續・夢の人
〈ひじき菜や日本男児これに立つ 涙次〉
【ⅰ】
3月14日。ホワイトデイの日に、悦美は33歳となつた。
方南町のじろさん・澄江さんのマンションにて、内輪のバースデイ・パーティが開かれ、一味を始め、安保さん、佐武ちやんなどなど、でいつもは二人つきりのリヴィングが賑はつた。悦美はバースデイケーキの(3×3=9で、)9本立つ蠟燭の火を吹き消した。
悦美、本厄の齡である。厄払ひと云ふ譯でもないが、安条展典と再度組んで、今度はなんとヘア・ヌード寫眞集を上梓、世の重苦しい精嚢たちを更に悩ませる結果となつた。安条は、例の「光學魔神」が憑り付いたレフ板を捨て、寫眞家として新たな一歩を踏み出したのであるが、この寫眞集は、まあ悦美の肉體の勝利と云へども、成功裡の再スタートと相なつた。
寫眞集の帯には、「カンテラ一味のマドンナ、遂に曝した!!」とのコピーが見えた。そしてそのメイキング・ヴィディオはしつかりと杵塚がキャメラに収めたのである。
そのパーティには何故か武里芳淳の姿もあり、悦美の差し金なのだが、これは「わたしのカラダは、それこそ【魔】が憑くぐらゐの光を放つてゐるのよ。カンテラさんは、絶對に渡さない」と云ふ、謂はゞ彼女(悦美)なりの勝利宣言なのである。芳淳は、小さな躰を更に縮こめて、悦美の住む華やかな世界に、畏れ、と云ふか憧憬と云ふか、兎に角複雑な心境を抱いた...
【ⅱ】
そんな奢りもあり、悦美の心は隙だらけだつた。これは、カンテラ事務所員としては、不明を恥ぢねばならぬ事、である。何故なら...
「夢の【魔】」、田螺谷末吉は、(本当に)芳淳から悦美の心へと、棲み家を變へて、斬られた筈の命を長らへてゐたのだ。但し、その姿は、致命的な重傷を負つた、敗者としての姿だつた。
余談になるが、中野區野方邊りは、江戸の時代、まだ場末の村に過ぎなかつた。墓地の建ち並ぶ、淋しい場所だつた。墓地がある、と云ふと、寺(特に荒れ寺)もある譯で、そこでは每晩のやうに賭場が開かれた。その賭場に、「三吉」と呼ばれ恐れられる、三人の惡漢たちが跋扈してゐたのは、今や記録にも殘されてゐない。
「三吉」と云ふのは、田螺谷末吉、目明しの金吉、雑俳師の成吉(じやうきつ)の三人の事。悪徳金貸し(成吉)とその用心棒たち(田螺谷、金吉)と云つた役どころである。
【ⅲ】
悦美のこの頃見る夢には、床に臥せつてゐる田螺谷と、その病床に寄つた金吉、成吉の姿が、あつた。
「先生、しつかりして下せえ」カンテラに脾臓をやられた田螺谷が、何故生き殘れたのかは謎(脾臓を刺されると、人間普通ショック死するものなのだ。野坂昭如氏『てろてろ』參照)であるが、恐らくは彼が【魔】である事が関係してゐると、思はれる。
悦美にはその夢の意味が分かつてゐた。彼女には【魔】が、憑依してゐたのだ。だが、事務所員として、一味の者としての恥(迄)は「曝す」まい、と、カンテラにその事は話さなかつた。だうしてかと云ふと、カンテラの心が、分からなかつた、要するに、信用が薄れてゐたからである。「お父さん、カンテラさんの事、『女難』と云つてゐたわ。もしさうなのだとしたら、わたし墜ちる處まで墜ちてやるわ」
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〈人間は心に信置く絆しか見えぬ盲かその奴婢なのか 平手みき〉
【ⅳ】
だが、腹を割る、と云ふ事は大事である。悦美は、要はカンテラが彼女をしつかりと見据へ、ちやんとそこにある一人の「女」であると、分かりさへすれば良いのだ。
冷たい同衾の床で、ふとカンテラは、「悦美さん悩んでゐる事、ない? あるなら俺、役に立てるかもよ」と悦美に囁いた。それは、どんな睦言の囁きよりも、魅惑的だつた。尠なくとも、今の悦美にとつては。
「田螺谷は、まだ生きてるわ。わたしの夢の中で。何処で憑依されたんだらう...?」洗ひ浚ひをぶちまけた。心が幾分か輕くなる。しかし、【魔】たちは彼女の夢に、まだ生き長らへてゐるのだ。
彼女が眠りに落ちるのを待つて、カンテラは悦美の夢に潜入した。そこで、見た物は...
瀕死の田螺谷に、【魔】としては取るに足らない、金吉・成吉の3名。そこで彼が思ひ付いたのは、中野區のと或る古刹で、追善(? 追惡と云つた方が言葉の意としては正しい)供養を行ふ、と云ふ事だつた。
普通、【魔】と云ふ者らは、己れが成佛して(させられて)しまふのを、病的に忌み嫌ふものだ。多分ゐたゝまれずに、彼らは現世に現れるだらう。俺たちに一矢を報いる為に。
【ⅴ】
大僧正の讀経が終はり、出席者(と云つても、カンテラ、悦美、じろさん、テオ、だけ)全員、僧侶たちと混じつて般若湯(酒!)を頂いた。悦美がほろ酔ひで思はず欠伸をすると、その口から、金吉・成吉が、まろび出て來た。「酒! 酒!」呑み助である彼らは、上層部にしか飲酒の自由がない、魔界の掟にはうんざりだつた。
「お坊様方には、誠に失禮を致しますが」カンテラぺこりと頭を下げ、金吉をやにはに斬り斃した。「しええええええいつ!!」じろさんも、ぺこり。こちらは、成吉を投げ飛ばし、足蹴にして蹴殺した。坊主たちは、お清めの水(聖水か)を撒いて、その場を清め、取り繕つた。何せ、たんまりお布施を貰つてゐたのだ。
【ⅵ】
「一矢を...」の點は誤りだつたが、兎に角カンテラたちは本懐を遂げた。田螺谷は、看る者もゐないのでは、あと數日も持つまい。事實、悦美の夢には(ここ伏線ね-)二度と現れなかつた。
この仕事の依頼料は、始め、寫眞集メイキング・ヴィディオの上がりから取らうかと、カンテラは思つてゐたが、安条が「僕が再デビュー出來たのも、悦美さん始めとしてカンテラ一味の皆さんのお蔭」と印税をぽん、と出してくれた。テンテンなどゝ自稱してゐるから、ナンパなスカした奴だと思ひ込んでいたが、その實の心は、熱い寫眞少年その儘の、いゝ奴だつたのは、カンテラ・(悦美の父としての)じろさんには意外だつた。
「一緒にお風呂入らなくなつてから、どれぐらゐ経つかしら? お父さんも(お母さんに隠れてだつたら)わたしのヌード、見てね」「莫迦云ふな。父親を揶揄ふもんぢやない」じろさん、實はめろめろだつたのだ。
【ⅶ】
と、云ふ譯で、「女難篇」第2彈、お仕舞ひ。まだ次、ありますんで、宜しく!
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〈畑打ちの姿がどんな仕事にも 涙次〉