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ラス、がんばる

 雪融けを迎えてすぐ、ぬかるむ下生えの森でラスの鍛錬は再開した。


「ほらほらッ! まだ筋肉鈍ってんじゃないの、もっと強いの寄越しなさいッ」

「ぐっ―――そうはいかない、から!」

 通算二百三回めの簒奪阻止である。

 滑る地面さえ利用して足払いを仕掛けてくるバッシュフルを躱し、ラスは木の幹を蹴りつけて残る雪の上に着地、すぐさま身を翻しハウスへと走る。


(挑発に乗っちゃダメだ……僕の方が有利のはず、むしろ地面が悪い場所で差を……!)

 だが泥と融けかけの雪が一歩を捕らえ、重くする。


 とはいえ、冬の間ただゴロゴロしていたラスではない。ドーピーにスライムを用いた筋力増強の研究を持ちかけたり、外出先がなく暇そうなハッピー相手に魔術の強化練習を頼んだりとできることはやってきた。

 それに、ガヴァネス不在の雪の降る森では好きに魔術を練習し放題で調整に磨きがかかり、ついでに治癒魔術もそれなりにサマになってきていた。


 ラスの心境にも、春が近づくにつれ変化が生まれていた。

「絶対に……ゴール、するッ……!」


 「あっ!」バッシュフルの追走に気を取られた瞬間、ラスは獣用の罠に左脛を噛まれた。「うぅああ!」声を上げたと同時、熱を伴う痛みで呼吸が乱れる。しかしラスは一瞬歯を食いしばりすぐに「水よ」と唱えると、噛まれた患部ごと凍らせた。重いが構ってられない必死に走る。


 追う容赦のない上段の蹴り、次ぐ掠める拳。避けたもののついにバランスを崩した。(来る!)簡単に皮膚を裂く手刀の気配に彼は咄嗟、「風よ……!」と叫んだ。


 精神の乱れは魔術の形を乱す。鋭く大風が発現しかたと思うと、それはラスの体を巻きあげながら空へポーンと飛ばし――――霧のごとく消失した。

「このばか! ラス!」

「わぁぁぁぁぁぁ……!」


 筋力強化で人間並みでない跳躍を見せたバッシュフルはハウスの屋根に飛び乗り、重力のまま落ちてきたラスを危なげなく受け止めた。だが危なかったのは屋根の方で、ふたり分の重みに耐えかね「バッキィ」と盛大な悲鳴をあげたが最後、大穴を開けた。

 そこはちょうど食堂の真上で、ドッグとスニージーが食事の準備をしていた。


 「ぎゃあぁ!」「やっだぁぁぁ!」「おぉ……⁉」「風よぉ!」


 辛うじて間に合ったスニージーの詠唱でドッグを含むすべての動くものが宙に浮かべ留められた。

「はぁセーフ。よかったぁ。みんな無事かい?」

 そろそろ花粉の気配はすれど鼻水の出ていない風の魔術師が率先し、てきぱきと料理と埃と瓦礫を分けた。吹き抜けになった天井はドッグがため息をつきつつ簡易な修復を施した。あとでクランピーが怒りながらも元通りにするだろう。

 ラスはバッシュフルに抱えられたままドーピーの私室兼医務室に連れていかれ、寝起きの眼鏡に「何ですかこの雑な冷却は」と嫌味を言われた。


「ハァ、治すわよ」

 罠が取り払われた傷を、と筋肉のガヴァネスが手をかざしたときだった。「待ってよバッシュフル」ラスはそれを押しとどめた。大きくて厚みのある手を、彼はぎゅうと両手で握った。

「……何よ?」

「僕って、合格?」

 ラスの視界の端でドーピーが目を瞠った。


「僕の方がハウスに先に着いたよね?」

「………………チッ。気づいてたか」

「じゃあ」


 ハァァ――――。

 天を仰いで長い長いため息を吐きだしたバッシュフルだったが、「仕方ないわねぇ」と肩をすくめると、指環の印章に触れ「証を」と息を吹きかけた。するとラスの印章――大樹を抱く空の星のひとつに石が嵌った。それは砂粒ほどの小ささに見えてまるで本物の星のごとく光を放った。


 にっこり。驚きで目を丸くするラスに、バッシュフルは目尻に皺を寄せ破顔した。

「おめでとう、ラス。体術の試練は合格よ。ま、魔術使ったしギリギリだけど!」

「本当に?……やっ」

 「たぁぁぁぁ!」ラスより先にドーピーが諸手を上げて喜んだ。頭をぐしゃぐしゃにされる。

「わぅ、ドーピーちょっと」

「やったわねぇ王子サマ! やっだぁ悔しいぃー」

 するとバッシュフルがラスを持ち上げ、その張りだした肩に乗せた。

 凱旋パレードである。

 騒がしさにクランピーとスリーピーが出てきて経緯を察し、彼の体を「おめでとう」と滅茶苦茶に叩いた。

 スニージーはどこからか花を飛ばして散らし「ぐっしゅん」と今年初のくしゃみをし、ドッグは輝かしい微笑みで称えた。みなが彼に握手を求めた。朝にも関わらず葡萄酒の栓が開いた。


「ありがとう、みんな」

 治癒してない脛がひどく痛んだが、ラスはしばらく揉みくちゃになることを選んだ。心の底から嬉しかった。ようやく認められたことが、実力を積めたと自分を称えられることが。


(……やっぱり最後まで試練に挑戦したい。公務とか外国なんて関係ない。もっと、強くて賢い大人になりたい。ガヴァネスみたいな大人に)


 ―――そのあとはラスの初合格を祝うムードですべての授業はなくなった。青空の美しく澄んだ春の日のことだった。



     ***



 ラスはその後、順調に合格を重ねていった。


 「くぅおぉらぁぁ――――!」「えぇぇぇ――――い!」千本火球は水魔術の防御盾と風の同時詠唱で軌道を逸らし続け、クランピーを見事バッシュフル仕込みの蹴りで封じることに成功した。


「さぁさぁ水が溜まってきましたよ……ふふふ、今日もダメそうですねぇ」

「ごぼごぼぼぼ……と、見せかけて先に空気膜をつくっておいた!」

「な、なんて小癪な!」

 腹黒には腹黒を。

 しかしドーピーに気づかれずに全身に風魔法を纏わせておくために、ラスはひと月の間、食事のときもスライムでゴロゴロするときも魔術を行使し続けた。全集中の日々の賜物である。


 花粉シーズンの始まったスニージーの試練に――変幻自在の風を操るガヴァネスの手元から彼の大切な短剣を取り戻す―――ラスは手こずっていた。近づくことがまず難しいのだ。時には上空に飛ばされ、完全に遊ばれてしまうこともあった。しかしついに好機は来た。

「は、は、はぁっっくちゅん……」

(い ま だ !)

 「水よ!」スニージーの鼻水を瞬時に凍らせたラスは、鼻も口も塞がれてわたわたする相手と一気に距離を詰める。途端、刃物のような風が彼の肌を切り裂いたが構うこともなく、突っこんだ。そして「火よ!」指先から炎を迸らせた。

「ちょ、わ、わ、火はまずいってぇ!」


 そのあとスニージーから合格をもぎ取ったラスだったが、本当にまずいことになったので六人のガヴァネスに囲まれて正座で叱られた。またしても全身に風の魔術を纏い火だるまで飛びこんだ作戦はさすがに捨て身過ぎる、森の端の空き地が全焼、ラス自身も自力では治癒できない数の火傷を負ったからだった。


「あのねぇ……いくら目的のためとはいえ、御身を犠牲にして利があるとお思いですの王子サマ?」

「損害を見積もれない王は国を滅ぼします。浅慮が透けてますねぇ」

「くぉぉらぁぁ! 火魔術を舐めんなよラス坊! 合格取り消してもいいんだぞ」


 「すみませんでした……」すっかりしょげて顔を上げられないラスに、ガヴァネスたちは一応の溜飲を下げた。それぞれから火傷を治癒してもらい、しょぼしょぼと自室に戻り――。

「……っしゃあ! これで四つだ……!」

 小声でひとり拳を握った。指環に灯る煌めきは四つ、残る試練は三つ。

 嬉しさに取り戻した短剣も両手で掲げた。去年の夏、ハウスに連れて来られてからずっとスニージーが持っていた、父からもらった短剣だ。鞘から抜くと、手垢ひとつない刃が彼の青い瞳を映した。



 そのとき、窓がこつんと音を立てた。外を見たラスはそれが三度続いたのを待ち、硝子戸を開けてやった。

「ハッピー、久しぶりだな!」

「おー、僕ちゃん元気かー。あれ、なんかでっかくなってねぇ?」

「背が伸びたんだよ。それより全然姿を見ないから心配してたんだぞ」


 ハッピーはきょとんとすると「べ、別に忙しかっただけだかんな」と淡く頬を赤らめた。ラスもなぜ照れたのかと、きょとんと見返した。

「と、とにかく! 遊びに行かねぇか」

 ハッピーが親指を外に向ける。

 しかし今日ばかりはラスも慎重だった。先ほどまでこってり絞られていたのだ。

「んー行きたいのは山々だけど、今日はちょっと疲れてるんだよな」

「あ?……あれ、その短剣……もしかして風の試練合格したのか⁉」

「うん、なんとか。捨て身過ぎるって正座させられたから膝が痛い」


 「いつの間に」今度はハッピーがあんぐりと口を開けるのを見て、ラスはムッとした。

「ハッピーが全然来ないからだろ。あとはスリーピーとドックと、君のだけだよ! ほら」

だが印章とラスの顔を驚きのまま往復する視線に、思わず胸を張った。

「知らなかった……誰も教えないから」

「だって来ないんだから教えようがないだろ? そうだ! なかなか会えないから聞けないでいたけど、遊びの試練って何なんだ?」


 冬の終わり頃から約ふた月。ハッピーの行方については、どのガヴァネスも「知らない」の一点張りでラスが困っていたのは本当だった。

「あー……」

「なんだよ、教えろよ」


やけに歯切れの悪いハッピーにラスの顔も曇る。

「一応確認するけど」

「うん?」

「好きな人はいないよな?」


 ラスはぎょっとして「いない! 全然いない! 知り合ってもいない!」とほとんど叫んだ。ハッピーは「だよなぁ」と普段の彼らしくなく肯き、

「ならやっぱり出ようぜ。うまくやれば今夜中にケリがつく、かもな」

 と、顎をしゃくった。

「今夜? それって合格できるってことか?」

 まだ妙に浮かない顔のハッピーが再び肯くのを見て、ラスは俄然やる気が湧き窓枠からすらりと外へ出た。

「行こう!」

「……まぁ、そうだな」

 ふたりは慣れた仕草で指環を合わせ、森から転移した。



 ――着地した先は、まだ粉雪の舞う街の中だった。

 市が立つでもない、賑わいがあるわけでもない狭く細い石畳をラスは眺めた。

(……今日は、あまり楽しい場所ではないようだ)

 これまでハッピーは、二十を超える街にラスを連れだした。暮らしぶりが裕福そうな商業街もあれば、質素な、または朝から晩まで農作業に精を出すところもあった。

 「今のノウスはそこまで貧しくない」スリーピーの話す知識をハッピーとする街歩きが補完する。「今の」と付く枕詞が国民と政治の努力によって成り立つものということも肌に感じることができたのは、外の世界を知れたからだった。


 しかしいま立つ路地は、これまでのどこにも似ていない少々剣呑な雰囲気があった。例えばバッシュフルが怒り出す前のような静けさ。


 しばし考え込んでいると、ハッピーがラスの手に財布を持たせた。ずっしりと、串焼き肉なら店ごと変えそうな重さの。貨幣の価値観も彼に実地で教わったのだ。

「ここは花街だ。意味は分かるよな?」

「……ここが」

 どきりと心臓が跳ねた。彼は、スリーピーの講義で聞いたのがきっかけで書庫から関連書物をこそこそ借りて読んだので、概要は分かっていた。

「『遊び』の試練課題は、この街で外泊してハウスに朝帰りすることだ」

「外泊すればいいってことか? 分かった。でもそれってどこで寝――――エッ!!??」


 ぽん、とハッピーがラスの肩を叩いた。

「そういうことだ。どこかの店に入るもよし、酒場で好みの子を引っかけて宿をとるもよし。でもお前、初心者だからできるだけ高級そうなところの方がいいかもな。その場合はその指環見せとけば顔パスできるぞ。そんでナンパするならこの先の橋の先はうんたらかんたら……」

「ちょ、ちょっと待ってハッピー。僕が、その、えぇ……」

 戸惑いで声もないラスにハッピーはなんともいえない顔で笑った。

「頑張れよ、ランスロッド」


 「は?」ハッピーが名前を? そう驚きに瞬いたときには、ハッピーは既にいなくなっていた。


「え……僕、ほんとに?」

 じゃら、と手の中の財布から金貨の音がした。

 ラスはふらふらと路地裏から明るい表通りへと出て夜の街へと消えた。


     *


「ただいまぁ……誰もいない、か」

 朝方、まだクランピーも起きださない時分――ラスは指環の魔術で食堂に戻ってきた。朝夕はドーピーがまだ肌寒いからと、床熱式魔術陣は解術しても食堂の暖炉は置かれたままだ。

 彼は火を点けるか悩み、手にしていた紙袋をテーブルに置くと、自室に戻ることにした。しかし、ふと足を止め書庫へと向かった。この時間ならスリーピーが起きていそうだと思ったのだ。


「スリーピー、起きて……あれ?」

 重い書庫の扉を開けると、自動で明かりが灯ったものの目当ての人物はいないようだった。書棚の影も探したが、いつもの毛布が丸まって置かれたままになっている。

(部屋にいるのかな。あ、体を洗ってるのかも)

 花街での出来事でまったく眠れそうにないラスは、とにかく誰かと話がしたかった。経験したこと仰天したことを伝えたくて仕方なかった。


(僕にもできた。もうそんなつもりもないけど、もし出奔しても僕はやっていける気がする!)


 自信に満ちた表情に少しの疲労と、徹夜明けの据わった目でラスはスリーピーの部屋をノックした。二回、三回。しかし返事はなく、呼んでみても答えはない。まさか何かあったのではと不安になってくる。彼はラスが覚えている範囲では、一度も外出したことがない。書庫にいて当たり前、そうでなければ食堂にいるはずだった。


(ごめん、スリーピー)

 ラスは部屋に入りこんだ。はたと視線を遣ったその先には、例の大鏡――ガヴァネスの部屋にある帰宅のための魔呪具。

「何だ、これ……光ってる?」

 鏡の表面は、ラスが吸いこまれたときと同じように怪しい闇色に輝いていた。近づいて指環の手をかざすと、より光を増す。触れると、水面が揺れるように波紋が広がった。かすかに向こう側が透けて見えた。


「もしかして、入れる……?」

 ラスは水鏡のように揺れる鏡の表面に触れた。

お読みくださりありがとうございました!

物語は折り返し。

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