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5

ハウスの引き戸を開けると、外の冷気が頬をかすめた。今日でここに来るのは6度目……。

中は穏やかに温く、空気にわずかな湿りがある。

温度計は二十三度、湿度計は81%。


奥の畝で、知花がしゃがみこんでいた。


指先で株元の土を押し、沈み具合を確かめている。

古い葉を外して、足元にまとめた。蜂が花の列を行き来し、羽音だけが空気を揺らしている。


篠崎は通路を進み、声をかけた。

「おはようございます。」


知花が顔を上げ、軽く頭を下げる。

「お忙しいのに、また来られたんですね。」

「味を見たくて。」


知花は一粒を摘み取り、掌にのせて差し出した。

「今朝のです。」


その指先がかすかに触れる距離で止まる。

熱のある空気が、互いの呼吸のあいだに溜まった。


篠崎は受け取り、口に運ぶ。


冷たい果汁が舌に広がる。

香りが強く、酸が柔らかい。

甘みが奥行きをもって残る。


「……違いますね。」

篠崎は、思わず声に出していた。


「夜、五度まで落としているんです」

知花の声は静かだった。


「五度?」

篠崎は顔を上げた。

本では十三度が最適――そう書いてあった。

だが、この味が理屈を超えるのを裏付ける。


知花は視線を落としたまま、株元に手を戻す。

無駄のない動き。

幼い頃から手伝って見てきた磨かれた経験。

理論と感覚。三つが重なって、ここにひとつの“仕事”になっている。


篠崎は静かに息を吐いた。



何も言葉はなかった。


けれど、その一瞬に、互いの中で同じ温度が生まれていた。


世界は違っても、

やっていることは同じだ。


温度を読む。

素材の声を聞く。

そして作り上げる……


奇跡でも何でもない。

ただ、積み重ねた“正確さの熱”がここにあった。


蜂の羽音が遠ざかり、

ハウスの中に静かな余韻が残った。


篠崎はもう一度苺を見た。

そこにあったのは、知花が作った“生きている熱”だった。

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