奏との初デート2
今回はちょっと短めです。
──レトロな雰囲気のフードコート。 ふたりはメニューを見ながら、わいわいと楽しそうに話していた。
「これ、美味しそうだね。ミニバーガーセット、ポテト付き」 「ほんとですね。……あ、クレープもシェアしませんか? デザート代わりに」 「いいね。甘いのもちょっと食べたかった」
注文を終えて、テーブルに運ばれてきたのは小さなハンバーガーに、カリカリのポテト、そして生クリームたっぷりのいちごクレープ。
「じゃあ、これ一緒に食べよう」 蒼太がひとつバーガーを取り、ぱくっと頬張った瞬間──
「……あ」
奏が小さく声を上げた。
「え?」
「天宮くん、ここ……ソース、ついてます」
奏はそう言って、少し躊躇いながらもナプキンを取り出すと、そっと蒼太の口元に手を伸ばした。 蒼太は一瞬きょとんとした後、目を見開いたまま固まる。
「……動かないでくださいね」 「……う、うん……」
奏の指先が軽く、丁寧に口元を拭う。 距離が近い。香るのは奏のほのかな柔軟剤の香り。 蒼太は思わず息を呑んだ。
「……取れました。ふふ、もうちょっとでクレープのクリームみたいになるところでしたよ」
「そ、そうだった……ありがとう…」
頬を赤くしながら答える蒼太に、奏もまた、少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「食べるのに集中しすぎたみたい……」
「でも、それだけ美味しいってことですよね。……よかったです」
ふたりは顔を見合わせて、自然と笑い合った。 いつの間にか、ふたりの間にはもう、“沈黙”すら居場所を失っていた。
ポテトも食べ終え、最後に残ったいちごクレープを、ふたりでつつく。 奏がひとくち、フォークでそっと切って食べる。
「甘すぎず、さっぱりしてて美味しいですね」 「うん、いちごの酸味がちょうどいい」
蒼太も同じフォークを手に取り、もうひとくち分をすくって口へ運ぶ。 そしてまた奏が、残りをひとくち。
お互い、ごく自然にそうして食べ進めていた。 同じクレープ、生クリームと果肉を分け合うようにして。
──けれどその「自然」が、ひとつのことに気づいていなかった。
最後のひとくちを奏が食べ終えたところで、ふと、空になった紙皿を見つめたまま言った。
「……なんか、私たち、カップルみたいじゃないですか?」
そう呟いた声には、ほんの少しだけ照れがにじんでいる。 蒼太は驚いたように顔を上げて、そしてすぐに笑って答えた。
「……そうかもね」
その言葉に、奏の頬がふわっと赤く染まった。
「そ、そういう意味じゃなくて……えっと、なんていうか、雰囲気というか……!」
「うん、わかってるよ。雰囲気で、でしょ?」
蒼太の穏やかな笑みに、奏はますます顔を赤くして、俯いてしまった。
「……天宮くん、こういうとき、ほんとずるいです」
「え、俺?」
「ええ……なんでもないです」
カフェのにぎやかな音の中で、ふたりの空気だけがどこか柔らかく、心地よく漂っていた。 まるで“まだ名前のつかない関係”が、少しずつ輪郭を帯びていくように──。
「……行こっか」 蒼太がそう言って立ち上がると、奏も頷いて席を立つ。 トレーを返却口に運びながら、ふたりはまだ少し頬に熱を残したまま、歩き出した。
フードコートを出ると、レトロな雰囲気の通路には、昔ながらのゲーム筐体や、駄菓子のガチャガチャが並んでいる。
「懐かしいですね、これ……」 奏が足を止め、ひとつのガチャガチャをのぞき込む。中には、昭和風のミニチュア看板やサンプル食品のキーホルダー。
「やってみる?」 蒼太の問いに、奏は小さく笑って首をかしげた。
「……天宮くんがやるなら、私も」 「じゃあ、俺が先に」
コインを入れて回すと、カプセルの中から出てきたのは、なぜか“ナポリタンの食品サンプル”。
「うわ、これリアル……」 「ふふ、ちょっと美味しそう」
奏も続けてまわし、小さな“たい焼き看板”を手にする。
「……なんか、これもカップルっぽいですね」 そう呟いてから、慌てて言葉を足す。 「べ、別に意識してるとかじゃなくて、あの、偶然というか……」
蒼太はその言葉に笑いながら、ふとカプセル越しに奏を見た。 「でも俺は、ちょっと嬉しいかも」
奏が一瞬、目を見開いて、またすぐに俯いた。
「……やっぱり、ずるいです」
彼女の小さな声に、蒼太はただ、困ったように笑うだけだった。 だけどその笑顔の奥には、ほんの少しだけ“確信”が宿っていた。 ふたりの関係は、確かに今、少しずつ、前に進んでいる──。
レトロな通路を抜けて、ふたりは遊園地エリアへ戻ってきた。 日も傾き始めて、空の色がゆっくりと夕暮れに染まりつつある。
「次、何に乗ります?」 「うーん……あ、あれ行ってみない? コーヒーカップ」 「意外とスピードありますよ。ちゃんと耐えられますか?」 「なにそれ、挑発?」
そんな軽口を笑いながら交わし、ふたりは次々とアトラクションを巡っていく。 くるくる回るコーヒーカップではふたりして笑い転げ、射的では蒼太が奏の分も狙って撃ち落としたりなど色々楽しんでいると時間はすぐにすぎ、ふと気づけば空はすっかり夜に包まれていた。
パッと目の前に広がったのは、光の海。 イルミネーションが遊園地全体に灯り、まるで別世界のように輝いている。
「……すごい、綺麗……」 奏が思わず足を止め、ぽつりと呟く。 淡いブルーやピンクの光が、彼女の横顔をやさしく照らしていた。
「ね、最後にもう一回……観覧車、乗らない?」 蒼太の言葉に、奏は少し驚いたように目を瞬かせ、それから静かに頷いた。
ふたりだけのゴンドラが、ゆっくりと空へ昇っていく。 さっきとは違う、夜の世界を映した観覧車。
「……イルミネーション、上から見るとまた違いますね」 「うん。下から見るより、なんか……静かで綺麗だ」
窓の外には、色とりどりの光が宝石みたいに瞬いていた。 けれど蒼太の視線は、窓の外よりも、むしろ隣にいる奏のほうに向いている。
奏はそれに気づいたように、少し視線を逸らす。 でも、すぐにゆっくりと蒼太のほうへと向き直る。
「……今日は誘ってくれてありがとうございます。すごく楽しかったです」 「俺も。……なんか、今日一日で、もっと奏のこと、知れた気がする」 「……わたしも、です」
しばらくの沈黙。でも、それはもう気まずさではなくて、心地よさだった。
「また、来たいですね。こういうところ」 「うん。……次は、もっとちゃんとした“デート”として」
そう言った蒼太の声に、奏は驚いたように一瞬目を見開き、すぐにふわっと笑った。
「……それは、そのときの気分次第で、考えてみます」
冗談めかした言い方の奥に、どこか期待を含んだ響きが混じっていた。
観覧車は、ゆっくりと地上に戻っていく。 けれどふたりの気持ちは、さっきよりも少しだけ、高い場所に昇っていた。
観覧車を降りて、イルミネーションの余韻が残る中、駅へと続く道を、並んで歩くふたり。
「……今日は一日、ありがとうございます」 「こっちこそ。たくさん笑ったし、いっぱい話せたし……最高だった」 「……また、どこか行けたらいいなって……思ってます」 「……うん。俺も、そう思ってた」
交わされる言葉のひとつひとつが、どこか丁寧になるのは、名残惜しさのせいかもしれない。
「じゃあ……また、学校で」 「うん。気をつけて帰ってね」
名残惜しそうに手を振る奏を見て、蒼太も軽く手を振り返す。 ふたりの影が、それぞれ違う方向へと歩き出した。
帰宅して、荷物を置いたあと。 スマホに表示された通知が、一つ。
奏:今日はありがとうございました。本当に楽しかったです。
蒼太は思わず笑みをこぼしながら、すぐに返信を打つ。
蒼太:俺も。クレープ、美味しかったね。また一緒に行こう。
少し間を置いて、すぐに返信が届く。
奏:はい、ぜひ……! 次は、もっと甘いのもいけますよ!
そのメッセージを見て、蒼太はスマホを胸に置き、天井を見上げた。
思い出すのは、観覧車から見た夜景と、すぐ隣にいた彼女の笑顔。
──“まだ名前のない関係”は、今日、また少しだけ前に進んだような気がした。