13
大樹は少し離れた場所から、その光景を静かに見ていた。
胸の奥で何かが小さく疼く。
視線を落とし、彼女の幸せそうな表情を見つめて思う。
――こんな顔、初めて見る。
やがて紅煉は腕をゆるめ、知花の肩を軽く叩くと大樹へと視線を向けた。
「あなたは……?」
大樹は静かに一歩進み、真っすぐに名乗った。
「篠崎大樹です。知花の夫です。」
「そうか。」
紅煉は一瞬だけ目を細め、そしてふっと微笑んだ。
「結婚したのか!!おめでとう…よかったな。知花。」
その声音に、かすかに懐かしさと安堵が混じっていた。
知花は頬を染め、少しだけうつむく。
「ありがとう、紅煉。」
夜風がカーテンを揺らした。
三人の間に言葉では言い尽くせない静かな時間が流れていく。
――そのとき、大樹は初めて思い知った。
彼女が誰かを好きでいる可能性と自分達の結婚が契約であることを……
「今日から下宿させてほしい。明日から早速手伝うよ。」
唐突な言葉に知花は箸を止め、ぽかんとした。
「えっ……いいの? 仕事は?」
紅煉は肩をすくめて、いつもの調子で笑う。
「来年の春までは元々一年休むつもりだったんだ。
こっちで色々やりたいこともあって……」
その声音は穏やかだったが、大樹の胸の奥にはわずかに鈍い音が響いた。
(……一年)
その言葉が頭のどこかで繰り返される。
彼は冗談を言っているわけではない。
本気の目をしていた。
知花は迷うように大樹を見た。
目が合った瞬間、色んな言葉を探したが声にならなかった。
「……俺は構わない。俺の家じゃないから。」
結局それだけをようやく絞り出すように言った。
知花の唇がわずかに震えた。
紅煉はそんな二人の間の空気に気づいたのか、
一歩だけ下がって静かに言った。
「ありがとう。ちゃんと手伝うから。迷惑はかけないよ。」
外では初夏の風が網戸を鳴らした。