婚約者が噂を信じて私を断罪してきますが、証拠を求めたら自爆しました
「リリアンヌ。君にはガッカリしたよ」
久しぶりに放課後に呼びだした、婚約者であるハイディン・ラングレーはそう言った。紅茶をすすりながらまた何か噂を聞いたのだと思って目で次の言葉を促す。
わざと聞こえるようなため息をついたハイディンは腕を組み上体をそらす。
「下級生をいじめていると聞いたよ。どうして僕が君の尻拭いをしなくてはいけない」
「下級生、ですか」
「ああ、そうだ。マリベル・ノートだよ。彼女が泣いていたところに出くわして話を聞いたら君にいじめられていると言っていた」
どうして君は悪評ばかり広がっているんだ。
そう言いながらハイディンは再度ため息をつく。
マリベル・ノートは最近ハイディンに近づいている男爵令嬢であり、華やかではあるが可愛らしい雰囲気の何かと話題の女性だ。
廊下で泣いているところを助けた。という話は定期的に聞いているので、色んな貴族令息に近づいているのかもしれない。
「この前はナターシャが君から酷い言いがかりをつけて折檻を受けたと言っていたぞ!」
ナターシャはハイディンが寮生活をしている時にラングレー家に雇われた若いメイドだ。
ラングレー家は伯爵家ではあるが、身分を気にせずメイドを雇うので少し変わった人がいても気にしていなかったが、彼女はなぜかハイディンを狙っており私が彼の家に行くとものすごい目で睨んでくる。
花嫁修業として婚約者の家に行く私に対しての態度としていかがなものかと思うが実害はそこまでないので特に気にしていなかった。
実際嫁いだら彼女には暇を出そうと思っていたし。
「彼女たちには僕からしっかりと謝罪をしている。君からもしっかりと謝罪をするべきだ」
ティーカップをそっと置き、イラ立ちを抑えて薄く笑みを浮かべる。
この男はバカの一つ覚えに事実を確かめようとはせずに、か弱さそうな女性の言葉をすべて鵜呑みにするのだ。
子供のころからの婚約関係にある私たちだが、彼は昔から噂好きであり、それが事実であろうとなかろうと関係なく騒ぎ立てるのだ。
ただ今回のことは噂というよりも実際に被害を訴えられたという報告なので少し話が異なるかもしれないが。
彼の噂好きは子供のころからである。
しかもこっそりと使用人たちの休憩室に忍び込み、平民たちの他愛もないお喋りを真に受けるのだ。
水に入ると病気になると聞けば一か月風呂に入らず、化石が眠っていると言われれば私の花壇を掘り返したほどだ。
そして侍従が連れた子供からカツラの中にはネズミがいると聞けば、自分の叔父であるファルボ・ラングレーのカツラを無理やりはがそうとした。本当にとんでもない男なのである。
そして最近では、爵位の高い貴族令嬢は爵位の低い貴族令嬢をいじめるものだ。というありもしない噂かどうかも分からないことをどこかで聞くき、あたかも私がいじめていると思い込んでいる。
「おい、聞いているのか?」
ティーカップがカシャンと音を立てた。
私は少し離れて待機している侍女に目を向ける。彼女はそっと近づいてこぼれたティーカップを整えた。
「聞いているのか、リリアンヌ。黙っているのは言い訳を考えているからか?」
「はて、わたくしにはなんのことかさっぱり分かりません。突然のことに言葉が出てこなかっただけですわ」
「言い訳もできないとは嘆かわしい。高位貴族は下位の貴族をいじめてもいいと思っているのか!」
「わたしくはそんなこと一切言っていません」
「マリベル・ノートも、ナターシャも君にひどい目にあわされたと聞いているんだぞ」
「証拠は?」
「ハッ! やはりな! 証拠を求めてくるということは、自分の罪を隠すための常套手段だ。自分の行動をすべて隠しあたかも何もしていないようにアリバイ工作をしているはずだ」
彼は何を言っているのかしら。
どんな時でも何かをしたというのであれば証拠を求めるのは普通なのに。
「では、どんな状況でわたしくが何をしたのか、ノート嬢を呼んでいただくことはできますか」
「なぜ彼女を呼びつけるのだ!君から会いに行くのが筋だろう」
「わたしくは何もしていませんし、高位貴族として男爵令嬢を呼び出すのは普通のことですわ」
「身分の差で差別をするつもりか」
「いえ、貴族としてのルールです」
ハイディンは渋々ながらも翌日場を用意すると言い席を立つ。
その背中を見送りながら、私は深く、深いため息をつく。
「お嬢様、お疲れ様でございました。お茶を淹れ直しますね」
「ありがとう、エマ。……それから、例の件、動いてもらえるかしら」
控えていた侍女のエマが、すっと冷徹な笑みを浮かべて一礼する。
ハイディンは私を「下位貴族を悪女」と決めつけていたが、貴族をいじめるメリットはない。
メリットもデメリットも何も考えず、目先の楽しさだけで彼はなんでも鵜呑みにするのだ。
このままではラングレー家は没落してしまう。貴族として、事実を正しく調べ確認することが何よりも大事なことを知らないといけない。
翌日の放課後。
本来、あの休憩室は爵位の高い貴族の生徒しか立ち入りを許されていない、学園でも特別な場所だ。教師陣ですら遠慮するような空間に、ハイディンは悪びれもせずマリベル・ノートを連れ込んでいた。
私が扉を開けると、マリベルはソファに座り、まるで舞台女優のように涙をこぼしていた。
「ひどいんです……リリアンヌ様は、いつも私を見下すような目で……」
ハイディンはその隣で、まるで自分が被害者を庇う正義の騎士であるかのような顔をして、マリベルの肩にそっと手を添えている。婚約者の前でよくもまあそんな真似ができるものだ。
「では、昨日のお約束通り、証拠を伺いましょうか」
私が席に着くなり、マリベルの涙がぴたりと止まった。一瞬の出来事だったので、ハイディンは気づいていないようだが、私はしっかりと見ていた。
「証拠、といっても……心の傷は目には見えませんもの」
「まあ、便利な言葉ですこと。目に見えないものは、いくらでも作り話ができますものね」
「リリアンヌ!彼女を疑うような言い方はよせ!」
ハイディンが声を荒げる。私は懐から一枚の書類を取り出した。
「ノート嬢。あなた、先月だけでビアン侯爵令息、ゼイン伯爵令息、そしてクレイス子爵令息の三名に『高位貴族にいじめられて辛い』と泣きついて、それぞれから宝石を贈られていますわね」
マリベルの顔が強張る。
「な、何のことか……」
「宝石商から聞きましたわ。あなたが売却した宝石の買い取り記録も、こちらに」
これは、私が独自に動かした調査結果だった。エマをはじめとする侍女たちが、この学園に出入りする商人たちから丹念に集めてきた情報だ。
貴族の子女が涙ながらに窮状を訴え、同情した男性から高価な贈り物を引き出し、それを即座に金に換えている――マリベルの手口は、驚くほど一貫していた。
「これは、一体……」
ハイディンの声が初めて揺らいだ。
「ノート嬢。あなたが集めているのは殿方の同情ではなく、他国へ渡るための資金なのではありませんか? 男爵家の資産では到底賄えないほどの金額を、この短期間で」
沈黙が部屋を支配する。マリベルはもう涙を流していなかった。その代わりに、彼女の顔からはすっと表情が抜け落ち、まるで別人のような、冷たい目でこちらを見返してきた。
「……いつから、気づいていたのですか」
「あなたが最初に泣きついた相手が、たまたま私の婚約者だったからですわ。おかげで、調べる理由ができました」
マリベルは小さく舌打ちをすると、それ以上何も言わずに部屋を出て行った。ハイディンはその後ろ姿を呆然と見送っていたが、やがて我に返ったように私を睨みつけた。
「じゃあ、ナターシャは!彼女まで嘘をついていたというのか!」
「ナターシャについては、もう解決していますわ」
「な、なに?」
「彼女、ラングレー家の家計簿から少しずつお金を抜き取っていたそうですの。お義母様にお伝えしたら、すぐに調べてくださって。証拠が出てきたので、昨日のうちに解雇されましたわ」
「そんな……いつの間に……」
「ハイディン様が『婚約者の尻拭い』とおっしゃっている間に、ですわ」
ハイディンはわなわなと震え出した。悔しさからか、それとも自分の判断力の無さを突きつけられた羞恥からか、その顔は真っ赤に染まっていく。
「僕は……僕は騙されていたということか……!」
「ええ、そのようですわね」
「君は、僕が騙されているのを知っていて、黙って見ていたのか!」
これには思わず眉をひそめてしまう。この期に及んでまだ、責任を私に押し付けようとするのだから呆れを通り越して感心してしまう。
「わたくしが指摘しても、あなたは聞く耳を持たなかったではありませんか。昨日だって、証拠を求めるわたくしを『罪を隠すための常套手段』と決めつけましたわよね」
「うっ……」
「それに、わたくしは初めから何もしておりません。あなたが勝手に噂を信じて、勝手に憤って、勝手に謝罪を求めてきただけですわ」
ぐうの音も出ない、とはこのことだろう。ハイディンは唇を噛み、拳を握りしめている。
私は静かにティーカップを取り、一口飲んでから彼を見据えた。
「では、婚約を解消いたしましょうか」
「なっ……!」
ハイディンの顔から一気に血の気が引いた。
「な、何を言い出すんだ! それは、しない!絶対にしない!」
「あら、なぜです? わたくしは根拠のない噂を信じられ、詰られ、謝罪まで求められた被害者ですのに」
「そ、それは……それとこれとは話が別だ!男女というのは、そうやって様々な障害を乗り越えて、絆を深めていくものなんだ!今回のことだって、僕たちがもっと強い絆で結ばれるための試練だったんだよ!」
一体どこでそんな知恵をつけてきたのか。おおかた、また使用人部屋にでも忍び込んで、誰かが読んでいた恋愛小説の受け売りをしているのだろう。
この男の噂好きは、とうとう自分たちの関係性にまで及んでいるらしい。
「ハイディン様」
私はゆっくりと息を吐き、テーブルの上で指を組んだ。
「噂というものは、所詮噂に過ぎません。それが真実かどうかを見極める目と、それを確かめるための知識と技術がなければ、人は決して幸せにはなれませんわ」
「それは……」
「あなたは、これから正しい知恵を身につける気はおありですか?」
ハイディンは、先ほどまでの勢いはどこへやら、不安そうな顔で私を見つめる。そして、少し間を置いてから、こくりと頷いた。
「……ある。僕は、変わりたい」
その言葉が本心なのか、それとも婚約解消を恐れての場しのぎなのか、正直まだ分からない。けれど、少なくとも今この瞬間、彼は初めて「自分が間違っていたかもしれない」という可能性を認めたのだ。
私はゆっくりと笑みを浮かべた。
「でしたら、これからわたくしが一から、みっちりと教育して差し上げますわ」
その笑みの意味を、ハイディンはまだ理解していないようだった。




