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呪いの腕  作者:
2/9

不思議な森

 けたたましいエンジン音が、春人の鼓膜を抉った。それはまるで、鉄の爪が迫りくるかのようだった。脊髄反射で跳び起きると、彼は路肩に鎮座する黒々とした塊、一台の古びた車へと身を投げ出した。「早く!追いつかれる!」春人は焦燥に駆られて叫んだ。


 その二時間前、春人は祖父の遺した一枚の手紙に導かれ、森の奥深くへと足を踏み入れていた。木々の葉擦れさえ聞こえない、異様な静寂が肌を粟立たせる。人影はおろか、獣の気配すらないというのに、彼の背後からは絶えず微かな足音と、喉の奥底から絞り出すような呻き声がまとわりついてきた。振り返る勇気など湧くはずもなく、春人はただひたすらに足を動かし続けた。その刹那、ぬめりとした氷のような感触が、春人の足首を絡め取った。「痛っ!離せ!」彼は悲鳴じみた叫びと共に、必死に足を振りほどいた。すると、森の静寂を切り裂くような、耳をつんざく絶叫がこだました。

「何で……何で……何で……」春人の心臓は、鉛のように重く冷たい塊と化した。


 けたたましいエンジン音が、今度はすぐそこまで肉薄していた。「早く乗れ!命拾いしたければな!」野太い怒号に背中を押され、春人は勢いよく、剥き出しの鉄骨が覗くような古びた車に滑り込んだ。「危なかったな。あのままじゃ、骨までしゃぶり尽くされてたぞ」助手席で荒い息をつきながら、春人の表情には拭いきれない困惑の色が滲んでいた。


 鬱蒼とした森の道を、けたたましいエンジン音を轟かせながら進むと、突如、巨大な橋が姿を現した。それは、重厚な鉄の塊が唸りを上げながら、ゆっくりと空に向かって開閉する奇妙な仕掛けだった。


 やがて、彼らは森の奥深く、ひっそりと佇む大きな神社へと辿り着いた。「とりあえず、中に入りなさい」促されるまま、春人は古びた木の扉をくぐった。そこで彼の目を奪ったのは、壁という壁を埋め尽くす、夥しい数のお札だった。黄ばんだ紙片は、まるで生きた鱗のように重なり合い、異様な圧迫感を放っていた。


「春人かい、よく来たね。お前の祖父から、ちゃんと話は聞いているよ」神社の奥から、低いけれどよく響く声が春人に語りかけた。「春人の霊力を、解放してやろうかね」彼の名前は斎藤友年さいとうともとし


「どういうことですか?」春人は警戒の色を隠せない。


「お前の霊力はな、生まれた時から強い呪いで封じられているんだ。まずは、その封印を解かなければならない」「少しばかり、痛みはあるが我慢しなさい」老人がそう囁くと同時、無数のお札が春人の体に吸い付くように貼り付けられた。次の瞬間、春人は胃の底からせり上がる吐き気に襲われ、激しく嘔吐した。鮮血が、まるで壊れた蛇口から溢れるように流れ出す。春人は自分の吐瀉物に目を瞠りながらも、奇妙なことに、先程までの凍りつくような恐怖は薄れ、代わりに痺れるような感覚が全身を駆け巡っていることに気づいた。「あんたはね、相当強力な呪いにかけられている。わしでは、完全に解呪することは難しいだろう」老人は苦渋の色を浮かべた。「だが、これで春人は、眠っていた霊力を使えるはずだ」「試しに、何かを念じてみなさい」


 言われるまま、春人は心の中で炎を思い描いた。赤く燃え盛る炎、熱を帯びた光。すると、彼の目の前で、頼りなげな、しかし確かに赤い小さな炎が揺らめいた。「まだ小さいが、間違いない。慣れれば、かなり強力な呪文も使えるようになるだろう。だが、そのためには厳しい修行が必要だ」春人は驚愕していた。まさか自分が魔法のようなものを使えるとは。


 住職の鋭い眼光が、春人を射抜いた。「覚悟はできているかい?」


 春人はしばらくの間、押し寄せる情報の奔流に立ち尽くしていた。しかし、祖父の最期の言葉、背後から迫る異形の存在、そして今、目の前で揺らめく小さな炎。それらが彼の胸の中で一条の光となって繋がっていく。「はい、やってみます」春人は、決意を込めて頷いた。その瞳には、先程までの怯懦の色はもう宿っていなかった。

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