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夏祭り前半

 夏祭り当日の午後。

 西日が照りつけるアスファルトは熱を帯び、地面から立ち上る陽炎が揺らめいている。まるで空気そのものが溶けているような蒸し暑さに、街のあちこちで蝉が一斉に鳴き始め、強弱をつけながら重なり合って鳴き響いていた。蝉時雨は、季節の終わりの刹那的な美しさを感じさせる。

 そんな中、奏は小さな手提げ袋をしっかり握りしめて、ゆっくりと歩いていた。どこか緊張した様子が背中から伝わってくる。

 今日は特別な日。雛の家で浴衣を着せてもらい、みんなで夏祭りに出かける約束をしている。いつもは控えめな奏にとって、少しだけ自分が輝く瞬間かもしれない。


 細かく整えられた石畳の上を歩く足音が、カツン、カツンと響く。道の両側には手入れの行き届いた庭が続き、夏の花々が鮮やかに咲き誇っていた。真っ赤なサルスベリの花びらが風に揺れ、薄紫の藤棚(ふじ)が軒先から顔を覗かせる。どこかから金木犀(きんもくせい)の若葉の香りが混じった、爽やかな風が優しく奏の頬を撫でた。

「……暑いなあ」

 額にじんわりと汗がにじみ、奏は指先でそっと拭った。今日は日傘を持ってくればよかったと思ったが、浴衣の準備で両手が塞がるだろうからと、あえて置いてきたのだった。

 足元を見ると、白い足袋が夏の日差しに反射して少し光っている。草履の鼻緒が少しずつ足に馴染んでいくのを感じながら、奏はゆっくりと歩みを進めた。


 やがて、雛の家の門扉が見えてきた。白壁の塀に囲まれた小さな庭には、色とりどりの花が咲き乱れ、まるで小さな楽園のようだ。軒先には小さな風鈴が吊るされ、涼やかな音色が風に乗って揺れていた。

 奏が呼び鈴を押そうとした瞬間、玄関の扉が勢いよく開き、元気いっぱいの声が響いた。

「奏ちゃーん! こっちこっち!」

 紺色のTシャツにショートパンツを合わせた雛が、裸足のまま玄関に立っていた。肌は日焼けで少し褐色に染まり、顔いっぱいに笑顔を浮かべている。両手を大きく振りながら、「早くおいで!」と呼びかけた。

「こんにちは、お邪魔します」

 奏は少し緊張しながらも丁寧に頭を下げた。

 奥から雛の母が顔を出し、優しい笑みを浮かべて「楽しんできてね」と声をかけてくれる。

「ありがとうございます。お世話になります」

 そう挨拶すると、雛の母は玄関で軽く会釈を返した。


 二階の雛の部屋に通されると、そこには色とりどりの浴衣と帯、そして華やかな髪飾りが山のように並べられていた。ピンクや水色、紫、白地に藍色の花が散ったものまで、どれも鮮やかで目移りする。

「これ全部私の浴衣コレクションなんだよ! その中から奏ちゃんに似合いそうなの選んだよ!」

 雛は嬉しそうに浴衣を広げ、見せびらかすように次々手に取る。

 奏はその中から、落ち着いた白地に紺色の花模様が散った浴衣に目を留めた。

「これ、いいですね」

「でしょ! じゃあこれにしよう!」

 雛は深い藍色の帯を選び、帯締めをきゅっと結び直す。簪には小さな銀の鈴がついていて、少し動くたびに優しい音が鳴った。


「じゃあ着付け始めるよ。腕を上げて!」

 雛の手つきは慣れたもので、帯の締め具合も絶妙だった。

「くすぐったいです……」

 奏がくすぐったそうに肩をすくめると、雛は笑いながら「我慢して! もうちょっとで終わりだから!」と励ます。


 帯がぴたりと決まると、次は髪をまとめる。

「奏ちゃんの髪、つやつやで羨ましいなあ」

「ありがとうございます……雛さんの方がずっと器用ですよ」

「ふふん、これくらい簡単!」

 雛は高い位置で髪をまとめ、簪を差すと、鈴がちりんと鳴って二人とも笑顔になった。


 鏡の前に立った奏は、浴衣姿の自分をじっと見つめる。少し恥ずかしそうに、でもどこか嬉しそうに。

「似合ってますか?」

「似合いすぎ! 絶対自信持ちな!」


 準備を終えた二人は、そっと玄関を抜けて外へ出た。夏の空は夕暮れが近づき、淡いオレンジ色に染まっている。浴衣姿の人々がぽつぽつと歩き始め、提灯の明かりが少しずつ灯り始めていた。

 駅前の広場へ向かうと、すでに蒼太と樹が待っていた。二人とも紺や黒の甚平を涼しげに着こなし、いつもよりも少しだけ大人びた印象だ。


「おー、来たか!奏も雛も浴衣、すごく似合ってるよ」

  蒼太が笑顔でそう言うと、樹も少し照れくさそうにしながらも、二人の浴衣姿を褒めた。

  「本当だな、よく似合ってるよ」

「ありがとう。そう言ってもらえると、なんだか恥ずかしいけど嬉しいな」

  雛が少し照れながら答えると、奏も控えめに頬を染めて言った。

  「蒼太さんも樹さんも、甚平がとてもお似合いですよ」

「まあ、夏はやっぱりこれが一番楽だからな」

  樹は肩をすくめて笑いながら、涼しげな甚平姿を少し誇らしげに見せた。


 四人は並んで歩き始めた。通りの両脇には赤や白、橙色の提灯が吊るされ、夕暮れの空と相まって幻想的な光景を作り出している。

 遠くから太鼓や笛の音が聞こえ、人々の笑い声や歓声が混ざり合って、夏祭りの活気が街に満ちていた。


 会場に着くと、屋台の列が途切れることなく続いている。

 鉄板から立ち上る焼きそばの湯気、甘い綿あめの香り、氷を砕く音が鳴り響くかき氷屋の前。どの屋台も彩り豊かで、目移りしてしまう。

 雛は真っ先にたこ焼き屋台に駆け寄り、大きな声で「たこ焼き、10個くださーい!」と注文した。

 樹は冷やしきゅうりの屋台に目を輝かせ、嬉しそうに一本手に取る。

 奏は後ろで静かに周囲の様子を見つめていたが、蒼太が焼きそばのパックを差し出すと、軽く会釈して受け取った。


「ありがとうございます……熱っ」

 奏は慌てて息を吹きかけながら、少しずつ口に運ぶ。

「猫舌なんだ?」と雛が笑いながらからかい、奏は小さく笑って答えた。


 四人は食べ歩きながら屋台を進む。次々と変わる景色、行き交う浴衣姿の人々。

 やがて金魚すくいの屋台に差し掛かると、雛が「やろうやろう!」と元気にポイを手に取り、奏も誘われて挑戦する。

 雛は開始早々にポイを破ってしまい、奏は慎重に構えて一匹をすくい上げた。

「わあ、一発で取った!」

「……たまたまです」

 雛が悔しそうにもう一度挑戦しようとしたところで、蒼太が腕時計を見て言った。

「花火までまだ時間あるし、もう少し散策しようか」

  蒼太が腕時計を見ながら提案すると、雛が元気よく頷いた。

  「賛成!もっといろんな屋台を見たいし!」

 四人はそれぞれ自由に動き出そうとしていた。

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