雨
期せずして降り出した激しい雨が道場を打ち付ける音は、文字通り土砂降りという表現がぴったりだった。彼らは外での修行を諦め、屋内で鍛錬に励んでいた。一平と、さき、そして春人の三人だ。住職は国からの呼び出しで不在だった。
こういう時に限って、妙なことが起きるのだ。
「春人、知ってる?雨がたくさん降ると、あれが出るんだって」
一平が、いつものようにニヤッと笑って話しかけてきた。春人は少し身構えて「何がですか?」と問い返す。こういう時の彼は、決まって春人をからかうのだった。
「霊だよ、霊」
その瞬間、道場の照明がフッと消えた。真っ暗闇に包まれて、春人は「ひゃっ!」と小さく悲鳴を上げた。すぐに一平がブレーカーを戻してくれたが、明かりはついたり消えたりを繰り返す。まるで、一平の言葉に呼応するかのように。
「一平さんも見えるの?」
春人は驚きを隠せないまま尋ねた。
「ああ、日常的にね。引きこもってた頃から、よく見えてたんだ」
一平は平然と答える。春人には日常的に見えているものだから、彼も同じように見えていると知って、春人は少し安心した。
そこに、いつも明るいさきが会話に加わった。
「私も見えますよ!私は音を感じるんです。聴覚が優れているって言われました!」
さきの元気な声に、一平が小さく呟いた。
「じゃあ、俺と春人は視覚が優れてるってことか」
なるほど、そういうことなのだ。
「さきさんは、どんな音が聞こえるの?」
春人は興味津々で尋ねた。
「春ちゃんも聞いたことあると思うけど、ノイズとうめき声!」
さきは屈託なく答える。ノイズとうめき声。確かに、春人も耳を澄ますと、遠くでそんな音が聞こえるような気がする。
「視覚と聴覚が優れてるのはかなり稀らしいよ」
さきの言葉に、春人は驚いた。春人はそんなに珍しいものなのかと驚いていた。
「住職は視覚優位で、住職の知り合いの人が聴覚優位なんだって!」
さきはさらに続ける。住職も彼らと同じように見えるのだ。
「春ちゃんのこと熱心に話していたよ。住職も両方持ちは一回も見たことがないって言ってたよ」
「来週あたりその住職の知り合いの人が指導しにやってくるんだって!」
来週か。どんな人なのだろう。どんなことを教えてくれるのだろう。修行が、これからどうなるのか、春人は少しドキドキしてきた。
修行の終わりと夜の食卓。
彼ら三人はそれぞれの感覚の違いを認識しつつも、一心不乱に修業に打ち込んだ。ランニングマシンを使い、筋力トレーニングに汗を流す。外の雨音は一層激しさを増していたが、彼らの集中力は途切れることはなかった。額から滴り落ちる汗が、照明の明滅に照らされてキラキラと光る。身体の奥底から湧き上がる熱が、雨で冷え切った道場に満ちていく。
夜になり、ようやくご飯の時間になった。さきの料理は相変わらず量が多かった。修行で疲れた彼らには、これくらいがちょうどいいのだろう。さきは丼山盛りのご飯をあっという間にたいらげていく。
春人も普通の生姜焼き定食を食べていた。修行したからお腹が空いていて、ご飯をおかわりした。なんだか、いつもよりご飯が美味しく感じる。
一平の前にはデザートがたくさん並べられていた。コーヒーを片手に、甘いものをゆっくりと味わっている。一平は昔、引きこもりだったと言っていたが、今はこうして春人たちと一緒に修行して、美味しいものを食べている。なんだか、一平の笑顔を見ていると、春人まで嬉しくなるのだった。
外の雨音は、依然として激しい。でも、道場の窓から見える夜景は、雨に濡れて一層鮮やかに輝いているように見えた。そして、来週やってくるという住職の知り合いの人は、何を教えてくれるのだろうか。この雨が、何かを洗い流し、新たな始まりを告げているような、そんな予感がした。
来週、住職の知り合いの人が道場にやってくる日、彼らの修行は一体どうなるのでしょうか。