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呪いの腕  作者:
9/9

あの世の修行が始まる

 福寺が消えてから、あっという間にひと月が過ぎようとしていた。大きな事件こそ起きていなかったものの、日常のあちこちで小さな異変が頻発している。まるで、世界という精巧な機械の歯車が少しずつ狂い始めているかのようだった。住職は、これらの異変を「黒い影」の仕業だと語り、自身も政府からの度重なる呼び出しに、疲れ果てた表情で応じていた。人々の心には、漠然とした不安が影を落とし、まるで破局が間近に迫っているかのような、重苦しい空気が漂い始めていた。




 ある日の午後、春人とさきは住職に呼び出された。いつになく重苦しい予感が、二人の胸にのしかかる。住職の顔は、以前にも増して厳しく、目の下の隈が彼の疲労を物語っていた。沈黙が場を支配し、やがて、その口から告げられた言葉に、春人とさきは驚きを隠せなかった。




「春人、さき。お前たち二人には、あの世で修行してきてもらう」




 その言葉は、まるで雷鳴のように二人の心に響いた。春人が思わず「一平さんはいいんですか?」と尋ねると、住職は一平がすでにその修行を終えていることを告げた。その返答に、二人は納得したように「わかりました」と答えた。普段の彼らなら、こんな突拍子もない話に戸惑い、あれこれと質問を重ねたことだろう。だが、福寺が消滅し、住職の疲弊しきった姿を目の当たりにする中で、彼らの心には、もはや常識では測れない事態が起こっているという認識が深く根付いていた。修行という言葉の持つ厳粛さに、二人は素直に従うことを選んだのだ。




 その時、少し遅れて一平が姿を現した。


「すみません、春人とさきがあの世に行けるよう、準備してきました」


一平の突然の登場と、その発言に、春人は「一平さん、脅かさないでくださいよ」と苦笑した。さきもまた、いつもの明るい声とは違う、どこか頼りなげな声で「くろちゃん、いいかた」と呟いた。一平の言葉が、現実離れした状況に一筋の光を差し込んだように感じられた。彼の存在が、二人の不安をわずかながら和らげたのだ。




 一平は春人たちを寺の地下へと案内した。建物の地下にこれほど大規模な設備があるとは、春人もさきも全く知らなかった。そこは、まるで秘密の要塞のようだった。重厚な鉄扉が彼らの行く手を阻む。扉は三重の鍵で厳重にロックされており、その鍵もまた、今まで見たことのない特殊な形状をしていた。まるで、この世とあの世を隔てる境界線を示すかのように、その扉は異様な存在感を放っている。最後の扉は、一平の指紋認証によってようやく開かれた。電子的なロックが解除される鈍い音が、静寂に包まれた地下に響き渡る。




「俺の案内はここまでだ。あとは二人で行くんだ」


 一平はそう言って、春人たちを送り出した。彼の声には、僅かながら寂しさと、それでも彼らを送り出す決意が滲んでいた。「あんまり心配はいらない。この世とあまり変わらないからな」


 その言葉が、わずかながら春人とさきの心を軽くした。しかし、同時に、彼らの胸には言いようのない緊張感が去来する。未知の世界への扉が開かれようとしているのだ。




 春人たちは「わかりました」と答え、その先の暗闇へと足を踏み入れた。そこからおよそ一時間ほど、彼らはただひたすらに歩き続けた。道のりは単調で、周囲の景色も薄暗く、時間の感覚さえも曖昧になる。一体どれほどの距離を進んだのだろうか。彼らの足は重く、しかし、前に進むことだけを考えていた。




 やがて、地下から差し込む光が目に飛び込んできた。それは、外界の光だった。


「ここがあの世か……」


 春人が思わず呟くと、さきも同じように感嘆の声を漏らした。


「あんまり変わりませんね、さきさん」


 春人が言うと、さきも「そうだね、はるちゃん」と頷いた。彼らの想像していた「あの世」とは、かけ離れた光景が広がっていた。一面に広がるのは、見慣れた風景によく似た自然の情景だ。どこか空気が澄み渡り、色彩が鮮やかであるようにも感じられた。だが、それはあくまで錯覚なのかもしれない。




 遠くに町並みが見える。住職が描いてくれた地図によれば、あと十分ほどで目的地に着くらしい。見慣れない町並みだが、どこか懐かしさを覚えるような、不思議な感覚が彼らを包み込んだ。二人は互いに顔を見合わせ、安堵の表情を浮かべた。しかし、同時に、これからの修行に対する期待と不安が入り混じった感情が、彼らの胸に去来していた。




 無事に目的地に到着した。それはかなり古びた建物だが、その造りは非常にしっかりとしており、長年の風雪に耐え抜いてきた歴史を感じさせた。どこか寂れた雰囲気の中にも、かつての活気が微かに残っているような、そんな印象を受ける。




 受付には、初老の女性が座っていた。彼女の顔には深い皺が刻まれており、その瞳は、人生の酸いも甘いも知り尽くしたかのような、穏やかな光を宿している。春人は住職から預かった手紙を差し出した。




 受付の女性は手紙に目を通すと、表情を変えずに淡々と告げた。


「こちらの、紙にサインをください」


 春人は素直に「わかりました」と答える。差し出された紙には、何やら難解な文字が羅列されており、それが何を示すのかは理解できなかったが、春人は言われるがままに自分の名前を書き込んだ。さきも同様にサインを済ませた。




「今日はここでとりあえず過ごしてください」


 女性の声は抑揚がなく、まるで機械が話しているかのようだ。


「夜は外に出てはいけません、もちろん昼もです」


 その言葉に、春人は眉をひそめた。


「昼もですか?」


「はい、昼もです」


 女性の言葉には一切の感情がこもっていない。




 春人は思わず尋ねた。「なんでですか?」


 女性は淡々と答えた。「それはかなり恐ろしい目にあいます、体ごと食べられます」


 その言葉に、春人は思わず後ずさった。「怖すぎですよ」


 さきもまた、恐怖に顔を歪ませた。「私も怖い」


 女性は二人の反応に微動だにせず、続けた。「だからまずここのルールを教えています」


 彼女の声には、何の感情も読み取れない。まるで、それは当然のことだと言わんばかりだ。




「住職とはかなり交流しているので、住職の大切な方を守るためです」


 その言葉に、春人とさきは、彼女が自分たちの味方であることを理解した。その言葉が、少しだけ彼らの心を落ち着かせた。この場所には、確かに危険が潜んでいる。             


 しかし同時に、自分たちを守ろうとする存在もいるのだと。春人は真剣な表情で「わかりました」と答えた。さきも、しっかりと頷いた。




「明日の朝にまたここで受付を済ませてから来てください」


二人は「はい」と答え、示された部屋へと向かった。彼らの心には、この「あの世」での修行が、想像以上に過酷なものになるであろうという予感が去来していた。しかし、同時に、福寺の消失と「黒い影」の謎を解き明かすための、新たな一歩を踏み出したという確かな手応えも感じていた。この未知の場所での修行が、彼らに何をもたらすのか。そして、福寺の消失と「黒い影」の脅威の背後には、一体何が隠されているのだろうか?

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