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―――翌日
病室の窓から、冬の日差しが斜めに差し込んでいた。
白いカーテンの縁が微かに揺れ、
乾いた暖房の風に消毒液の匂いが混じる。
知花の父・里見喜一は、上体を起こして座っていた。
包帯を巻いた右腕を膝に置きしっかりと篠崎を見ている。その目には歳月の重みがあった。
人の“嘘”を一瞬で見抜くような目だ。
「……あんたが、篠崎大樹か。」
低い声。
「はい。」
篠崎は立ったまま、軽く頭を下げた。
「結婚したと聞いた。」
「はい。」
「理由は、再建のため――だと?」
「そうです。」
喜一は眉ひとつ動かさない。
沈黙のまま、視線だけが篠崎を測るように動く。
「……農園のために結婚か。」
声の奥には怒気よりも“確かめる圧”があった。
篠崎はまっすぐ答える。
「はい。農園を残すために必要でした。
けれど、中途半端に終わらせません。」
「どういう意味だ。」
「僕が背負います。責任も。生活と、
里見さんと知花さんが守ってきた畑を」
一瞬、喜一の目が細くなった。
そのまま無言で窓の外を見る。
「……あんた、農家じゃないだろ。」
「ええ。パティシエです。」
「菓子職人が、土をわかるか。」
「わかりません。」
「なら、どうする。」
篠崎は一拍おいて答えた。
「知花さんのやることを、全部支えます。
ここでできた苺を、
誰が食べても“この味だ”と分かる形にして出す。
それが俺にできることです。」
短い静寂。
喜一の手が、膝の上でわずかに動いた。
包帯の下の指が何かを確かめるように曲がる。
「……言うのは簡単だ。」
「わかってます。
でも、やらなければ終わります。」
その瞬間、
喜一の目にうっすらと光が射した。
ほんのわずかに、空気が緩む。
知花が小さく口を開いた。
「お父さん。私がお願いしたの」
「知花。」
「このままだと、もう続けられない。
でも……お父さんが残してきたこの土地を、
私、手放したくなかった。」
喜一は娘を見た。
その視線には怒りも涙もなく、
ただ“覚悟を測る”静けさがあった。
「……自分で決めたんだな?」
「うん。」
短い沈黙。
やがて喜一が言った。
「1年間、俺は見守るしかできない。肋骨内蔵に刺さって危うく死ぬとこだった。正直今は助かる。
――よろしくお願いします。」
そう言って喜一は頭を下げた後
「……但し知花を泣かせたら、ただじゃ済まさん。」
と日焼けした顔で笑った。
篠崎は軽く頭を下げる。
「こちらこそよろしくお願いします。お義父さん。」