青い瞳の美少女との勉強会2
食事を終え、蒼太が「ごちそうさま」と言うと、奏も静かに手を合わせた。
「片づけ、俺も手伝うよ」
「いえ、大丈夫です。蒼太さんは……その、座っててください」
「いやでも、さすがに食べさせてもらって片づけも任せるのは気が引けるっていうか」
「……じゃあ、隣でお話だけしててください。それなら、うれしいです」
奏の言葉に、蒼太は一瞬言葉を失い、すぐに小さく笑った。
「そっか。じゃあ、特等席で見守ってる」
「ふふ、それなら緊張しちゃいます」
テキパキと食器を片づける奏を横目に、蒼太はリビングのソファに腰掛けた。 窓の外は穏やかな陽射し。静かな時間が流れる中、自然と話題が日常のことへと移っていく。
「そういえばさ、奏って休みの日は何してるの?」
「基本的には家のことをして、あとは本を読んだり、勉強したりです」
「なんか、やっぱりしっかりしてるよな。料理も家事もできるし」
「そういうの、やらないといけない環境だったので……でも、得意ってわけじゃないんです」
「いやいや、オムライス見たら誰でも信じるって。てか、次のご飯も楽しみなんだけど」
「えっ……っ、ちゃんと夕ご飯も考えてますから」
「ほんと?じゃあ、楽しみにしてる」
ふと目が合い、どちらともなく少しだけ笑う。 穏やかな午後の空気の中、言葉を重ねていくごとに、二人の距離が自然と縮まっていくのがわかった。
「そろそろ、また勉強始めようか」
蒼太がそう声をかけると、奏は片付け終わったキッチンから戻ってきて、こくりと頷いた。
「はい。午後もよろしくお願いします」
「こっちこそ」
二人は再び並んで机に向かう。さっきまでの食事中の和やかな空気とは少し違い、今はまた静かな集中の時間が流れていた。
時折、奏が小さく何かを呟き、蒼太がそれに応じる。言葉は少ないが、同じ空間にいて、同じ目的で過ごしていることが、ふたりの間に心地よい一体感をもたらしていた。
──そして、気づけば日も傾きかけていた。
「……そろそろ、夕ご飯の準備を始めますね」
ふいに奏が立ち上がり、静かに言った。
「え、もうそんな時間?」
蒼太が時計に目をやると、思っていたよりもずっと時間が経っていた。
「勉強に付き合っていただいてばかりだったので……。今度は、私の番です」
「いや、無理しなくていいよ? って言ってももう決めてる顔だな、それ」
奏は少しだけ笑いながらうなずいた。
「はい。だから、蒼太さんはまた座っててください」
「またか……まあ、じゃあ楽しみにしてる」
「頑張ります」
そう言ってキッチンへ向かう奏の後ろ姿を、蒼太は自然と目で追っていた。 ほんの少し日が差し込むキッチン、その中で動く彼女の姿がどこか柔らかく、温かく見えた。
キッチンからは、野菜を刻む音や、鍋の蓋が軽く揺れる音が静かに響いていた。 蒼太はリビングの机に戻っていたが、ペンを持ったまま、時折その音に耳を傾けていた。
しばらくして、ふんわりとした香りが漂ってくる。
「蒼太さん、できました」
奏の声に呼ばれ、蒼太は立ち上がった。ダイニングテーブルには、炊きたてのご飯と、彩り豊かな数品のおかずが丁寧に並べられていた。
「すごい……ちゃんと夕飯になってる」
「簡単なものですけど、栄養は考えました」
どこか照れくさそうに笑う奏に、蒼太も思わず頬を緩めた。
「いただきます」
「いただきます」
箸を手に取ると、蒼太は一口、味噌汁をすすった。
「……うまい」
「よかったです」
「というか、さっきのお昼も思ったけど、奏って料理ほんと上手いよな。俺、一人暮らしだけど、こんなの作れない」
「お母さんの味を、少しでも思い出せたらと思って……。味、濃くなかったですか?」
「全然。むしろちょうどいいよ」
そんな他愛ない会話を交わしながら、静かで温かい夕食の時間が過ぎていく。 窓の外は、すっかり夕暮れに染まり始めていた。
食後、ふたりは並んで「ごちそうさま」と手を合わせた。 奏が立ち上がって食器を片づけようとすると、蒼太もすぐに席を立つ。
「今度こそ手伝うってば。皿ぐらい運ばせて」
「……じゃあ、水切り籠に並べてもらえますか?」
「おう、任された」
キッチンで肩を並べての片づけは、昼よりも少しだけリラックスしていた。 お互いの息遣いがそっと混ざるような、穏やかな時間。
「今日、ずっとこんな感じだったね」
蒼太の言葉に、奏が少し驚いたように目を向ける。
「……こんな感じ?」
「なんかさ、ずっと一緒にいたって感じ。変な意味じゃなくて、気がついたら、自然に」
「……うん。わたしも、そんな気がします」
水音に混じる声は小さく、それでも確かな気持ちを含んでいた。
ふと、奏が手元を滑らせかけた瞬間、蒼太が反射的に手を伸ばす。
「っ、あぶなっ」
「……す、すみません……!」
彼の指先が、奏の手の甲にふれる。 一瞬の静寂。奏がそっと手を引くと、蒼太も慌てたように少し身を引いた。
「ご、ごめん……」
「いえ……助かりました。ありがとうございます」
沈黙が、気まずさではなく、なぜか少しだけ胸をくすぐるようなものに変わっていく。 そんな中、奏が口を開いた。
「……もうすぐ、夜ですね」
「そうだな。帰るの遅くなっても大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
そう言って微笑む奏に、蒼太の胸が、ほんの少しだけ高鳴る。
食器をすべて片づけ終え、キッチンから戻ったふたりは、リビングのソファに並んで腰を下ろす。ささやかな沈黙が続いたあと、蒼太がぼそりと呟く。
「なあ、もしよかったら──」
その瞬間、ふいに部屋の照明が一瞬ふわっと揺らいだ。電気が消えるわけではないが、まるで一瞬だけ明滅したかのように、光が揺れる。 ふたりは反射的に顔を見合わせた。
「……今、ちょっと暗くなりましたよね?」
「うん。たぶんブレーカーか、外の電圧が不安定になってるのか……」
そう答えながら蒼太が立ち上がろうとした、そのとき。
──バチン。
突然、部屋の照明がすべて落ちた。
「うわ、まじか……停電?」
「……っ、びっくりした……!」
急な暗闇に、奏が思わず蒼太の服の袖を掴む。手探りの動きだったが、しっかりと彼の腕に指がかかっていた。 しばしの静寂。
「……奏、大丈夫?」
「す、すみません……。ちょっと、びっくりして……」
「あ、いや、いいって。俺も驚いた」
言葉と共に、蒼太はスマホを手に取り、懐中電灯機能を点ける。 白い光がリビングを照らし、そこでようやく奏が自分の手がまだ蒼太の袖を掴んでいることに気づいた。
「っ、ご、ごめんなさい……!」
「あ、うん……」
慌てて手を放す奏。けれど、その間際にふと、蒼太の指先がかすかに奏の指にふれて、ふたりは同時に息を止めたような気配になった。 微かな沈黙。
「……暗いと、ちょっと、距離が近く感じますね」
奏がぽつりと零した声に、蒼太は思わず笑いそうになりながらも、真剣なまなざしで答えた。
「うん……たしかに」
白い光に照らされた彼女の横顔は、ほんの少し、赤くなっているように見えた。 外では街灯がちらちらと灯り、数分後には電気も元通りに戻った。
だが、その数分間の静かな暗闇が、ふたりの距離を一歩だけ近づけたことは間違いなかった。
照明が元に戻り、蒼太は軽く息をついてスマホの画面を確認した。 時刻はすでに19時を過ぎていて、少しずつ空気が冷たくなるのを感じた。
「あ、もうこんな時間か」
「……え?」
奏が思わず顔を上げると、蒼太は少し驚いた様子で時計を見せながら尋ねる
「帰る時間、大丈夫?」
そう尋ねると、奏は一瞬だけ言葉に詰まり、すぐに首を横に振った。
「はい、大丈夫です。……別に、待っている人もいませんから」
「……そっか」
「お父さんは、たぶん今もどこかで仕事中です。家にはいませんし、心配とか、そういうのは……ないです」
奏はあっさりと言い切った。だが、その声の奥には少しだけ、冷たく張り詰めたものが混じっていた。
「……でも、夜道は危ないだろ。送ろうか?」
蒼太の申し出に、奏は少し驚いたような顔をしたあと、ふわりと微笑んだ。
「ありがとうございます。でも、もう慣れてますから、大丈夫です」
そう言って、奏はゆっくりと鞄を肩にかける。 その背中を見つめながら、蒼太はふと、ひとつのことに気づいた。
──あの子は、たった一人で全部背負ってるんだ。
「……また来てくれる?」
ふいに漏れた蒼太の問いかけに、奏はくるりと振り返り、少しだけ目を見開いたあと、小さく笑った。
「はい。また来ます。……迷惑でなければ」
「迷惑なんか、なわけないだろ」
言い終わる頃には、蒼太の声は少しだけ照れていた。 そして奏は小さく、けれどどこか嬉しそうにうなずいた。
「それじゃあ、今日はありがとうございました。……失礼しますね」
「気をつけてな」
玄関のドアが静かに閉まる音を聞いたあと、蒼太はしばらくの間、立ち尽くしていた。 その余韻が、なぜか心の奥に静かに染み込んでいた。
静かな部屋に戻ると、蒼太はリビングの電気を消し、窓際に立った。 街の明かりがちらちらと瞬き、遠くに奏の姿はもう見えない。
それでも、今日という一日が、確かに彼女と自分の中に刻まれた気がして── 蒼太はそっと、微かに笑った。
次にまた会える日を、少しだけ楽しみにしながら。