侍女の大きな勘違い
「息の根を止めて、しっかり殺す⋯⋯いいわね。確実な感じがいいわ」
私は愕然とした。私は生垣からお嬢様を覗くようにして見ている。これ以上近くに行くと見つかってしまうので、遠くから様子を探る。
心綺麗でお優しいお嬢様がショールを取ってきている間に豹変してしまった。
お嬢様が物騒なことを言っているわ⋯⋯もしかして計画犯なのかしら⋯⋯。
私は手にショールを持ったまま屋敷へと踵を返した。庭の奥の方から屋敷の裏口へ歩いていく。
私はキッチンにくると料理人に小声をかけた。何となくバレないようにと緊張して身を固くしてしまう。
「ニア、こんなところでどうしたんだ? お嬢様はお腹でも空かせているのかい?」
「リー、キッチンの包丁は減っていないわよね?」
リーは眉をひそめて私を二度見した。怪しんでいるようだ。
まずは凶器を没収しないと、まだ何も分かっていないもの⋯⋯お嬢様は誰を恨んでいるのだろう⋯⋯。
リーは包丁を数えて終わると私の方を見てきた。
「包丁は全部あるぞ。探し物かい?」
「ある意味ね。凶器を探しているの」
「なんてこった」
もしかして凶器は別に用意してあるのかしら⋯⋯すぐに戻らないと行けないわ。
「リーありがとう。凶器は別のところにあるのかも」
私は足早にお嬢様の元へと急いだ。
「あら、ニア遅かったわね」
「お嬢様、お待たせ致しました⋯⋯あっショールはちょっとお渡しできません。首を絞めてしまうかもしれません」
ショールも縄みたいなものよね。身近な物のほうが殺人事件では凶器になりやすいわ。
お嬢様は私を見て目を丸くしている。
「ニア、今日は天気が良いから殺ってしまおうと思うの。そうそうお母様には私が殺るってこと内緒にしてね」
「まぁ、今日ですか? もう少し暗いほうが良いんじゃないでしょうか?」
お嬢様ってば大胆だわ。こんな昼間から殺人をしようなんて宣言されて⋯⋯しかも奥様に内緒だなんて誰がターゲットなのかしら⋯⋯これを言われたってことは私も共犯なのね⋯⋯。
「まぁ、雲があった方がやりやすいけど、雨が降ってしまうと、地面が濡れて泥がついてしまうでしょう」
それはそうだ。乾いた土の上のほうが足跡は残りにくい。お嬢様は着眼点が違いますね。
私は大きく頷いた。
「承知しました。まずはどうしましょうか」
「まずは人手がいるわね」
お嬢様はそれを聞いて、指を折りながら数えている。
えっ、一人かと思ったら複数人なの? ⋯⋯お嬢様にどんなことをしたら殺されるほど恨まれたのかしら? あぁ、お嬢様それは四人?
「複数人ということですね」
「えぇ、大人数で一気にやった方が早く終わるもの」
私は声を上げそうになった。
“大勢で早くやったほうが早く終わる”という言葉に私の全身は鳥肌が立ち始めた。
「何人でどうやって殺りますか?」
「少し広範囲なのよね。四方から順番に殺ったほうがいいわ」
「⋯⋯承知しました。どんな人を呼んできますか?」
もしかして村とかある程度敷地があるところを端から殺っていくということなのだろうか⋯⋯四方から順番に、と言うことは片っ端から殺すってことよね⋯⋯。
「力仕事だから男の人が良いかしら」
やっぱり間違いない⋯⋯。
「何を使って殺るのですか?」
「あっ言ってなかったわよね。薬剤を使うから軍手も用意しないとだわ」
「薬剤! 取り扱いを注意しないとですね」
「そうなの。間違えたら大変!」
予想外でしたわ。凶器は薬剤だったのですね⋯⋯生物兵器を端から⋯⋯お嬢様⋯⋯とんだサイコパスですのね。
私は頭の中で誰が良いかと考えながら屋敷へと向かっていた。そこへちょうど執事のジェイが歩いてきた。
「ジェイ、ちょうど良かったわ。口が固くて力持ちの男の人を四、五人集めてほしいの」
「ニア、何をする気なんだ。リーから聞いたぞ。思い詰めるんじゃない」
「お嬢様と共に出来る忠誠心の強い人がいいわ」
それを聞いたジェイはさっと顔色を変えると私の意図を探ろうとしている。
「ニア、何があったんだ?」
「⋯⋯お嬢様が大量殺人を行います。薬剤を使って四方から片っ端に殺していきます。それに協力してくれる力のある男の人が必要なんです⋯⋯。これは奥様には内緒です」
ジェイは息をのむと顎に手をついて考え込んだ。そして私をちらりと見てくる。
「ニア⋯⋯それは本当なのか?」
「お嬢様は確かに“息の根を止めて、しっかり殺す”と仰っていました」
私は先程の出来事を思い出しながらジェイに伝える。ジェイが歩き始めるのでニアも歩幅を合わせて歩く。
ジェイはキッチンへ行くとリーを呼び部屋の端でこそこそと話し始める。私はそうっとジェイとリーの話に加わった。
「お嬢様は殺したいほど憎んでいる相手がいたんですね。それなら俺たちが殺っちゃうのはどうですか?」
「それは良い考えですね。⋯⋯ウォルター伯爵子息とかどうです? 前にお嬢様に婚約しようとちょっかい出してきたやつです」
「リー、それはあなたが気に入らないからって料理に貝を入れようとしていたでしょ。6月の貝には毒が多いから貝毒で殺そうとしたじゃない」
私がリーをたしなめると、リーは舌を出していたずらっぽく反省した。
「すいません。自然に殺せるかと思って⋯⋯ニアは心当たりはないのか?」
「うーん、イローナ公爵令嬢がダン王子に一方的に婚約破棄されたじゃない? イローナ様とは個人的にとても仲良くされていたので、友人思いのお嬢様はダン王子に復讐しようと思ったんじゃないかしら?」
「おいニア、いくら友人思いだって言ってもダン王子を殺害ってそれは国家反逆罪だぞ」
私はジェイの言葉にため息をついた。そして私たちは腕を組んで下を向く。
「それなら、カールソン王子かマリアンヌ公爵令嬢はどうですか?」
「リー、お二人ともとても仲睦まじいんですよ。それにお嬢様はそんなに交流がありません。殺害する理由がないじゃないですか」
私は強く反論した。それにジェイも大きく頷いて援軍になる。
「いや、リア充爆ぜろみたいな感じで殺るかなと思いまして」
「ちょっと、私たちの心優しく素晴らしいお嬢様を中二病の濁った心に染めるみたいなことしないで下さい」
「そうだ。王族を狙うんじゃない。国家反逆罪だぞ。そもそも四、五人で狙えるものじゃない」
三人は大きなため息をした。
私たちにはお嬢様の狙う者は分からないわね⋯⋯。
私はちらりとジェイを見ると口に手を当てて気まずそうな顔をしている。
「ジェイ、何か思い当たることがあったんですか?」
「いや⋯⋯違うと思いたいんだが⋯⋯奥様じゃないか?」
「ジェイ、俺の考えよりひどいぞ」
「だってお嬢様は“奥様には内緒”って言ったんだぞ。それに四、五人で人手が足りるんだろう? 規模と人数を考えたら、自然とその考えに行き当たる」
「まさか⋯⋯お嬢様が⋯⋯」
私は両手で口元を隠すと息をのんだ。
「俺たちは腹を括るしかないようだな」
「私はお嬢様に付いていきます。どんな理由があろうと私が仕えるのはお嬢様です」
「ニア⋯⋯俺も乗った」
「あぁ、俺もだ」
「その話、俺にも乗らせろ」
気がついたらキッチンの扉が開いていたようで、盗み聞いた男たちがどかどかと入ってきた。私だけではなく、ジェイとリーも目を丸くしている。
「俺もだ。学がない俺はお嬢様に“腕がいいのね”と実力で選んでくれた」
「俺だって平民なのにお嬢様は“自分の腕の前では平等であるべきだと思わない?”って雇っていただいた。今ご恩の報いがしたい」
「俺もだ」
⋯⋯
気がついたら十人くらいの人集りになっていた。
「皆さま⋯⋯必ずやお嬢様に一矢報いりましょう」
私たちの心は一つになった。そして私を見た男の人たちはしっかりと頷いた。
私は目を潤ませてしまった。それを見て男の人たちは眩しい笑顔を返した。
そして私を先頭にお嬢様の元へ戻る。ぞろぞろと足音を立ててこれから起こる大量殺人のことを考えて決意を固める。
これから薬剤を使って人を殺す⋯⋯。
私は少し怖くなって身震いした。ジェイが優しく肩に手を添えると「ニア、俺たちはお嬢様と一緒だ」と真っすぐな目で見た。私は不安そうな顔を向けたが、すぐに同じように真っすぐな目でジェイを見ると大きく頷いた。
「あっニア」
お嬢様の声に私は心臓の音を大きく鳴らす。
「お嬢様⋯⋯人を連れてまいりました⋯⋯」
「まぁ、こんなにたくさんの人、嬉しいわ。これならすぐ終わるわね」
“すぐ終わる”という言葉に私は身を固くする。お嬢様は朗らかに笑いながら手袋をつけている。
ニアと男たちも手袋をつけた。
「お嬢様、薬剤をお持ちします。それでどこに向かうのですか?」
「庭の奥よ。薬剤はもうあっちに置いてあるわ。ずっとそのままになっていたところがあるの」
お嬢様が歩き始めるので私たちは後ろからついていく。ジェイは私の方を見たが目配せだけだった。
「さぁ、奥からやるわよ。ジェイ、薬剤をこの入れ物に入れてくれる?」
「はい、お嬢様」
白い入れ物の先には霧吹きがついている。
「あのお嬢様⋯⋯本当にこの薬剤で人を殺すんでしょうか?」
「ジェイ、何を言っているの?」
「ですがニアがお嬢様は薬剤を使って片っ端から大量殺人をする。息の根を止めて、しっかり殺すと伺いました」
お嬢様は口を開けたまま固まっている。
「⋯⋯私は除草の話をしていたんだけど⋯⋯」
「ジョソーノ⋯⋯? どこの家門ですか?」
お嬢様は目をパチクリして私を見たあとジェイの方を見た。ジェイは何か言いたそうな顔をしている。
「あっもしかして屋敷の中ですか?」
「そうだけど⋯⋯」
私の心臓は高鳴った。震える手をぎゅっと握りながら勇気を出して一歩踏み出す。
「お嬢様⋯⋯奥様を殺るつもりなんでしょうか⋯⋯?」
ジェイは必死になって手に持っていた薬剤を振り始める。
「ニア⋯⋯どうしちゃったの?」
お嬢様の心配そうな顔を横目に私はジェイの持っている薬剤を見てみた。
“除草剤―息の根を止めて、しっかり枯らす”
私は顔が真っ赤になった。
「あの⋯⋯失礼ですが、お嬢様は何をなさるつもりだったのでしょうか?」
私の態度がいきなり変わったので後ろにいた男たちは顔を見合わせている。
「庭の奥から除草剤で草を無くそうと思ったのよ」
ざわざわ
「草?」
「草だって」
ざわざわ
「草か⋯⋯良かった」
「草⋯⋯生えるもんな」
男たちの妙に生温かい言葉に私は頭を地面につける勢いで頭を下げる。
「お嬢様⋯⋯大変申し訳ありません⋯⋯勘違いをしてしまいました⋯⋯」
「ふふふ、ニアったらうっかり屋さん。それで私が大量殺人をするのを一緒にしてくれる、その覚悟を持った人たちがあなたたちなのね。さぁ、洗いざらい私に話してくれないかしら?」
「はい、お話します⋯⋯」
それを聞いた男たちは肩の力を大きく抜くと、その場にどっと笑いが起きた。
私だけが下を向いてお嬢様と皆に謝りまくっていたけど、私は心から安心した。
するとお嬢様は茶目っ気たっぷりに「お母様には内緒よ」と言った。それもとても嬉しそうに。
それから納会の度にその話が出るようになった。その度に私は顔を真っ赤にさせたが、皆が楽しそうに話すのでまぁいいかと思った。
あとで聞いたのだけれど、そこに集まった人にお嬢様から一時金が出ていたようだ。それから私の勘違い騒動に関わった皆はお嬢様専属の従者になった。
一年経ったある日、またお嬢様は私に言う。
「さぁニア、息の根を止めて、しっかり殺すわよ」
「お嬢様⋯⋯今のはどちらでしょうか?」
お嬢様は茶目っ気たっぷりな可愛らしい顔をこちらに向けた。
庭をあった除草剤を見て書きました(笑)
お読みいただきありがとうございました!