ラス、冬を過ごす
ドッグは愛妻家で子どもが三人。土いじりは最近できた趣味で、「年をとると花を愛でる楽しみを知るものです」と力説。「あなたも一緒にしてみますか」と誘われてしまって、森の奥にある湖畔に種を撒いたり、鉢に苗を植えたりした。鍛錬とは違う穏やかな汗のかき方も悪くなかった。好きなものを聞いてみたら、結構じじむさいものばかりだった。
バッシュフルは美容と健康が趣味。若いとき病弱だった経験から、鍛錬に励んでいたら筋肉がついてきた。なんと年上の妻がいて、尻に敷かれている。(ハッピー曰く)ハウスにいるときは自分の好きなことができると言って、あまり帰らないので帰ると家族がうるさいらしい。葡萄酒好き。
火魔法のクランピーは独身だが養子を引き取って育てているそうで、授業がない日はちょこちょこ帰宅している。しかし授業準備には相変わらず余念がない。明るくなる前にはハウスに戻り火球で痛んだ地面の整備をする。几帳面だし器用だ。すごく短気だけど。
くしゃみばかりのスニージーは「独身だよ」と赤剥けた鼻をこすって寂しそうに言った。どうやら風の精霊が余計な会話を届けてしまうことで、いつもうまくいかないらしい。「自分より魔力の強い人じゃないとだめでね」「早くお嫁さんほしい」と目を潤ませた。魔力が強すぎるのも考え物。可哀想になったのは内緒だ。僕も早く相手を見つけた方がいいのか?
――ラスは夜市に出かけた日から、集めたガヴァネスたちの個人的な情報をノートに書き付けるようになった。
最初はハッピーから聞き出すばかりだったが、「そんなん自分で聞けよ」と面倒になった彼から突き放されてからは、しどろもどろながら話しかけるようになった。大いなる進歩といえる。
今日はというと、勇気を出してドーピーにスライムについて質問してみた。ラスにとってスライムは無法地帯の森や川に棲むやっかいな害獣という認識なのだ。
急に眼鏡を光らせて語りだしたドーピーは普段のもったいぶった話し方ではなく、彼は正直面食らった。ものすごい早口なのだ。そして半分も理解できぬうちに話が進み最後はいい笑顔で「ね、スライムってかわいいでしょう?」と問われ、その輝かしさに思わずうなずいてしまったラスである。
しかし次回は|スライム☆スペシャルコース《すっごいやつ》を体験させてくれると言われたせいで、まだ震えが止まらない。たぶん独身だ。
そうして人となりを知れば、食事ひとつとっても個性が見えてきた。
ハウスでの食事は、徐々に王宮での孤独で出された皿をきれいにするだけの運動とは異なっていったこともある。所作を崩さなければ好きなものを好きなだけ食べていい。ラスは五か月目でようやくそれに気がついた。
例えばバッシュフルは朝はゆで卵と果物だけ。ドーピーは甘いジャムが好き。
「スリーピー、おはよう。朝ごはん持ってきたよ」
例えば寝起きのスリーピーはスープしか飲まない。
「おはよう……いつもありがとう、ラス。ふああー……顔だけ洗ってくる……」
またしても書庫に持ち込んだ毛布にくるまって寝たらしい完全夜型のガヴァネスはよろよろと一度書庫から出ていった。
「水よ。風よ」
ラスはスープを入れたバスケットをシャボン玉のような水魔術で包み、書庫の空気をごく小さな風を起こして入れ替えた。調節がうまくなってきたのでこれくらいはまさに朝飯前だ。
彼は夕方に朝食を届ける係を買って出ることで、自発的に雑談の機会を得ていた。他のガヴァネスとも打ち解けてきた自覚はあるものの、やはりまだ話しかけやすいのスリーピー。スリーピーも毎日起き抜けに現れるラスを歓迎していた。
「兄弟? 姉がひとりいる。でも嫁いでからあまり会ってないかな」
「へぇどうして?」
「うーん……忙しいから、いや遠い? 説明しづらいな。まぁ僕も離れた場所で仕事してるから、会う機会がなくて」
「それ、なんとなく分かるかも」
いつの間にかラスは子どもような口調で彼と話すようになっていた。王宮だったら眉を顰められるかもしれないほど。だがそれがまた心地よく、くすぐったくて楽しい。
「たぶん僕にとっての父上と母上と似てる気がする。同じ王宮に住んでるから会えないわけじゃないんだけど、なんていうか、遠いんだ。皇務で忙しいしね」
「そうか」
地べたに座ってスープをすするにしては洗練された仕草のスリーピーは、スプーンを置くとラスの頭を無言で撫でた。
「べ、別に寂しいわけじゃ」
「うん、そうだな。……お前の髪は王妃さま似だなぁ」
「はは。スリーピーも同じ色じゃないか。まぁ珍しくない色だし」
「……あぁ」
好きなだけラスの髪をぐしゃぐしゃにし、スリーピーは「そういえば、いい加減小ぎれいにしないとドッグに睨まれる」「ではまたあとで」と珍しく自室に引っこんだ。それがスリーピーの不器用な優しさに思えて、ラスはひとりの書庫で小さく吹きだした。
***
「……ふう。通算百八十九回目、ね」
ラスは片膝立ちのまま呼吸を整え、血の滲んだ腕に右手をかざし治癒魔術を唱えた。血が湯気のように蒸発し、裂けていた皮膚が内側から修復され薄皮が張った。
「体力はともかく、次はスニージーとでしょ。無理しちゃ魔力減っちゃうわよ」
バッシュフルは額の汗をサッと拭ってからラスの傷に手を翳した。今度は完全に塞がった。
「ありがとう」
「いいのよ。あとでいい香りのオイル、分けてあげるから塗っときなさい」
夜明けを待つ夜霧がふたりの汗を冷やした。今朝は非常に視界が悪く、素早さだけなら引けを取らなくなってきたラスにとって、バッシュフルを出し抜くチャンスが何度もあった。
(クソ……霧を生かせなかった。悔しい)
ひとり反芻するラスを見下ろし、バッシュフルはそうと分からぬよう背を向けて微笑んだ。ンフッと咳払いし、自分の掠り傷をすばやく治癒する。
「あーあ、もうすぐ冬ねぇ。ここ結構積もるから、さらに辛くなるわよ~」
「そっかぁ」
「そっかって何よ。余裕じゃない? このままだとあんた、王位簒奪二百回超えちゃうわよ?」
しかしラスは分かりやすい煽りを聞き流し、
「王家の森ってどれくらい積もるんだ? 雪だるまとか作れるのか?」
と尋ねた。
ノウス国の王都は比較的南に位置しており、降雪量はそう多くない。ドカ雪が降る年もあるが、幼い頃に一度だけ侍従たちと雪遊びをして熱を出してしまったせいで、彼はそれ以降雪の降る日は外に出られなくなったのだ。
彼にとって冬は、特につまらない季節だった。
はぁ~? 咄嗟、眉を上げたバッシュフルはラスの真面目な顔にぎょっとすると、「……やるなら本気よ王子サマ? フフン、雪だるま作りも雪合戦もやっちゃいましょ」と悪役のように口の端を上げた。
――そうして王家の森は、朝夕の寒さと霧が深まるにつれ冬の気配を濃くしていった。
書庫に住んでいたスリーピーもついに書庫からまめに姿を現し、火の灯った暖炉の側に陣取るようになった。食堂につながるリビングには常に誰かがいるようになる。
「共有スペースに私物を置かない! せめて物を広げない!」
「すみません……あ、その順番だと考察が……あーあー」
「なんですか散らかす人に口を出す権利はない」
ドーピーはなかなかの整頓好きで、目を離すと自分を中心に本で巣をつくるスリーピーに当然のごとく突っかかる。毛布を持ち込んだときの剣幕はまるで侍女頭の口調で、ラスは面白いのでスリーピーが散らかし始めてもわざとそのままにする。
見たところドーピーの方が若そうなのにスリーピーが遠慮しているのも可笑しいのだった。
ところでハッピーはというと変わらず神出鬼没で、時折珍しい土産物や菓子を差し入れてはまたいなくなる。そうかと思うと「おい僕ちゃん、遊びにいくぞ」と予定関係なしにラスを連れ出す。
一度のサボりの代償は大きく、翌日はこれ幸いとガヴァネスたちは厳しくなった。しかし半年も過ぎるとハッピーとの外出は試練の一環と割り切れるようになり、ラスはハッピーを見かけるたびに率先して外出した。(もちろん調子に乗ると筋肉と短気担当にきつく叱られた)
そうしていよいよ寒くなり「冬支度で少々忙しいので」とドッグがハウスを空けることが増えると、クランピーとバッシュフル、意外にもスニージーも同様に自宅に戻ることが多くなった。
するとラスの予定は自主鍛錬とハウスの冬支度が主となり――木を切って薪を割るだけで半日終わってしまう上に、食材の長期保存処理を延々と教わり――冬を迎える大変さを身を以て知った。
「あぁん、なんだ若者が揃いも揃ってゴロゴロしやがって」
クランピーが食堂に現れたとき、窓の外は二日目の大雪で真っ白に凍えていた。
「だってすることがないんだよ」
ラスとスリーピーとドーピー、そしてハッピーが半透明の大きなクッションに体を預けて文字通り寝転んでいた折、クランピーが食堂に入ってきた。ラスが治験に協力するようになったことで改良に成功したスライム硬めクッションは、ハウスの人間をダメにすると(一部から)大絶賛されている。
クランピーがますます呆れた顔でドーピーのクッションを蹴った。
「ドッグがいないからって気を抜きすぎじゃないのかぁ? バッシュの野郎も居ねぇのか。……おいドーピー。ハッピーはともかく年長のお前がしっかり面倒見るもんだろうよ」
ドーピーはちろっとそっちを見たっきり再びクッションに埋もれ目を閉じた。
「あぁぼく寒いの苦手なので自分の生命維持で精一杯なんです。クランピーさんがハウス内の暖房魔術陣を強化してくれるなら話は別ですけど」
「あっ」スリーピーが身を起こした。
「それなら書庫もお願いしたいです……研究が進まなくて……」
「なんだって? 俺は王家の陣管理者じゃねぇんだぞ!」
しかし実は、短気でせっかちなクランピーは結局ガヴァネス内で一番面倒見がいい。家具の傷みや簡単な補修ならお手の物な器用さもある。
ラスは『お願い』に弱い赤髪の魔術師にここぞと畳みかけた。
「僕クランピーが陣の強化するとこ見たい! とっても勉強になりそうだから!」
「ラス坊……いや、でもよぉ」
「(ハハァ、僕ちゃんも分かってきたじゃん)」
「おいハッピー何か言ったか⁉」
「べっつにー」
その日からハウスはどの部屋も温かになった。ラスにはさっぱり理解できなかったが、床から熱を発する機構が陣に組みこまれたのだ。スリーピーは「これで書庫の床に座れる」と喜び、ドーピーも「待てよ……スライムに蓄熱させてぶつぶつ」と自室で過ごすことが増える。
ただ、食事のあとはリビングでスライムに包まれながら雑談をすることが自然と習慣になった。
(……人と、とりとめなくおしゃべりをしたり一緒にいることが心地よいこともあるんだな)
のんびり一緒に過ごしてみると授業では圧倒的強者のガヴァネスたちも、だらしなかったり負けず嫌いだったりとラスにとって共感できる部分が多かった。
それに彼らは授業以外では――ドックはいつも所作には厳しいが――試練のことは話題にしないことも、彼の心を和ませた。
日に時間によって入れ替わるガヴァネスの顔ぶれではあったが、ラスは彼らと――いや物心ついてから初めて――穏やかで温かな冬を過ごした。
ハッピーとスリーピーがカードに明け暮れてバッシュフルに叱られたり、ドックが覚えたてのパイを振舞ったときは甘党のドーピーが尋常じゃない量をおかわりしてクランピーがドン引きしたり。ずぶ濡れでボロ負けの雪合戦も、ドーピーとスニージーのこだわりでハウスよりも巨大な雪だるまも、ラスは「とても楽しかった」と、ノートに書き付けた。
陽射しに温かさが戻る頃には、逃亡と出奔のためのノートは、ガヴァネス達と過ごした思い出をつづる日記になっていた。
お読みくださりありがとうございます!
ガヴァネス紹介(趣味)
ドック…土いじり、パイ作り←new!
バッシュフル…ハーブオイル作り、筋トレ
スニージー…花粉の届かない上空散歩
クランピー…DIY
ドーピー…スライム研究
ハッピー…軽いナンパ、カード
スリーピー…読書




