青い瞳の美少女と連絡先交換
その日はそれぞれの帰路についたけれど、胸の奥にはどこか火照るような、言葉にできない感情が残っていた。
家に着いて、奏は静かに靴を脱ぐ。 玄関の電気をつけると、いつも通りの無音の部屋。 でも、今日はなぜか──その静けさが、ほんの少しだけ違って聞こえた。
リビングへ向かいながら、ふとスマホを取り出す。画面には誰からの通知もない。 何かを期待したわけじゃない。でも、画面を見てしまった自分に気づいて、小さく笑った。
「……ほんと、何やってるんだろ」
ソファに座って、今日のことを思い返す。 出会ったばかりなのに、どうしてあんなに自然に話せたんだろう。 どこか人との距離を測るのが癖になっていたはずなのに、気づけば隣に立っていた。寄り添ってくれていた。
──次に、また会ったとき。 今日みたいに話せるだろうか。 それとも……今日より、少しだけ近づけるだろうか。
その頃、蒼太は部屋の机に向かっていた。 今日も変わらず、ルーティンのように問題集を開き、手を動かす。
けれど、いつもより集中できない自分に気づく。 ふと、窓の外に目を向けた。夕焼けはもう闇に溶け、街は静けさに包まれている。
「……案内、か」
声に出すと、なぜかくすぐったいような感覚が胸に残った。 別に特別なことはしていない。ただ一緒に歩いただけ。 なのに、妙に記憶の中で鮮やかだ。奏の言葉も、視線も、少しだけ照れたような笑顔も。
次に話すとき、どんな顔をすればいいだろう。 そんなことを考えている自分に、ほんの少し驚く。
「……ま、また明日には会うしな」
そう呟いて、蒼太は再びペンを走らせた。
けれど──心の奥に残った微かな熱は、まだ消えずにいた。
翌朝、目覚ましの音が鳴るより少し早く、奏は目を開けた。 カーテンの隙間から差し込む朝の光が、部屋の中をやわらかく照らしている。
「……なんか、よく眠れたかも」
つぶやいた声が、自分でも不思議に感じるほど穏やかだった。 学校に行くのが、ほんの少しだけ楽しみだと思える朝は、どれくらいぶりだろう。 制服に袖を通しながら、髪を結ぶ手にも自然と力が入る。
一方その頃、蒼太は洗面所の鏡の前で、前髪の跳ねを直していた。 いつもなら無造作に撫でるだけで終わらせるのに、今日は妙に気になる。 自分でも、何やってんだと思いながら、手ぐしで整え直す。
「……別に、気にする必要ないし」
そう言いながら、鏡の向こうに映る表情は、昨日よりほんの少しだけ柔らかかった。
学校へ向かう道。 いつもの通学路なのに、どこか景色が違って見える。 奏は校門をくぐりながら、ふと教室の方を見やった。 ──彼は、もう来てるだろうか。
蒼太もまた、教室のドアの前で立ち止まっていた。 中には数人のクラスメイト。奏の姿はまだない。 自分でも意識していないフリをしながら、つい後ろを振り返る。
そして── 「……あっ」
目が合った。
一瞬、言葉が浮かばなかったのは、どちらも同じだった。 でも次の瞬間、どちらからともなく、ごく自然に──小さく、微笑みあった。
昨日の夕焼けの記憶が、ふたりの間に、まだ静かに灯っていた。
「おはようございます」
奏が小さく頭を下げて、控えめに挨拶する。 声は少しだけ緊張していたけれど、どこか嬉しそうだった。
「……おはよう」
蒼太も、少し照れたように笑いながら応えた。 他愛のない、それだけのやりとり。 なのに、胸の奥がふわりとあたたかくなる。
奏はそっと鞄を抱え直しながら、教室に入る。 蒼太もそれに続いて、自然と同じタイミングで自分の席へ向かった。
──ただそれだけなのに。 いつもの教室の景色が、少しだけ特別に見えた。
席に着き、鞄から教科書を取り出しながら、奏はふと蒼太のほうに視線を向ける。 すると、ちょうど同じタイミングで蒼太もこちらを見ていて──
目が合った。
「……っ」
奏は思わず目をそらしかけたけれど、蒼太がすぐに、ほんのわずかに口元を緩めた。 優しい、安心するような笑顔だった。
それだけで、胸がぎゅっとなる。
奏も、今度は逃げずに、そっと笑みを返した。 言葉はない。 でも、心がほんの少しだけ、また近づいた気がした。
午前の授業が終わると同時に、蒼太の後ろから勢いよく椅子が引かれる音がした。
「なぁ、蒼太〜。昨日さ、橘さんと一緒にいたろ?」
振り向かなくてもわかる、気安い声。 「村上 樹」──中学からの友人で、良くも悪くも距離感ゼロの男だ。
「あぁ樹か、見てたのかよ……」
「見たわ。てかクラス中の誰かしら見てたろ、あれ。目立ちすぎ。何、もう仲いいの?」
「……別に。たまたま案内頼まれただけだよ」
「へぇ〜……で、連絡先は交換した?」
「してない」
「は? なんで?」
「いや、する理由なくない?」
「あるだろ。案内続けるなら連絡先は必要だし、ってかふつー交換する流れだろ昨日の帰りは!」
「……うるさい」
蒼太がため息をつくと、樹はにやにや笑いながら肘で軽く小突いてきた。
「チャンスは逃すもんじゃねぇぞ、天宮。ほら、今いけ今。今なら自然だろ」
「……」
蒼太はちらりと前の席──奏を見た。 ちょうど席に戻ってきたところで、スマホを手にしている。
今なら、たしかに自然かもしれない。
──そして、立ち上がる。
「よっしゃ……いいぞ、その意気!」 背中を押すように、樹が小声で囁く。
奏の席まで歩いていくと、彼女は顔を上げた。 青い瞳が、一瞬きょとんと揺れる。
「……橘。ちょっといいか?」
「はい……?」
「昨日のことだけど、案内また必要になるかもだし。連絡先、交換しといたほうがいいかなって」
一拍置いて、奏は小さく笑った。
「……わかりました。じゃあ、こちらに」
お互いのスマホを差し出し合う。 その一瞬の間に、微かに触れた指先が、妙に意識に残る。
席に戻ると、樹が満足げに親指を立てていた。
「よーしよし、ナイス。やっぱ俺がいないとダメだなお前は」
「うるさい」
──でも、表情はどこか緩んでいた。
午後の授業が終わり、放課後のチャイムが鳴る。ざわつく教室の中、橘奏は席を立ち、鞄を肩に掛けた。
天宮蒼太も前の席で立ち上がる。机の上の教科書をまとめながら、軽く伸びをする。
「天宮くん、帰るんですか?」
声をかけられた蒼太は、そちらを向いた。
「うん。奏は?」
「私も、帰ります。今日はもう案内、大丈夫です」
「そっか。じゃあ、また何かあったら」
「……はい」
少し間があいて、奏が言葉を続けた。
「あの、LINE……送ってもいいですか?」
蒼太は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにうなずいた。
「うん。いつでも」
「ありがとうございます」
二人の会話はそれだけだった。蒼太は先に教室を出ていく。奏は少ししてからその後を追った。
その日の夜、蒼太のスマートフォンに通知が届いた。 画面には「橘奏」の名前と、短いメッセージが表示されていた。
『今日はありがとうございました。また案内、お願いするかもしれません』
蒼太は画面を見つめ、しばらくしてから返信を打ち込む。
『了解。またいつでも声かけて』
送信したあと、スマホを見ながら、小さく息を吐いた。
『……案内、ね』
その短いメッセージだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。 気取っても、取り繕っても意味がない。ただ、嬉しかった。それだけだった。蒼太はスマホを伏せてベッドに身を倒した。天井を見上げながら、つい笑みが漏れる。 何も特別なことは起きていない。だけど、明日が少しだけ楽しみに思える──そんな夜だった。
一方その頃、奏もまた自室のベッドの上で、スマホを胸の上に置いて仰向けになっていた。 ほんの一言、送るのにどれだけ時間がかかったのだろうか。送信した後、心臓の音が少しだけ速くなったような気がした。
返信が返ってくるまでの時間が、少しだけ長く感じられた。 でも、届いたその言葉が嬉しくて、また画面を見返してしまう。
──また、話せる。
たったそれだけのことが、こんなにも心を軽くするなんて。 ひとりの夜は変わらず静かだけど、心の中には誰かがいてくれる──そんな気がしていた。
そして、二人の夜はそれぞれ、ゆっくりと更けていく。 言葉にはまだできない、小さな芽のような想いを胸に抱いて。
──明日、また会えるから。
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