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青い瞳の美少女との勉強会

 二人がリビングに入ると、蒼太はテーブルの上に広げてあった問題集やノートをさっと整えた。

「適当に座って。飲み物、なにかいる?」

「いえ、大丈夫です。……すみません、押しかけるみたいな形になってしまって」

 奏は恐縮したように言いながら、テーブルの向かい側に腰を下ろした。その姿勢はどこかぎこちなく、けれど礼儀正しく整っている。

「押しかけって……むしろ、来てくれて嬉しいよ。家で誰かと勉強するの、初めてだし」

「ふふ、私もです。こうして人の家に来るのも、あまりないので……」

 そう言って微笑む奏の表情には、ほんの少しだけ緊張の色が残っていたが、それ以上に穏やかさがあった。

「じゃあ、どこからやろうか。前に話してた数学の範囲でいい?」

「はい。関数のところが、まだちょっと不安で……」

 奏は鞄からノートと教科書を取り出し、丁寧にページを開く。蒼太も自分のノートを開いて、隣に腰を移した。

 気がつけば、ふたりの肩の距離は思ったよりも近かった。

「……ここ、グラフの読み取りで詰まった?」

「はい……どうしても、yの値の変化を見落としてしまって」

「なるほど。じゃあ、これは──」

 蒼太がペンを手に取り、ノートの余白に図を描く。奏は真剣な表情でそれを見つめ、時折うなずいたり、疑問を口にしたりした。

 淡く差し込む午前の光の中、静かにページをめくる音と、ふたりの声だけが部屋に響く。

 ──まるで、時間がゆっくり流れているようだった。

 蒼太が解説を終えると、奏は小さく頷いて、そっとペンを持った。

「……えっと、つまり、ここの変化は……こう、ですか?」

「うん、合ってる。そこに気づけてるなら、もう大丈夫だと思う」

「よかった……ありがとうございます」

 ほっとしたように息をつく奏。その表情がふと緩んで、いつもの真面目な印象とは少し違った柔らかさが浮かぶ。

 蒼太はそんな奏の横顔に、またしても心を奪われそうになったが、慌てて視線をノートに戻した。

「……他に気になるとこ、ある?」

「はい。ここの応用問題なんですけど、公式はわかるのに、答えが合わなくて……」

「ちょっと見せて」

 自然に体を寄せる蒼太。その瞬間、二人の肩がほんのわずかに触れた。

「……っ」

 奏の動きが一瞬だけ止まり、蒼太もはっとしたように顔を上げた。

 目が合う。 気まずい沈黙が、数秒だけ流れる。

「……ごめん」

「い、いえ。……びっくりしただけです」

 奏は少しうつむきながら、恥ずかしそうに微笑んだ。

「……でも、変じゃないです。こうして並んでるの、なんだか不思議ですけど、嬉しいです」

「……俺も。奏とこうしてるの、なんか、いいなって思ってる」

 どちらからともなく笑みがこぼれて、またふたりはノートに視線を戻した。

 ふたりの距離は、もう少しだけ近づいていた。


「……よし。とりあえず、ここまでで一段落かな」

 蒼太がペンを置いて伸びをすると、奏もほっとしたように背もたれに身を預けた。

「ありがとうございます、蒼太さん。ずっと付き合っていただいて……」

「いや、こっちこそ。奏と勉強するの、意外と楽しい」

「ふふ……嬉しいです」

 しばらくの沈黙のあと、蒼太が立ち上がった。

「ちょっとお茶淹れるけど、何か飲む?」

「えっ、いいんですか? それじゃあ……お茶、いただけますか」

「了解。すぐ戻る」

 キッチンへ向かう蒼太を、奏は小さく微笑みながら見送る。こうして他人の家でくつろぐのは久しぶりで、どこか落ち着かないけれど──その居心地の悪さを、蒼太の優しさがふんわりと和らげてくれていた。

 しばらくして、湯気の立つマグカップを二つ手にした蒼太が戻ってくる。

「ほい、どうぞ」

「ありがとうございます……あ、温かい……」

 両手でマグを受け取る奏の指先に、ふっと目がいく。蒼太は一瞬だけ視線を外したが、顔には自然な笑みが浮かんでいた。

「甘いものとかあれば良かったけど……今度、買っとくよ」

「ふふっ、じゃあ次は楽しみにしていますね」

「……じゃあ、次もあるってことで」

「……はい。よければ」

 目が合い、ふたりは少しだけ照れながら笑い合った。


 それから少し経った後

「……あの、蒼太さん」

 カップを両手で包み込むように持ったまま、奏がふと顔を上げる。少し迷ったような、その目が蒼太を見つめていた。

「今日は、色々していただいてばかりなので……。せめて、お昼と夜ご飯くらい、私が作らせていただけませんか?」

「え?」

 思わず聞き返すと、奏は少し恥ずかしそうに微笑んで、続ける。

「蒼太さんに案内してもらったり、気を遣ってもらったり……。今日もお邪魔してるのに、何もしないのは落ち着かなくて」

 その表情に、遠慮と真っ直ぐな思いがにじんでいた。

「だったら、せっかくの一日ですし。お料理、させてください」

「……そんなの、全然気にしなくていいのに。でも、正直助かる」

「ありがとうございます。では、冷蔵庫、見せていただいてもいいですか?」

「うん、一緒に見よう」

 立ち上がった蒼太が冷蔵庫の扉を開けると、奏が隣に来て中を覗き込む。真剣なまなざしで食材を確認する様子が、どこか微笑ましい。

「お昼は……親子丼にします。夜は、それまでに何か考えますね」

「楽しみにしてる」

「……プレッシャーかけないでください」

 くすりと笑う奏に、蒼太もつられて笑い返す。距離はまだ慎重だけれど、その間にある空気は、少しずつやわらかく溶けていった。


 しばらく談笑が続いたあと、蒼太が時計をちらりと見てから、ふと思い出したように声を上げた。

「そろそろ、お昼にするか」

 そう言って立ち上がろうとしたところで、奏もすっと腰を上げる。

「はい。じゃあ、私が作りますね」

「いや、手伝うよ。包丁くらいは使えるし」

 蒼太がキッチンの方へ向かおうとすると、奏が慌てて小さく手を広げて制した。

「だ、だめです。蒼太さんは座っててください」

「え、なんで?」

「今日は……私が作るって、決めてきたので。せめて、それくらいはさせてください」

 そう言って小さく微笑む奏の表情には、頑固さとやわらかさが同居していた。

 蒼太は少し口を開けかけたが、そのまま言葉を飲み込んで頷いた。

「……わかった。じゃあ、おとなしく見てるよ」

「はい。すぐ作りますので、少しだけ待っててください」

 奏はエプロンを借りると、慣れた手つきで冷蔵庫と戸棚を開き、食材を取り出しはじめた。その様子をソファから見つめながら、蒼太は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。


 奏は冷蔵庫から卵や野菜を取り出し、てきぱきと作業を進めていく。包丁のリズムよく刻む音が、静かな部屋に心地よく響いていた。 蒼太はソファに腰を下ろしたまま、その様子をぼんやりと眺めていた。

「……なんか、すごいな。慣れてるんだな、こういうの」

 思わずこぼれた独り言に、奏が少しだけ振り向いて、恥ずかしそうに笑った。

「一人暮らしなので、自然と覚えました」

「それでも、こんな手際よくできるのはすごいよ」

「……ありがとうございます。でも、今日は特別ですから」

「特別?」

「蒼太さんに、色々してもらってばかりだったので……。少しくらい、私もお返ししないとって思って」

 照れくさそうに言う奏の横顔が、昼の日差しに照らされてやわらかく輝いて見えた。

 蒼太は一瞬、言葉を失ってしまう。 心の奥に、ふわりと何かが落ちてきたような感覚。

「……そういうの、ずるいな」

「え?」

「いや、なんでもない。いい匂いしてきたなって思って」

 ごまかすようにそう言うと、奏はくすりと笑って、フライパンに手を伸ばした。 まもなく、ふたり分の温かい昼食がテーブルに並べられることになる──


「お待たせしました」

 奏がテーブルにプレートを置くと、湯気の立つオムライスが現れた。ふんわりと包まれた卵に、ケチャップで小さくハートが描かれている。

「……え、これ、もしかしてわざと?」

「ち、違いますっ。つい、手が……!」

「いや、嬉しいけど」

 奏は顔を赤くして、少しうつむいたまま椅子に座る。そんな様子が可愛くて、蒼太は思わず微笑んだ。

「いただきます」

「いただきます」

 ふたり揃って手を合わせ、スプーンを手に取る。 一口食べた瞬間、蒼太の表情がぱっと明るくなる。

「うまっ。これ、店のレベルじゃん」

「……ほんとですか?」

「マジで。これ毎日食べたい」

「それは……さすがに、困ります」

 照れながらも嬉しそうに微笑む奏に、蒼太の心がじんわりと温まっていく。

「にしても、昼からこんなにちゃんとしたご飯食べたの、久しぶりかも」

「一人だと、つい簡単に済ませちゃいますよね」

「うん。インスタントとか、パンだけとか」

「それ、ダメです。ちゃんとした食事じゃないと」

「じゃあ、これからも作ってもらおうかな」

 冗談めかして言ったその一言に、奏は少しだけ戸惑いながらも、小さくうなずいた。

「……よければ、また」

 蒼太の胸に、ふわっとあたたかい何かが広がった。 いつもの教室では見られない、彼女のやわらかさと距離の近さに、自然と心が惹かれていく。

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