野生の殺人トラック、殺(コロ)トラック。
桑野 慶喜は、今日も正しいことをしていた。
朝の通学路、歩きタバコのサラリーマンを注意し、道端に落ちたゴミを拾い、横断歩道で信号を無視する中学生を止めた。
――そのどれも、正しい。
けれど、誰も感謝はしない。むしろ遠巻きに、面倒くさそうな視線を向けるだけだ。
「……あいつ、またやってるよ。正義マン。」
「桑野マン、もうあれ病気だよ。」
その言葉を、慶喜は聞こえないふりで飲み込む。
正しいことを貫く。それが父に教えられた唯一の教訓だった。
父――。有名なトランペットプレーヤー。今は海外で暮らし、
日本に来てもテレビ番組に出て、息子の顔を見ない。
慶喜にとって、父は音と共にある幻のような存在だった。
放課後の教室。
「おい桑野、おまえ昨日、隣のクラスに注意しただろ? “宿題写すな”って。あれマジで空気読めよ。」
「だって、悪いことは悪いことだろ。」
「はあ? そういうとこだよ。」
乾いた笑い声が背後から飛んでくる。
その笑い声に、女子の冷たい視線も混じる。
僕の正しさは、孤独だった。
その日の夜。
適当につけたテレビのニュース番組が、異様にざわついていた。
――「元タレント・M氏、消息を絶つ」
キャスターの口調は妙に軽く、ワイドショー的な色を帯びていた。
M氏。
父のかつてのバンド仲間であり、盗撮とドラッグで名を落とした男。
「……ああ、ついにか。」
慶喜は、他人事のように呟く。
人が堕ちる姿は、いつかの正義の対極に見えた。
慶喜が知りうる身近な悪。
それに対して危機感・嫌悪感を感じていたのかもしれない。
M氏の存在は慶喜に対してある意味で
父親以上に影響を与えていたのかもしれない。
翌朝。
いつも通りの登校、いつも通りの孤立。
今日も誰かのために注意をした。
「それ、ポスターの文法が間違ってる。日本語も書けないと恥ずかしいぞ。」
そう言った瞬間、空気が変わった。
そのポスターを書いたのは女子生徒で、その取り巻きの男たちが顔をしかめる。
「おい、桑野。おまえさ、いい加減にしろよ。」
衝撃。
顔面が歪み暖かさを感じる。
その後気づくと床が冷たさを感じると同時に、頭が鈍く痛んだ。
正しさが拳よりも軽いことを、ようやく身体が理解した瞬間だった。
早退の道。
歩道をふらつきながら、街のざわめきが遠く感じた。
そのときだった。
――「ニャア~」
猫の悲鳴。
小さな灰色の猫が、道路の真ん中で動けなくなっていた。
迫るトラックのエンジン音。
慶喜は迷わず走り出した。
猫を抱き上げ、振り返る。
そのトラックは、妙だった。
錆びたボディに、禍々しいほどの艶。
獣のように歪んだフロント。
ヘッドライトが真紅に染まり、まるで獲物を追うように軌道を変える。
「……まさか、野生の殺トラック……?」
ネット上の噂でしか聞いたことのない、都市伝説。
逃げても逃げても、必ずホーミングして轢き殺す、呪われたトラック。
一説には異世界転生のための“選定車両”とも言われていた。
慶喜は全力で走った。
狭い路地に入り、フェンスを飛び越え、坂道を転がる。
それでも――エンジン音は背後に張りついて離れない。
「……ふざけんなよ……!」
息が切れ、足がもつれ、視界が白く霞む。
轟音。
背中に熱風。
世界が反転する。
血の匂い。自分の身体がばらばらになっていく感覚。
「こんなことだったら……悪いことをするんだった……!」
最後に見たのは、猫が無事に道路の端に逃げる姿。
それだけで、少しだけ報われた気がした。
――桑野 慶喜、死亡。
次の瞬間、彼は光の中に落ちていった。




