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ラス、逃げる(前)

長いので分けて、2話同時投稿です。

 鏡の先は、どこか見覚えのある豪奢な部屋だった。明け方だというのに明かりが灯され、ぼんやりと周囲を照らしている。

(ここは……間違いないノウス国だ。しかも……王宮じゃないか!)

 壁紙や調度ひとつ取ってもよく見知った意匠と雰囲気――ラスはハッと身を強張らせた。

(どうしてスリーピーの部屋からここに?)

 ――王の私室。

 ラスの目蓋に、十六になった夏この場所で短剣と指環を与えられた記憶がありありと甦った。


(父上と知り合いなのか? それとも試練のことを……?)

 そこで合点がいって、彼は詰めていた息を吐いた。それなら話は分かる、王宮の教師も父に直接報告していたはずと安堵した。

 耳を澄ませば分厚い仕切り布の奥から声がする。

(……ハウスに戻ろう。見つかったらきっと叱られる)

 しかし久しぶりの王宮、しかも父の私室に予期せず訪れたことで、ラスは一目ひとめ父の姿を見たいと思ってしまった。


(ちょっとだけだ)

 布の端から彼は頭をそっと突っこんだ。だがそこは薄暗く、父たちはさらにその奥の部屋で話をしているようだった。抜き足差し足で入りこみ、丸テーブルやカウチに躓きそうになりながら彼は声の聞こえる距離まで近づいた。

 お誂え向きに隙間は人ひとり分ほどしかなく、気配を殺したラスはそっとしゃがんで会話を聞きとることに集中した。


「……もうすぐ合格するでしょう。ラスは随分成長しましたよ」

 スリーピーの落ち着いた声が、自分を褒めていると知って彼は頬を緩ませた。しかし、

「それって手心加えてんじゃないのかー? なーんか叔父貴も父上もあいつに甘いような気がすんだよなぁ」

「まぁラスは可愛いですから」


 ラスは聞き間違ったかと耳をそばだてた。

(父上の声じゃない、ハッピーの声だ。……どうしてここに? しかもスリーピーがハッピーに敬語?)

 呼吸すら忘れる混乱。状況が掴めない。ここは父の私室ではないのか? いや、間違いないはず。

 続く会話が彼をさらに追い詰める。

「お前はほだされんなよー?」

「ご心配なく。王ほど厳しくはなくとも、期限ギリギリまで見極めるつもりですから」


(いま……『王』と言った?)


「だからさー、まさかアイツがあっさり()()するとはなー」

「またその話ですか。ご自分で課題を出したくせに……おや、もうこんな時間ですか。あの方々もお祝いだと言って酒盛りでこっちに来てるはずなので」

「あぁ、ラスが帰ってきて誰もいないのは困るな。ご苦労だった」

「御身を大切に。少しは休まれてくださいね」

 「お前にだけは言われたくない」とハッピーの苦笑が聞こえた瞬間、ラスは我に返った。


 心臓が早鐘のようだった。

 ラスは大鏡に飛びこみ、スリーピーの部屋から転がるように出た。勢いのまま扉を閉めたその中から靴音がし、なりふり構わず自室に逃げこんだ。「ラス?」と呼ばれたが気のせいだと思うことにした。

 冬用の掛布とシーツの間でじっと待った。

 スリーピーの足音が去るのを、考えがまとまるのを、ドッグが心配そうにノックして去るのを――――再び、ハウスから逃げ出すことを決意するまで、じっとしていた。



     ***



(僕は王子だ。出自を変えることはできない)


 音を立てぬようスープに口をつける。スニージーのくしゃみから全員の食事を守ることも忘れない。


(でも行動を、生き方を選ぶことはできるはずだ)


 バッシュフルに誘われて体術の鍛錬をし、そのままクランピーから魔術陣の実践を学ぶ。それは他の男たちとも同じで、ラスは以前と変わらず忙しい。

 だからこそ試練が終わっても、持てる知識を与えようとするガヴァネスたちに、ラスは素直に感謝していた。自分にまだまだ学ぶべきことがあるのは分かっている。


(もう、やりもしないうちから過信したり諦めたりはしない)


 秋にドッグと植えた花々が湖畔で咲き誇るのを見届けた夜だった。

 夕食後ドッグが降参したと言わんばかりに「合格を差し上げます」と微笑んだ瞬間、ラスは計画の即時決行を決めた。



 ハッピーを抜かしたガヴァネスたちがわっと拍手をする中、彼は風魔術を展開し視界を遮り腰に提げていた短剣の鞘を抜いた。ドックの首に左腕をかけ形のいい顎先に刃を向けた。紙すら滑らせたことのないそれは食卓の明かりを眩く反射した。


「誰も動くな」

 スライムに座る者、立ったままの者、咄嗟に構えた者――八つの瞳がラスを驚愕を以って見つめていた。

「ちょ、っと~。冗談キツすぎるわよ、面白くないからやめなさいって」

 バッシュフルが油断なく目を光らせながら言う。

「冗談じゃないよ。僕は今、ここから出ていく」

「出ていくって、どこにです?」

 ドーピーが興味なさげに聞きながら、スライムクッションから身を起こした。クランピーが「おい下手に動くんじゃねぇっ」と窘めた。


「ハッピーの……いや、父上の部屋に」

 「……もしかして(もひかひて)」スニージーが鼻を押さえながら眉を寄せた。

 ラスは肯きドックに「大鏡を通るまで人質になってください、お祖父さま」と静かに頼んだ。


「フンッ。もうバレちゃってるってことなら、いいわよね!」

 バッシュフルが指環を外すと、淡い輝きが彼のシルエットを瞬時に曖昧にした。そして光がおさまったときには、背中まで伸びたブルネットを煩わし気に払う壮年の男性が立っていた。筋肉というより筋骨隆々という体格、そして極寒冷地であり国境守を背負う風格が漂う。先ほどまで和気藹々としていた食堂に立つには異物すぎる人物。

「ラスあんたね。試練に合格したからって、アタシに勝てるなんて思ってないわよねぇ?」

「……思ってたらお祖父さまを人質にしたりしません、大叔父上」

「あぁら、ここは辺境伯サマって呼んでいただきたいところですわ、王子サマ?」

 剣呑な視線がラスを貫いた。


 するとほかのガヴァネスたちも次々に指環を外して術を解いていく。

 クランピーは五十絡みの痩せぎすの初老に、スニージーはさらにボリュームを増したくせ毛の年齢不詳、ドーピーは一番若いようだがそれでも四十後半の黒髪眼鏡――国の枢軸を担う人物たちが指環に仕込まれた術陣によって二十も三十も若返っていたのを目の当たりにし、ラスは腹の底で煮えくり返るような怒りを抑えこんだ。


「こんな茶番、絶対に僕で終わらせてやる」

 するとそれまで黙っていたドックが静かに言葉を発した。

「……ガヴァネスとの共同生活は、もう二百年は続くしきたりだ。継承権のある子どもにとっては意味のある……」


(しきたりだって⁉) 


 カッとラスの頬に朱が走った。

「うんざりだ! 問答無用でこんな場所に閉じこめられるのも、しきたりの一言で納得させられるのも……王子だからって自由のない生活も!」


 誰かが「(反抗期か)」と呟き、ラスは「うるっさいな!」とドックの首を強く引っ張った。途端、悲鳴に似た声が上がった。

「上皇……!」「兄上!」


(知るもんか!)


 そのとき、それまで沈黙していたスリーピーが「ラス」と呼びかけた。クッションに凭れたままだった彼はそっと立つと、

「それが『答え』か?」

 と、長い前髪の奥から尋ねた。

(違う!)

 問われているのは、課題のことだとすぐに分かった。だがいまのラスには、長々と心情を説明する余裕はない。

 静かなでいっそ穏やかな瞳に、彼は歯ぎしりした。

 こんな結末に。自分の愚かさに、それでも抑えられない苛立ちに。


 ラスはドックの部屋に、ほとんど彼を引きずるようにして運んだ。扉に防御壁を二重に張り、刃は首元を狙ったまま。

 大鏡はやはりドックの指環に反応し、水面を揺らした。錠を下ろした扉が蹴られ、騒音が響き始める。バッシュフルが怒っている。時間の問題だ。


 ラスはドックの指環を奪うと、首から手を離し「王の私室へ」と唱えてひとり鏡の中へ身を躍らせた。

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