ゴールデンウィーク後の学校
翌朝、蒼太はいつもより少し早く家を出た。連休の後で少し体がだるいような気がしたが、普段通り学校に向かうために足を運んだ。久しぶりに感じる通学路の空気は、少しだけ湿気を含んでいて、春の終わりを感じさせる。
学校に到着すると、いつものように賑やかな声が聞こえてきた。教室に向かう途中、すれ違うクラスメイトたちも明らかにゴールデンウィークを楽しんでいた様子で、笑顔を浮かべていた。
教室のドアを開けると、すでに数人が席に着いているのが見えた。奏は窓際の席で静かに教科書を広げており、蒼太が入ってくると、少し顔を上げて微笑んだ。
「おはよう、蒼太さん」
「おはよう、奏」
蒼太が軽く挨拶を返すと、奏はうなずきながら少しだけ目を細めて言った。
「ゴールデンウィークは、ゆっくりできましたか?」
「まぁ、なんとかね」
蒼太が微笑むと、奏も静かに笑った。そのやり取りを見ていた樹が、わざと大きな声で言った。
「おい、蒼太、やっと学校に来たな!」
「うるさいな」
蒼太が振り向くと、樹はニヤニヤしながら言葉を続けた。
「お前、橘さんと勉強してたんだろ?なんかいい雰囲気じゃねーか」
「勉強だって言ってるだろ」
蒼太が少し恥ずかしそうに反応すると、樹はさらにからかうように笑った。
「いい感じだな、二人とも。お前、橘さんとなんかあるのか?」
「何でもないって」
蒼太は顔を赤くしながら否定するが、その時、教室のドアが開き、元気な声が響いた。
「おはよう!」
坂口雛が遅れて教室に入ってきた。久しぶりに見る雛の姿に、クラスの雰囲気が一気に明るくなった。雛は教室を見渡しながら、にこやかに笑った。
「みんな元気だった?」
「おお、雛!元気そうだな!」
樹が元気よく声をかけると、雛は元気よく答えた。
「うん!ゴールデンウィークはゆっくりできたし、今日は思いっきり頑張るよ!」
雛は満面の笑顔を浮かべながら、蒼太と樹の席の近くに座る。そして、クラスメートたちがそれぞれ元気に挨拶を交わし、しばらくは和やかな空気が流れていた。
その後、授業が始まると、蒼太はふと昨日の勉強のことを思い出す。奏と一緒に過ごした時間が心地よかったことを、少しだけ懐かしく感じた。
教室が落ち着きを取り戻すと、蒼太はふと目を向けた先にいる奏をちらりと見た。静かな微笑みを浮かべているその姿に、胸が少し高鳴る。先日のゴールデンウィークの勉強の時間を思い出すと、心地よい緊張感が戻ってきた。
隣で樹がニヤニヤしながら蒼太を見ているのを感じて、蒼太は軽くため息をついた。「うるさいな」と言いながらも、どうしても顔が赤くなってしまう自分に少し驚く。
「おいおい、また顔赤くなってるぞ、蒼太」と樹がからかってくるが、蒼太は無視して黙ってノートを開いた。
一方で、雛はにこやかにみんなと話しながら席につき、蒼太に向けて手を振った。
「蒼太、お久しぶり!元気だった?」
「うん、元気だよ」と蒼太は笑顔で返す。
雛はしばらく考える素振りを見せてから、ニコニコしながら言った。
「実はさ、ゴールデンウィーク、家のことしてたから、全然出かけられなかったんだよね。みんなみたいに楽しい時間過ごしたかったな〜」
「でも、ゆっくり休めたなら、それが一番だよ」と蒼太が優しく言うと、雛は嬉しそうに笑った。
「うん、ありがとう!でも、また一緒に遊べたらいいな!」と雛が言うと、蒼太は少し照れながらうなずく。
その時、授業が始まり、みんなが静かにテキストを開くと、蒼太もまた集中を始めた。だが、どうしても昨日のことが心に浮かんでくる。奏と過ごした時間、あの静かな空間での勉強が、少しだけ特別なものに感じていた。
その思いが頭をよぎりながら、蒼太は一度だけ窓の外を見つめ、そして再びノートに目を戻した。
授業が進む中、蒼太の視線は何度か無意識に奏に向けられる。静かな教室の中で、奏が集中している姿が、蒼太の心にほんのりとした温かさをもたらす。その穏やかな雰囲気が、他の騒がしい空気の中でも彼にとって特別なものであることを感じさせた。
授業が進むと、樹がちらりと蒼太を見てから、低い声で言った。
「なあ、蒼太、さっきの話、何かあるだろ?」
蒼太は少しだけ顔を赤くしながら、樹に返事をした。
「何もないって言ってるだろ」
「ふーん、まぁ、そう言うだろうな。」と樹は不敵な笑みを浮かべながら答える。だが、その後は口を閉じて、授業に集中し始めた。
雛もその様子を見ていたが、特に気にする様子もなく、ただニコニコと笑っていた。
授業中、蒼太の心はどこかふわふわとしていた。隣の席の奏のことを思いながら、少しだけ視線を交わすだけで、心がどきりとする感覚があった。あのゴールデンウィークの静かな時間が、二人にとって何か特別なものに変わりつつあるのを感じる。だが、その気持ちにどう向き合っていいのかはまだわからないままだった。
その後、昼休みのチャイムが鳴ると、クラスメイトたちはそれぞれ食堂や自分たちの場所に向かっていった。蒼太は重い荷物を片付けながら、少し考え込みながら立ち上がった。すると、奏がそっと声をかけてきた。
「蒼太さん、今日は一緒にお昼を食べませんか?」
その一言が、蒼太の胸を一瞬で温かくした。
「うん、いいよ」
奏の微笑みに引き寄せられるように、蒼太は軽く頷いて答える。二人が食堂に向かう途中、樹と雛が後ろから少し距離を取って歩いていた。
樹は蒼太と奏を見守るような目つきで見つめながら、雛に軽く言った。
「お前もいつか、こういう風に勉強を一緒にすることになるんだろうな?」
雛は少し顔を赤くしながらも、ニコニコと返事をした。
「うーん、どうだろうね。でも、私も蒼太たちみたいに、もっと仲良くなれたらいいな!」
樹は少し考えた後、にやりと笑った。
「そうだな」
その後、蒼太と奏は食堂でランチを楽しみ、自然に会話が弾んだ。奏は、少し照れくさそうに言った。
「蒼太さん、ゴールデンウィークの間、色々お世話になりました。とても充実した時間を過ごせました」
「こちらこそ、楽しかったよ」と蒼太は微笑んで答えた。
その時、奏は少し考えるような仕草を見せてから言った。
「これからも、一緒に勉強したり、お話したり、もっとお近づきになれたら嬉しいです」
その言葉に、蒼太は心の中で少しだけ温かさを感じた。奏がこうして話してくれることが、何だかとても特別に思えた。
その言葉に、蒼太は思わず少し顔を赤くし、照れくさい笑顔を浮かべた。「うん、もちろんだよ。僕も、もっと色々話したいし、勉強も一緒に頑張りたいと思ってる」と、自然と自分の気持ちが言葉になっていた。
奏はその言葉にほっとしたように微笑んで、さらに少し顔を赤くしながら言った。「ありがとう、蒼太さん。でも、私はまだまだあなたに追いつけるように頑張らなきゃね」
蒼太は少し考えた後、少しふざけた感じで言った。「いや、奏ならすぐに追いつくよ。もう少ししたら、きっと僕の方が追い越されるかもしれない」
その言葉に、奏はちょっと驚いたような顔をしてから、楽しそうに笑った。「蒼太さん、謙遜しすぎですよ。でも、そう言ってくれると嬉しいです」
食堂でのランチは、あっという間に過ぎていった。クラスメイトたちもそれぞれ食事を終え、再び授業が始まる時間が近づいてきた。
食事を終えた二人が教室に戻る途中、樹と雛がすぐ後ろを歩いていた。樹がまたニヤニヤしながら蒼太に声をかけた。「おい、さっきの話、本当に何もないんだろうな?」
「何もないって言ってるだろ」と、蒼太は軽くうんざりしたように返したが、顔が赤くなっているのは隠せなかった。
雛がその様子を見て、笑いながら言った。「蒼太、顔が赤くなってるよ!本当に何もないの?」
蒼太は恥ずかしさで顔を覆いながら、ふたりに答えた。「何でもないってば!」
その後も、少しだけからかわれながら教室に戻ると、再び授業が始まり、二人はその日もまた、少しだけ違った感覚を持ちながら過ごしていった。
午後の授業は、妙に長く感じた。 ノートを取りながらも、蒼太はつい、昼休みのやり取りを思い出してしまう。
(あんな風に話すの、初めてだったな……)
普段の勉強のこと、少しだけ見せた本音。 それに奏の、あの嬉しそうな笑顔。
「──天宮、当てるぞ」
不意に名前を呼ばれ、蒼太はあわてて顔を上げた。
「えっ、はい!」
「この関数の極値、どうなる?」
「あ……はい、導関数を零にして、増減を調べれば……」
どうにか答えきったものの、周囲から小さな笑いが漏れる。 視線を前に戻すと、斜め前の席で奏がこちらをちらりと見て、そっと笑ったように見えた。
(……見てたか)
何気ない仕草ひとつで、昼の出来事がまた胸の奥をくすぐる。
放課後、生徒たちはざわざわと帰り支度を始めた。 蒼太も教科書を鞄に詰めながら、ふと前方に目をやる。
奏はすでに席を立ち、教室の出入口近くで鞄を肩にかけていた。 その目が一瞬だけ蒼太の方を見て、静かに小さく会釈をした。
──言葉はなくても、それだけで十分だった。
蒼太も軽く手を挙げて応え、視線が自然と緩んだ。
まだ「友達」と呼ぶには少し曖昧で、 でも「ただのクラスメイト」とはもう言えない距離。
その微妙な境界に立ったまま、蒼太はゆっくりと教室をあとにした。
春の名残を感じさせる風が、制服の襟を少しだけ冷たく撫でていった。