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ラス、選択を迫られる(後)

(……耐えられる訳がない)


 いつの間にか俯いていたラスはそのまま、ドックとスリーピーの手が重なるのと執務机の重い線だけを視界に収めたまま、「出ていく」と繰り返した。


「ではここでお別れだ、ランスロッド」

 ドックがおぼつかない足取りで進み、ラスに握手を求めた。反射的に握ると、老人の体重がそこにかかった。

「悪いな、近頃足が悪くてな。だからラス、儂は一緒に過ごせて楽しかった。最後のガヴァネス役を孫で終えられるなんて幸せじゃった」

「お祖父さま……」

「市井での暮らしは厳しいこともあろう。だが儂が合格を出したのだ、記憶はなくとも身に着いたことを体は忘れまい。元気で過ごしなさい」

 ラスは返事をしたかどうか。気づけばドックはスリーピーに肩を抱かれ、元の椅子に腰かけていた。


 バッシュフルが反対側から「残念だけど年の功ならアタシの番ね」と歩み寄った。年の割に豊かな自慢のブルネットを緩く三つ編みにした彼は、ラスの頭を撫でた。

「あんたってば親に過保護にされて全~然遊びに来ないじゃない? 前に会ったときなんて六歳のときだったでしょ。アタシ、あんたと鍛錬できるの嬉しかったわ。ほら、うちの子って娘っばかりで男親なんて構ってもらえないし」

 ずし、と肩に重い手が乗った。ラスは辛うじて「大叔父上」と呼んだ。

「度胸もついたし、なんとかやってくでしょうよ! もしうちの領地に流れ着いたら顔出しなさいよ、こっそり登用してあげるから」

 もうひとつラスの頭を撫で、バッシュフルは背を向けた。そのまま顔を背け、窓辺に寄り掛かった。


 スニージーがラスの額に印を結び祈りを捧げると、クランピーも負けじとその辺の紙に物理防御の魔術陣を走り書きして渡した。

君が忘れても(きびははすえへも)僕らはずっと(ほふははふっほ)見守ってるよー(びばほってふほー)

「ラス坊、お前さんは根性もあるから大丈夫だ。きっとうまくやるさ」

風はどこでも(かへはほほへほ)吹くからねー(ふうははへー)

「火がいつもお前さんを温めますように」

 スニージーがラスをハグすると、彼の頑固な巻き毛が頬をくすぐった。痩せぎすのクランピーは「なんか照れるな」といいつつ反対からそっとハグした。


 ドーピーは「僕からはこれを」と布包みを手渡した。

「君の部屋にあった荷物です。我々のことを忘れても問題がなさそうなものを入れてあります」

「……見てもいい?」

「どうぞ」

 あまりに軽いので腕の中で包みを解いた。中には数枚の鍛錬着、インク壺とペン。そして一冊のノート。

(僕は、忘れる? 本当に?)

 ドーピーが「では、また」とあっさり側を離れた。


 最後にハッピーを残し、スリーピーが入れ違いで彼の前に立った。ラスより少し背の高い、同じ紺黒色のガヴァネス。

「ラス。こんなときで悪いが最後に『答え』を聞きたい。教えてくれないか」

 さっきから掠れてしまう声で、ラスは「そんなの、ない」と応えた。

 琥珀色の目が瞬いた。

「別に試練がどうのってことじゃないんだ。一年近く君を見守ってきた者として純粋に聞きたい」


 ――どのような人間でありたいか。


 ラスはスリーピーのどこか見覚えのある眼差しに、泣きたくなった。

(この人は、一体誰なんだろう)

 他のガヴァネスたちはハッピーの正体が分かった時点で大方の予想ができた。だが彼だけは分からないままで、指環がなくても歳が変わっていないのはどうしてなのか。


 初めて会ったときよりも近い、そして真っすぐな視線に戸惑う。それはどんなときも凪いだ輝く海のような、書庫を朝方まで照らす灯りのような眼差しを、ラスはなぜか懐かしく思うからだった。

「僕は、」

「うん」

 まるで書庫で雑談をしているような声の調子にラスの心は挫けた。

「立派な、王に……王子に、なりたかった……」


 スリーピーの手が濡れた頬を撫でた。

「うん、そうか」

 ラスはノートをひしゃげるほど強く握った。

 溶けてなくなった雪だるま。

 食べてしまった甘いパイ。

 温かだった食堂、七人のガヴァネスたち――――それをすべて忘れてしまう。ノートを見ても、今目の前のスリーピーの瞳の色すら思い出せなくなる。


 ぼく、とラスの唇がわなないた。

 スリーピーが困ったように彼を抱き寄せた。

「僕……いやだ」

「うん」

「みんなを、忘れるのは……いやだ」


 ――いやだぁぁぁ……!

 まるで子どもみたいだ。ラスは喚きながら自分の愚かさを呪った。

 どんな人間になりたいかなんて、分からない。王にはなれない王子に価値はない、だから出ていくしかないのに。


(楽しかった。本当に楽しかったから)


 ガヴァネスたちが血を分けた王族や上級官吏と知って、悲しかった。

 王族だから、自分に親しくしていたのだと。

 王族の至らぬ末席だから、国のために鍛える義務を負っていたからなのだと。

 しきたりだから。彼らはラスのガヴァネスだった。


 ――自分を、友人のように思ってくれていると感じることもあった。それはとても幸せなことだと思った。例え王子のままでも出奔しても、訪ねていけばいつでも森で暮らしたような気分になれると思っていた。絶対にみんなに会いに行くと。

 すべて勘違いだった。


(王族でない僕は、みんなに必要とされない)


 辿り着く行動は同じなのに、何がこんなにも自分を苦しめるのか分からぬまま、ラスは泣いた。


 布包みが脇から転げ、インク壺が床に落ちた。だが寸前、風がそれをすくい、滑るように机に落ち着いた。同じように落ちかけたペンは、自分の息子が泣き喚くのを呆然と眺める石像のようになった王の頭を小突いた。結構な強さで五度も。


 ようやく我に返り指環を外したハッピーは、十八から壮年へと姿を変えた。

 「ランスロッド」そうして、ほとんどスリーピーに顔を埋めている息子にどう話しかけていいかと爪先を彷徨わせた。

 スリーピーが胡乱な顔でそれを睨む。父王はぎくりと肩を張った。


「ランスロッド、これまですまなかった。お前は王子である前に、俺の息子だったのに。出奔を自ら選ぶなんて……」

「(ぎろっ)」

「いや、選ばせるほど苦しめてたのも知らずにいた。本当にすまなかった」


 ラスはスリーピーの胸で水気を拭い、腫れた青い瞳で父を見た。

 去年の夏までの、長かった髪の父とはまったく違う人間に見えた。責任と威厳に満ちた生まれながらの王は、ハッピーと同じ短髪のせいかまるで叱られた犬のよう。

「……いえ。父上、安心してください。ちゃんと出ていきますから」

「そうではなく! もしお前が、その」


 しどろもどろの王を横目に、ラスはスリーピーにノートを手渡した。

「僕、着替えだけでいいや」

「ラス、本当に行くんですか」

「うん。僕、王には向いてないから」


 ラスは目を擦って七人をゆっくり見回した。

「ご教授、ありがとうございました」


 上手には微笑めなかった頬を拭い、背を向けようとし――――「くぅおぉらぁぁ――!! こんのバカ親父がぁぁぁぁぁ‼」クランピーの体当たりをくらった王の玉突き事故で、ラスは「ぅわぁ!」と床に受け身をとった。素早くスリーピーが彼に駆け寄る。


「お前は二十年前からなぁんも成長してねぇじゃねぇか――! あぁん? 自分の息子が出てくつってんだぞ殴ってでも止めやがれぇ!!」

「……ホントがっかりだわぁ。こーんな情けない男が王サマだなんて、あ~あ、げんなり致しますどころの騒ぎじゃねぇわ。おい、立てや外出ろ」

 当然ながら這いつくばったままのハッピーはまさに火山のごとく怒髪天を突く赤髪のクリーピーと、青筋を立ててバッキバキに拳を鳴らすバッシュフルに詰められ、顔を赤や青に染めた。


そろそろ(ほろほろ)応援呼ぼうかぁ(ほーへんよほーは)

 その刹那、ラスの防御術が指ひと振りで破られ、バァン! と扉が開け放たれた。

「ランスロッド!」

「は、母上……」

「あぁ! なんて背が伸びて! まぁ……………貴方、泣いたのですね。誰です! わたくしの可愛いランスロッドを泣かせたのは!」


 六人のガヴァネスが全員、ハッピーを指さした。


「我が君……?」

「あぁ、いや! これは」

「母上、最後にお会いできて良かった。僕はこれから王宮を出ていきます」

「ランスロッド? どういうことです!」


(あぁ、そうか。スリーピーは)


 ラスは母の、夜空のようなかんばせに微笑んだ。そして大好きな不寝番にも。

「僕……叔父上と本を読めて良かった。会えて嬉しかったです」


 今度はしっかり微笑むことができた。小さな達成感と薄っぺらい布包みを胸にラスが再び大鏡に足を向けようとした、そのときだった。

 ズドォォンッと壁に大穴が開いた。パラパラと石材と埃が彼らに降る。「あーあ、怒らせちゃいましたね」眼鏡を持ち上げたドーピーが小さく呟いた。


「全員、歯ぁくいしばれ――――――!」


 王妃が放った特大の魔力弾は、ガヴァネスもラスも周囲の二部屋先まで巻きこみ、黒の大鏡をも粉々に破壊したのだった。

ここまでお読みくださりありがとうございました!

次回、最終話です。

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― 新着の感想 ―
>六人のガヴァネスが全員、ハッピーを指さした。 いいシーンなのに!笑っちゃったじゃないですかw そして、最強はお母さま!やっちゃえ~!!
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