3
知花が小さな木箱を持って戻ってきた。
摘みたての苺が並ぶ箱を、両手でそっと差し出す。
ハウスの光を受けた果実は、透き通るような赤を放っていた。
「どうぞ。あまり綺麗じゃないですけど……」
「……充分だ」
指先が一瞬触れた。
冷えた指。
冬の透明な空気の中に、甘く柔らかな香りが広がった。
陽光に温められた果実の匂い。
ほのかに酸を含んだ、瑞々しい甘さが、鼻腔をくすぐる。
――すごいな。香りが
苺が箱の中で小さく呼吸しているようだった。
彼は指で一粒を摘み、光に透かす。
種の粒が輝き、
赤の奥にはうっすらと琥珀色の層が見える。
噛まなくても分かる。
この果肉は、手で守られ、光で育った味だ。
そのまま、口に運ぶ。
噛んだ瞬間、
小さな破裂音とともに、酸味が弾けた。
すぐに、それを包み込むような甘みが押し寄せてくる。
舌の上で果汁が広がり、
次の瞬間には鼻から花のような香気が抜けた。
冷たいはずなのに、温かい。
甘いはずなのに、清らかだ。
心の奥を掠めていく感覚に、思わず息を止めた。
「………………なんだこれ」
低い声が自然に漏れた。
薫が、驚いたようにこちらを見る。
大樹はもう一口噛んだ。
果肉がほどけて、淡い酸が喉を滑り落ちていく。
「すごい……」
静かなハウスの中で、その言葉だけが響いた。
知花が少し困ったように笑う。
「そんな……うちの苺、普通ですよ」
「普通?」
大樹は視線を上げた。
「この均一な糖の立ち方、
果肉の密度と繊維の柔らかさ、
香りの層のつくり方……全部、計算されてる。
偶然じゃない」
「計算なんてしてません。
父のやり方をそのまま続けてるだけです」
「その“続け方”が、完璧なんだ」
知花は目を丸くし、
言葉を失ったように立ち尽くす。
薫が半ば呆れたように笑った。
「お前……仕事モード入ると口数増えるな」
だが大樹は笑わず、
ただ苺を見つめたまま言った。
「薫、食べてみろ」
「え? 俺?」
「いいから」
薫が恐る恐る一粒つまみ、口に放り込む。
次の瞬間、
その表情が変わった。
「……香りが、追ってくる。
食べた後に、もう一段甘さが上がる」
「だろう?」
大樹の声が低く響く。
「糖度じゃない。
……生きてる苺だ」
沈黙。
知花は何かを言いかけて、
結局小さく笑った。
「……そんなふうに言ってもらえるの、初めてです」
その笑顔に、胸が強く鳴った。
大樹は目を逸らし、
視線を箱の中の苺へ落とした。
光を浴びた果実が、まるで命を宿しているように赤く燃えていた。
「この苺を、どうしても守りたい理由が、分かった気がする…それに――」
「え?」
「いや、なんでもない」
彼は小さく首を振り言葉を飲み込んだ。
指先にはまだ、彼女の苺の香りが残っていた。
それが離れなくて、
車に戻っても、ずっと胸の奥に残っていた。