、しつけるように、御方も自分を愛故に責めたのだろうと。
だからアーシュは恨みはしなかった。
どちらかというと甘えたくてたまらなかったのだ。
踵を返し、両頬を抑えながら、上目使いに高御座の御方を見つめた。
天の皇尊はアーシュの視線を受け、フンと鼻で笑った。
両目の焔の虹彩と垂直にスリットした闇色の瞳孔がアーシュを蔑んだように捕えた。
「アスタロト、おまえはなにか勘違いをしている。確かに私は理想の神を描いて、アスタロトとイールを創りあげた。そしておまえたちは私の望んだように美しく賢明な神としてクナーアンを治めてくれた。だが、アスタロトは私が決めたいくつかの決まりごとを悉く破ったのだ。異空間への脱出から始める諸々の大罪の経緯をここで並べても良いが、時間の無駄でしかないな。だがひとつ言うなら、おまえの半身たるイールにミセリコルデを願わせたことは許されるべきことではない。おまえが…アスタロトの生まれ変わりであるおまえに記憶がないとしても、おまえがアスタロトであるならば、その責はおまえが負うものだ。違うか?」
「…違いません。アスタロトは俺であり、俺はクナーアンを見限り、イールが悲しむのもわかっていて、自分の好奇心と願いのために人間に生まれ変わったのです。天の皇尊の意志を曲げてでも、俺はそれを選択した。それが罪なら、俺は罰を受けます」
「覚悟はわかった。ではどんな罰がよい?」
「…」
アーシュは両手を頬から離し、今は遥か高みに見える天の皇尊の姿を仰ぎ見た。
御方が何を望んでいるのか、アーシュには見当がつかない。
「俺は…どんな罰を受ければいいのだろうか?」
「簡単なことだ。クナーアンの神としての座を捨て、おまえが私の下僕となることだ」
と、天の皇尊は嘲るように微笑する。
「…」
アーシュは黙ったまま、首を傾げた。
彼の求める罰の意味が、皆目わからない。