ラス、選択を迫られる(前)
またしても長くなったので、分けました。
ラスが近衛を押しのけて王の執務室に飛びこんだとき、中にはすべてのガヴァネス――平均年齢は五十代、国の中枢を担う王族賢人武人が、王の執務机を囲むようにして彼を待ち構えていた。
事情を知らない近衛の中には賊を取り押さえる仕事を忘れ、「辺境伯殿?……ほんもの!」「じょ、上皇さま⁉」と叫ぶ者もいた。それら部外者をできるだけ傷つけないよう扉から締め出し、ラスは錠をかけたついでに防御魔術で入口を固く塞いだ。破られるのは時間の問題だろうが、少しは静かになった。
ラスは父に向き直った。胸に抱えたままの紙袋は振り回したせいでぐしゃぐしゃだ。
「父上。いや、ハッピー。聞きたいことがあって来た」
試練に旅立つまでは肩にかかるほど伸びていた王の自慢の金髪は、襟足を剃りあげるほどの短髪に整えられており、ラスは髪型ひとつで簡単に騙された勘の悪さを呪った。
二十は老けた顔立ちでも、いま見れば父が件のガヴァネスであるのは間違いなかった。いつも重々しい表情の父王が、軽薄そうに口の端を上げたせいもある。
「わざわざドックを人質にしてまでここまで来たんだろ? いいぜ」
王が机に置いていた指環を着けると、瞬時にハッピーへと姿が変わった。分かってはいたことだが、ラスの胸は重く跳ねた。それは、約一年を別の人物として認識していた相手が自分の父だったことへのやるせなさと反発。
例え中身は父王であっても、飄々とした気風の若者が国を背負うべき大椅子に腰掛けている違和感。
ラスは眉間を顰めた。
すると悪感情を察したハッピーが、いまや好々爺然と座るドックに話しかけた。
「俺が初めてここに座ったのは、この歳――十八の頃でしたね父上」
「あぁ。二年間だったかな、儂がちぃと体調を崩したときだった」
「そうです。……な? 俺、王様全然似合ってないだろ?」
ハッピーはラスにからからと笑いかけた。御年七十のドックも衒いのない笑みを浮かべている。
「だからまぁ、お前が俺に気づかなかったのは当たり前だ。さすがに政務でハウスに居られる時間は限られてたしなぁ」
妙な庇いたてにラスの眉は跳ね上がった。
「……どうでもいい話はやめろよ」
「どうでもよくはない。王妃の森から逃げ出した王子は巨万といるけど、正体まで分かった者は少ないはずだぜ。な、スリーピー?」
「記録では、現王まででたった五件です」
さすがに王の前だからだろう、前髪から顔を出したスリーピーが肯いた。次いでラスへと静かな瞳を向けた。
「五十三年ぶりです」
陽の光を集めたような微笑みをたたえるドックが「あぁ懐かしいね、ハロルド兄上のことだ。優秀な人だったから」と目尻を緩ませた。
するとハッピーが「俺なんて、全然誰にも気づかなかったしな」と鼻に皺を寄せた。
(そうか父上もお祖父さまも……みんな試練に挑んだのか)
理屈では分かっていたつもりだった。
最初の王女から二百年続くしきたり。
王族の王子は十六歳の一年を王妃の森で過ごし、王の試練に臨む。
しかし――彼においては父がすべての頂点だったゆえ、王である父は生まれたときから王族然とした優秀な人物だったと信じて疑ったことがなかった。今の今まで。
つい、呟いた。
「父上は試練に全部合格したんだよな……?」
それが当然のことと思って過ごしてきた。
苦しかった、できない自分を認められなくて諦めることを諦めきれなくて。
ハッピーは苦笑し、老いたドックと目を合わせた。観念したように両手を上げた。
「俺も父上も半分も合格してない」
ラスの息は詰まった。
「おい、わたしは四つした。勝手に減らすでない」
「いや俺のときは父上が頑固しなかったら四つ獲れただろー! しかも五年もあとに正体バラしたことはまだ恨んでるんだからな」
「だって気づかないんだから仕方ないだろう」
孫と祖父ほどの親子が言い争うのを、ラスは遠くに聞いていた。
(僕は五つ……じゃあ僕は、父上よりも……)
ラスは一瞬父に優越感を抱いた自分の思考にぞっとし、強く首を振った。ぎゅうぎゅうと心臓が縮まって息を乱した。
――違う。
試練に合格した数が多いからといって誰かより優れてるなんてことは、ない。
(七つすべてに合格したからって、僕は……王には向いてない)
十一か月前、試練を制覇して成人の儀を行ってやると、皇務に就いて他国を見てみたいと思っていた自分の何て愚かだったかを、ラスは改めて悔やむ。過去に戻れたらぶん殴ってやりたかった。
試練に合格してもなお、ガヴァネスたちに到底及ばぬ実力、知識――王族としての経験。それをたった一年で、七つだけの石で測れるわけがないのだ。
ラスは充分、思い知った。
「それでラス、俺に言いたいことって何だ?」ハッピーが椅子に背を預けふんぞり返った。
ラスはそれを何の感慨もなく見つめ力なく首を振った。
「もうどうでもよくなりました。……僕は出ていきます」
黙って様子を見守っていたガヴァネスたちが目を剥く中、ラスはつかつかと執務机に近づきしわくちゃの紙袋をそこに置いた。
「これは適当に捨ててください」
「おいっ、ランスロッド!」
ハッピーが立ち上がった。
「探さないでください、出奔しますから」
足元が崩れて真っ逆さまに落ちていく妄想に耳鳴りすらして、ラスは弱々しく拒絶した。
するとドックが騒ぐハッピーを制し、「待ちなさい」と立ち上がった。隣に立っていたスリーピーが手を差し伸べた。ドックはその手を取って姿勢を正した。彼を見上げる。
(こんなに……)
はた、とラスは足を止めた。三十も年を経た姿だからだろうか――ハウスで接したドックは常にこの世の正義を身に宿らせたような威厳に満ち、大きく見えていたのに。
(お祖父さまはこんなに小さかっただろうか)
動揺で青い瞳を揺らすラスにドックは厳かに宣言した。
「ノウス国第一王子ランスロッドよ。しきたりに従い王妃の森から自力で脱出し試練を放棄する者へ、七人のガヴァネスを代表して伝えることがある」
(……放棄)
「まず、ひとつは問いだ」
ラスの背後、部屋の扉を塞ぐようにして黒の大鏡が出現した。
「このまま王子として生きるか。それとも、市井で王族であったことを忘れて生きるか。どちらかを選びなさい」
「待ってくれ、忘れる?」
並ぶドーピーとスニージーが一歩前に出た。「すっきり忘れさせてあげますよ」「人里に飛ばすからー」すぐにでも詠唱できるとラスに答えを促す。
「魔術で……記憶を?」
「そぉよ、だって覚えてられたら困るでしょ! そのつもりがなくても危険分子になっちゃうし、思い立って謀反とかされたらねぇ~?」
バッシュフルの流し目に、ラスはサッと顔色を変えた。
「そんなことッ!」
「ラス坊……おれらはお前さんが謀反を起こすなんて思ってやしないぜ。だけどな、これは大事な決まりごとだ……お前さんは賢いから分かるはずだ」
クランピーが怒らずに言った。
ラスは震えていた。
望み通りの展開だった。笑い出したいほど!
すべて見通し済みのお膳立てには腹が立つ心地にもなるが、これ以上の引導はないだろうとも思えた。
王宮の暮らしに戻っても、あと一年は間違いなく自由のない生活に戻るだけになる。朝起きて私室に教師を招きお茶をし、昼食を食べ、午後は鍛錬かダンスをする。午前の課題をして夕食を食べ体を清めて就寝する。
常に誰かが側にいて世話をし、健康を安全を損なわないか見守り見張る。
(そんなのはもう、耐えられない)
思えばハウスでの暮らしは不自由ではなかったのだ。
確かに森に閉じこめられているという事実はあっても、ラスは行動を制限されたことはなかった。
「おはよう」と言えば慇懃な礼ではないただの「おはよう」が返ってくる。「おやすみ」には微笑みと「おやすみ」が。
ガヴァネスたちが同じように過ごすのを眺めた。パイを焼き短気を起こしスライムに寝そべり好きなだけくしゃみをし一晩中本を読んで――時には一緒に街へ遊びに行って。それはまるで家族のように。
それが終わるのだ。
ラスは知ってしまったのに。自由を。




