4 新婚旅行に行きましょう
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「新婚旅行、ですか?」
結局、大天幕での騒ぎは昼過ぎまで続いたらしい。
午後、最も日差しが強烈な時間帯、砂丘を駆け回る熱風から逃げるように、砂漠の民は日陰で一休みをする。混沌と化した会合からひとまず帰宅したアースィムを誘い、午睡でもしようかと敷布に横たわりながら、ラフィアは無邪気な声音で言った。
「ええ、新婚旅行。この前は途中で帰ってしまったから、カリーマから頼まれていた硫黄も暗黒物質も何も見つけられなかったし、氏族の聖地でお花を摘んでくれるって約束してくれたでしょう? そのついでに南の赤の集落へ行って、迷子の砂竜を送り届ければいいわ」
無論、ハイラリーフの入れ知恵である。ただ単に赤の集落へ行きたいと口にしたところで、到底受け入れてはもらえぬだろうが、新婚旅行を全面に押し出しねだれば可能性はある。
先日、楽しいはずの旅行を謀で台無しにしてしまったアースィム。彼は妻に対し負目を感じている。つけ込むべきは良心である、非道をされたのはラフィアなのだから、何も気後れすることはない……と、世の理を語るかのような調子でハイラリーフが言っていた。
そんな精霊の策略に、アースィムはややたじろいだのだが、はなから砂竜は迷子であるのだと断定しているラフィアに何とも形容し難い渋面を向け、吐息を漏らした。
「いけません。もしかすると罠かもしれませんよ。それか、赤の集落に何か予期しない事件が起きているのかも。とにかく、不用心に近づくのは危険です」
「じゃあずっとあの砂竜達をここで育てるの?」
「誰も迎えに来ないのならば、そうなるでしょうね」
アースィムは常と変わらぬ穏やかな声で言う。
「砂漠の四方を治める砂竜四氏族同士は、手放しに友好的な関係とは言い切れません。ですが、水神の使徒天竜の子である砂竜は、我々の宝。皇帝から下賜された、寵臣の証です。人間同士が不仲でも、砂竜を保護しない理由にはなりません」
四氏族の集落には、それぞれ体色が異なる砂竜が住まう。もっとも、年に一度、新年を寿ぐ儀式の折に天竜の泉から掬い上げられた段階では、それぞれの竜卵に何ら違いはない。生まれる雛の体色は、卵を孵す場所により変化するのである。
それゆえ、西部白の集落には、白き砂竜しか存在しない。白銀の群れの中、ぽつんと身を寄せ合う三頭の赤き砂竜の孤独を思うと、ラフィアの胸は痛む。
「だめ。仲間のところへ帰してあげないと。あの子達が可哀想だわ」
「それとこれとは話が別です。ラフィアを南に連れて行くなんて」
「考えてみて」
ラフィアは足裏で絨毯を蹴り、拳一つ分の距離を詰める。
「赤の集落と白の集落は、この時期さほど離れていないでしょう。南で起こった異変はそのうち、白の集落を襲うかも。もし赤の集落で何が危険な現象が起きているのなら、砂竜に事情を聞くことで危険を回避することができるかもしれないわ」
条件さえ合えば水神の眷属の心を読むことができる。そのことを知っているのは、集落ではアースィムだけ。カリーマも何か察しているようであるのだが、明確に告げたことはない。
だがそのアースィムも、妻の異能には半信半疑であり、煮え切らない様子である。
「一理ありますが、そもそも新婚旅行先の氏族の聖地は、赤の集落とは方角が真逆です」
「じゃあ、ぐるっと回って行けばいいだけよ。二人切りで旅する時間が長くなるじゃない。嬉しい!」
「それはそうですが……」
アースィムはラフィアの勢いに気圧された様子で、身体を後ろに引いた。ラフィアは構わず距離を詰める。拳一つ分ほどの距離に、困惑に揺れる飴色の瞳がある。
「ねえ、アースィム」
『ああ、もう。本当にはっきりしない男ね! ご主人様もどうしてこんな奴に惚れたの。顔? 顔なのね?』
突如として耳元で声が響き、思わずびくりと身体を震わせた。ラフィアが答えられぬのを良いことに、ハイラリーフは言いたい放題喚き立てている。
ラフィアはアースィムに向けて口角を上げたまま、両手を自分の耳に伸ばし、青玉の耳飾りを取り外した。怪訝そうにするアースィムに「ちょっと重たくて」と言い訳をして、少し離れた場所に転がっていた革袋に無造作に突っ込んだ。
それから気を取り直して腕を伸ばし、アースィムの左手を握る。
「とにかく、これは集落の皆のためにも必要なことだと思うの。ねえお願い。一緒に南に行きましょう」
アースィムは困惑の表情を浮かべて逡巡した後、嘆息した。
「……知らない土地に行ってみたいのですね」
なんと、下心に気づかれていたとは。ラフィアは微笑んだまま何度か瞬きをして、開き直って頷いた。




