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海坑のカナリア

この物語を一文で説明するなら、

【古風な穴掘り作業をするSFロボットに跨り、少年少女が難工事に立ち向かい偉大な父を超える誇りと埃にまみれた青春物語】

です。


【設定】


・世界:地球ではない星

 大地がない海洋惑星の海底にへばり付くように建設されたコロニーが点在している世界。それぞれのコロニーで人びとはひしめき、慎ましい生活を送っていた。


・生活圏:海底のコロニー

 海底に建設されたタワー型の人工居住地。下層は広く地表と接しているため、主に資源採取の設備が多い。上層に階級の高い人民の居住区があり、政治施設も存在する。過酷な労働を強いられる下層の住民には成人や未成年という概念はなく、老若男女すべての人間が労働力として駆り出されていた。他のコロニーとは基本的に独立している。生活電源の発電方法は地熱発電や地下水を使った水力発電、自然エネルギーが乏しいコロニーでは古風な原子力発電を使っているところもあり、建設されている海域によって変化する。


・コロニー間海底連絡トンネル構想

 コロニー間の物理的な連絡手段は潜水艦しか存在せず、この移動手段も決して安全ではない。この星特有の無数の海底火山とジェット潮流によって連絡潜水艦が沈没する事故が絶たなかった。そこで海中を移動するのではなく、海底トンネルを掘ってコロニー間を繋げる連絡海底トンネル構想が発足。これに共鳴したコロニー政府は腕の立つ掘削チームの選定が求められた。そこで、鉱物採取のために海底坑道を掘る恐れ知らずのチームに白羽の矢が立った。


・主要登場人物

 カナリア組二代目棟梁『タガネ』

 セットウの死から十年後、人数を大きく減らしたカナリア組はセットウの娘であるタガネが棟梁になっていた。組の名誉回復と、カナリア組を守ってくれた古株の組員のために、今日も彼女は鉱物資源の採掘に精を出している。タガネは父に似て勇敢で、切端では常に先頭で掘削機〈ロッキィ〉を操って坑道を掘り進める。先進導坑掘る仕事に変わりはないが、組に以前のような勢いはなかったため『海底坑道一番槍』の看板は下ろしたままであった。斜陽の組と過去の失敗のせいで後ろ指を指されることも多く、悔さと父を失った悲しみを振り切ろうと、組の内では明るく振舞っている。


 タガネの幼馴染で新米組員『チス』

 タガネ機の補助搭乗員でタガネの幼馴染の少年。タガネとは対照的な性格であり、全掘削屋の中で最も臆病者と世間から嘲笑われているが、そんな人間がカナリア組の門を叩いたのだから幾許かの勇気は持ち合わせてはいるのだろう。機械の知識は機械オタクともいえるほど確かなモノで、その能力が無ければカナリア組に入れなかったし、ましてやタガネ機の搭乗員とはなれなかったであろう。カナリア組ではチスが進んですべての〈ロッキィ〉の整備とツール交換の管理を行っている。使用機器の技術的な面でのサポートだけではなく、掘削したトンネルを支える支保工の研究も行っている。


 タガネの父でカナリア組一代目棟梁『セットウ』

 タガネの父親で現在は故人。カナリア組を立ち上げた伝説的な先代棟梁。大男で全身の盛り上がった筋肉が物語る怪力は、〈ロッキィ〉と同じくらいの大岩を素手で動かしたという嘘のような噂に真実味を与えている。良く言えば勇敢。悪く言えば蛮勇。分かりやすいほど真っすぐで単純な人柄に掘削屋の誰もが好感を持って一目置いている。海底連絡トンネル工事を請け負ったとき、幼かった娘のタガネを家に残して出稼ぎに出た後、トンネルの切端でカナリア組のメンバーを守るために命を落とす。


 チスの父でカナリア組の支保工担当者『ハビロ』

 チスの父親で現在は故人。セットウ時代のカナリア組の支保工をトンネル内に組み付ける係の組員のひとりだったのだが、海底連絡トンネル工事を請け負ったときのカナリア組から離脱した最初の人物で、その背中には不名誉なレッテルが貼られた。それ以来、最後まで残ったカナリア組の組員たちと致命的に不仲となり、組には帰らなかったという。その後、狂ったように支保工技術の研究に没頭し、家から出ることはなかった。その結果、日ごろの不摂生が祟って早死している。


・カナリア組

 “坑道を掘るための坑道”と言われる“先進導坑”を掘るチームであるカナリア組。掘削作業の最前線を勤める彼らは、男女問わず全員が勇敢で『海底坑道一番槍』を座右の銘にしている。彼らの掘る坑道は、空気穴や掘削先の地質ボーリング調査、さらに地下水が漏れ出た時の水抜穴の役割を果たしている。先の見えない未知の岩盤へ誰よりも先に掘削ドリルを突き立てる。常に死と隣り合わせな現場だからこそ、恐れ知らずのカナリア組にしかできない仕事がある。

 カナリア組の掘削機〈ロッキィ〉には黄色い鳥のマークやステッカーが貼り付けられている。故郷の星『地球』で生息していたカナリアは、常に囀る鳥であった。カナリアの鳴き声が止むと有毒ガスが発生してることが分かり、作業員に危険を知らせるためのセンサーとして、カナリアは坑道内の最前線に配置されていた歴史がある。先進導坑を掘り進めるチームの名にふさわしいと思いセットウが組の名として頂戴した。


・歩行型岩盤掘削機(R.C.W・ロックカットウォーカー)

 掘削現場で使用される二人乗り二足歩行ロボット。愛称はロックカットウォーカーの“石”の一文字からとって〈ロッキィ〉と呼ばれる。前方方向に透明なフロントシールドはあるものの開放型のコクピットで二人乗り。前の操縦席には、バックホー重機の操縦席ようなレバーとオートバイ型ハンドルの二種類の操縦装置があり、掘削作業時は重機レバーを、移動操作に専念する場合はオートバイ型ハンドルを用いる。後部席は機体の状態やメンテナンス情報、地質の水平ボーリング検査をした際の地質データや、坑道マップの表示などあらゆる面で掘削をサポートする情報を管理運用することができる。

 腕部からは、いわゆる人の手のようなマニュピュレーターは存在しないものの、掘削に限らずにあらゆるツールが収められる。必要に応じて収納と展開ができるようになっていて作業に応じてツールの付け替えが可能。典型的なロボの頭部は存在しないが機首の部分に可動型のカメラやセンサー各種が取り付けられており、暗視やサーモグラフィなど様々な視界を得ることができる。搭乗者は、機体とケーブルでリンクしたゴーグルを付けることで、センサーから得た視界で周囲を見ながら作業をすることができる。

 動力源はバッテリーから供給される電力で、各部のモーターや計器、掘削ユニットを稼動させる。坑道内での充電は発電拠点から近い場合は送電線によって充電スポットを設置できるが、坑道奥深くでは、前述の方式となると切端からの移動距離が長くなるため、坑道の途中各所に様々な自然エネルギー(地熱や地下水による水力)を利用した充電スポットを設置している。燃料電池を利用した独立型の充電スポットも存在している。

 機体カラーは、薄暗い坑内で目立つように蛍光色で塗装されていること多いが、タガネ機だけは熱した鋼鉄のような赤色に塗られている。派手過ぎてチスだけには不評。その他の組員からは大好評らしい。やっぱりうちの大将はサイコーだぜ! 余談だが、密閉型のコクピットではなく、屋根すら付いていないため、搭乗者は安全第一のヘルメットを被ることと顎紐を忘れずに!


【専門用語】

支保工 → 掘削したトンネル内の岩盤をが崩壊しないようにこれを支える仮設の構造物。

切端  → 掘削作業が行われている現場。


【ストーリー】

①棟梁『セットウ』の物語

 カナリア組一代目棟梁の名を『セットウ』という。並の掘削屋が嫌がる危険な仕事を任されることに矜持を持っていた彼には、コロニー政府からの依頼である『コロニー間海底連絡トンネル』の仕事を断る理由がなかった。

「なんで父ちゃんが行かなきゃいけないの」

 出発の前に長く会えなくなること家族に告げると、寂しがる幼い娘の『タガネ』は父のセットウにと尋ねた。


「俺にはこの仕事を受ける勇気がある。たすけてくれる友の知恵がある。ついてきてくれる仲間がいる。だからよ。このコロニーの中で俺たちだけしかできない仕事なんだ」

 それに、とセットウは続ける。

「俺には、お前に見せたい夢がある」

 そう、セットウは笑って言ったという。

「そのために、世界を広げて、仲間を増やすのさ」

 べそをかくタガネの頭に大きな手で撫でる。

「友達は多い方が楽しいだろ」

 頬を伝う涙をごっつい指が拭った。


 前代未聞の大規模工事で、当然に工事は最初から難航した。摂氏200℃を超える岩盤と有毒ガス。空気と奪っていくスポンジのような岩盤(自然貝層)。脆くで崩れやすく無限に地下水を吹き出す岩盤(破砕帯)。数々の困難を超えて目標到達地点まで残り数キロというところで、最大の難関に膨張性ある地層(膨張性地山)で掘削作業は足踏み状態となった。


 強大な地圧に抗って何とか掘削ロボのドリルや掘削カッターで掘り進めるが、掘った分だけ押し戻される。それどころがさらに押し戻された。トンネル天板の崩壊と底面の盛り上がりが各所で発生し、非番の者が寝泊まりしている坑内の宿舎が押し潰されて死傷者が発生するなど事故が多発。カナリア組内の士気は過去一番に落ち込み、切端を去る者が一人、また一人と出始めていた。

 特にカナリア組の頭脳ともいえる『ハビロ』が引き返してしまったことは致命的だった。彼はセットウの友人でありながら離脱者第一号となっていた。それについて陰口を叩く者が多くいたが、セットウは「強力な支保工を早急に研究して戻ってくる」と説明していたが、多くの者はこれを信じなかった。ハビロは知識があって弁は立つが、切端で作業することが少なかったために、現場の掘削屋からは“学者様”と揶揄されており、彼の味方をする人間は少なかったのだ。

 いずれにしろ掘削作業は完全に暗礁に乗り上げてしまった。これ以上の犠牲は出したくない。だが、工事を放り出して切端を後にすることはカナリア組とセットウの信念と信条に背くことになる。すべてを押し潰す土圧に勝つには、潰される前にトンネルを貫通させるしかないとセットウは考える。彼は、士気が高く経験が豊富なモノだけを残し、後の組員は帰還させることを独断で決めた。

 幸い、土圧で押し戻された後の岩盤は容易に再掘削が可能であり、さらにトンネル中心を小さく掘削して膨張性圧力を開放してから本坑を同じ大きさで掘削することで効率的に掘り進めることができることが分かっていた。この方法で昼夜を問わず交代制で絶え間なく掘り進め、向こうのコロニー側から掘り進めているであろう別働隊の掘削屋と合流しトンネルを貫通させることで、今回の仕事は一旦手打ちとしようと考えた。  

 その後は撤退し、強大な土圧に対抗できる坑内を支える支保工の研究をやり直した後に再度挑戦するという方針を固める。土圧で崩れたトンネルは掘り返しやすい。その時あとで掘り直して対策を万全にした支保工でトンネルを完成させればよい。それからはまさに突貫工事であった。掘削速度こそ上がったものの一向にトンネルが貫通するとはなく、むなしく時だけが過ぎた。

 少数精鋭で残った者たちの疲労も色濃く出始めたとき、最悪の事故が発生する。セットウが掘削機を操り切端で指揮をとっていたときに大規模な天板落下が発生したのだ。撤退指示を出したとき数人の作業員が掘削機に乗ったまま取り残されそうになる。セットウは反射的に機体を落下した岩盤の下に滑り込ませる。圧し潰された機体は即座に腕部から変形したが、一瞬の間だけ岩盤の落下をとめることができた。その間に切端にいた者たちは逃げることは出来たがセットウは岩の下から動くことはなかった。最後の一人が岩の下を潜り抜けた瞬間にセットウ機は圧壊。当人のセットウも機と運命を共にする。棟梁を失ったカナリア組は撤退。結果、コロニー連絡海底トンネル工事は凍結されることになる。


②棟梁『タガネ』の物語

 セットウの死から10年後。成長してカナリア組の棟梁になっていたタガネは、コロニー政府より出頭命令を受ける。それはセットウが成し遂げられなかったコロニー間海底連絡トンネル工事の指名であった。岩盤調査不足であった前回の失敗を教訓に、支保工の研究も進んでおり、その成果が求められていた水準を超えたとして工事の再開が宣言されていた。しかし、難工事であり先の落盤事故のこともあり、やはりどの掘削屋も受注を辞退していたのである。

 父セットウの成せなかった事業であったこともあり、タガネはこの仕事と二つ返事で受ける。しかし、組の中で意見は真っ二つに分かれてしまった。中でも相棒であり幼馴染でもあった『チス』からの反対は激しく、コロニー政府が研究開発した支保工の資料は信憑性が薄く、資料通りの分量で調合した硬化剤(掘削している岩盤に流し込む硬化剤)では、セットウが直面していた岩盤の土圧に耐えられないことが計算で証明できることをチスは説いた。いつも声を張り上げることのない“臆病者のチス”が拳で台を叩きながら雄弁する姿に組の者たちは圧倒され、また話の理屈が通っていることから、彼に賛同した反対者が相次ぐ。セットウの成し遂げられなかった仕事を引き継ごうと感情論で推し進めようとする古株派閥と、栄えある国策とはいえ無謀な仕事は請負たくない若手派閥に分かれて争いになってしまう結果となった。

 勇敢で向こう見ずのタガネと、慎重丁寧で臆病者のチスは二人で一人。まだ若い二人はバランスの取れたチームであった。それ以前に、幼いことから苦楽を共にしてきた気心が知れた中であり、タガネにしてみれは当然これまで通りに難題に対してサポートしてくれるものであると信じていただけに、タガネは衝撃と悲しみを受ける。

 タガネは、有志の者だけでこのプロジェクトに挑むことを独断で決定する。“準備が不十分すぎる”とチスは猛抗議するも、彼に対して心を閉じてしまったタガネは聞く耳を持たず、メンバーを集めて準備を早々に済ませた後に〈ロッキィ〉に跨って坑道へ出発してしまう。

 セットウが掘っていた坑道は、何層にも渡って分厚い鉄の門で閉ざされており、その門を開くと暗く長い坑道がどこまでも続いている。設備を確認しながら進むが専門家であるチスが不在のため思うように設備の復旧作業は進まず予定を大幅に遅れがら坑道を進んでいく。

 古坑道を整備しながら進んでいく途中、古株の掘削屋たちは過去の熾烈な切端の記憶を〈ロッキィ〉で進みながら語る。摂氏200℃を超える岩盤と有毒ガス。空気と奪っていくスポンジのような自然貝層。脆くで崩れやすく無限に地下水を吹き出す破砕帯。

 永遠に噴き出る有毒ガスは、永遠に空気を吸っていく自然貝層に吸収させるように配管されていた。高熱の岩盤は、地下水を吹き出す破砕帯の水を吸い上げてトンネル内をウオータージャケットのように配管が覆って冷却している。それぞれの地質の特性をうまく利用し合って、坑道内を正常に保つ先人の工夫に触れながら、カナリア組は坑道内を進む。またそれらの工夫はすべてチスの父親である『ハビロ』の発案であることを知る。


「俺にはこの仕事を受ける勇気がある。たすけてくれる友の知恵がある。ついてきてくれる仲間がいる」


 父セットウの言葉がタガネの心に痛く沁みた。私はカナリア組の棟梁として欠けているものが多すぎる。ここを掘っていたときのセットウにはその蛮勇さを補うハビロの存在あった。しかし、今のタガネには自分を支えてくれるチスはいない。セットウにはすべての組員が付いてこの坑道に入ったが、今の自分に組をまとめる手腕も人望もなかった。ぶっちゃけ勢いで出発してしまった手前、今更に後戻りすることができないが、自分が何の努力もしないで引き返し、チスに頼み込んで難問を丸投げするのはなんだか違う。そうタガネは思った。

 タガネは思い悩みながらも、ついにあの難関にたどり着く。目標到達地点まで残り数キロ。膨張性ある地層、膨張性地山。坑内で宿舎と〈ロッキィ〉の充電拠点を整えてついに掘削を開始する。一度掘削した岩盤の再掘削は容易。教訓通り、坑道を掘り進めることは簡単だったが、やはり凶悪な土圧が問題であった。それを解決するための硬化剤注入工法も試したが、次の日には坑道は押し戻されていた。

 結局はチスの予見通りになってしまったが、支保工が改善されたぶんだけ掘削作業は昔よりも進みが良く、ついにはセットウが命を落とした地点まで掘り進めることができたのだった。同じコースを掘り進めているはずであったが、セットウ機の欠片も発見することは出来なかった。ついに父の背中に追いついた気がしてタガネは嬉しいような寂しいような気がする。それを振り切るように〈ロッキィ〉のアクセルを開いて機を進め、坑道内距離を更新した。

 無垢の岩盤を掘削ドリルを突き立てて掘り進めるが、土圧は悪化する一方で、ついには硬化剤も役に立たなくなってくるほどであった。掘っては押し戻されを繰り返し、組の士気も下がっていた。そんなときに最悪の事件が発生する。落盤事故であった。タガネは身を挺して下敷きになりかけた組員を守ろうとするが、セットウの時のようにまた棟梁を失いたくなかった古株の組員たちはタガネ機を助けようとする。しかし、機体は大きく破損し逃げることができなくなっていた。

 突然に岩盤が砕けた。射出型掘削ビスが何本も岩盤に突き刺さり、カナリア組を押し潰そうとしていた岩の塊が粉々に崩れ去ったのである。ビスが発射された方向を見るとカナリア組の印がある〈ロッキィ〉が何台も並んでいた。それは、たったいま切端に到着した反対派だったカナリア組のメンバーであり、その内にはチスの姿もあった。


③『チス』『ハビロ』親子の真実。

 反対派の組員たちの合流とチスとの再会に感激するタガネ。チスも危機一髪でタガネたちを助けられたことに安心して胸を撫で下ろしていた。チスは慎重派の者たちが出発を決意した理由を説明する。それにはまずチスの父親であるハビロが昔の工事の時に切端から撤退した理由を語らなければならなかった。


 セットウが切端で指揮をとって切削作業を進ていたとき、ハビロは眼前に迫る恐ろしい土圧の地層のデータを集めに奔走していた。何度もボーリング調査を繰り返して地質を研究し、周辺の岩盤の性質を独自に調査していた。その結果、この地層に適したまったく新しい硬化剤が必要であることが分かった。その用意をするためにハビロは切端から離れて、支保工担当者として硬化剤の準備と硬化剤注入工法の改良を進めていたのだ。セットウはその完成を待っていたが、例の落盤事故でセットウは命を落とし、工事は凍結される。

 ハビロはすべての掘削屋から誹りを受けたが、言い訳をすることはなかった。そしていつ再開するかわからない連絡海底トンネル工事のために、その命を削りきるまで、あの岩盤に打ち勝つための支保工技術を研究していたのである。またハビロは、カナリア組員たちの自分に向けられた嫌疑や悪意にも理解を示していたので、幼いチスに対して、父の弁護は決してしないように言及していたのだった。


 チスは、そんな父の研究成果を掘り起こし、そのすべてを解析して準備を済ませた後に慎重派の組員たちを説得した。これに少し時間を要してしまったのだが、これはタガネには言わなかった。

 派閥に分かれて仲違していた彼らはまた一つに戻った。あるべき姿に戻ったカナリア組に岩盤対策済みの支保工が加わり、まさに鬼に金棒である。新しい硬化剤の効果も抜群で、すべての好条件が整ったいま、掘削作業は恐ろしい勢いで進んでいく。セットウが成せなかった夢が動き出したのだ。そしてゴールは近かい。恐ろしいスピードで進んだ掘削作業の結果、要求された目標地点を超えて進む。向こうから掘り進めているであろう別のコロニーの掘削部隊を迎えに行くようなかたちとなったのだ。

 ある朝、作業を始める前に僅かな振動を感じた。掘削の振動である。カナリア組のメンバーは〈ロッキィ〉を起動していない。振動は坑道の外からのものであった。反対側から掘削している別働隊の掘削音かもしれない。タガネが〈ロッキィ〉で丁重に掘削していく。しばしば掘削ドリルを止めては岩盤に向かって耳をすませる。組員たちは後ろで静かに様子を見守っている。チスも淡々と〈ロッキィ〉後部座席でタガネをフォローしていた。

 いよいよ掘削音と振動が近くなった。向こうもこちらの音に気が付いているらしく、振動がときに途切れている。タガネが〈ロッキィ〉から降りてハンマードリルを岩盤に突きてる。手応えが突然軽くなった、その瞬間にタガネは自分のドリルを急いで掘削穴から引き抜いた。岩盤からタガネが離れると、いままで穿っていた穴の近くの岩盤が砕けて、掘削ドリルが突き出されたのだ。

 貫通した。誰もが理解していたが、切端はまだ厳か空気に包まれていた。タガネの手によって穴が削られ広げられ、向こうをのぞき込めるほどまでになる。穴からは風を感じる。別の世界から吹き込む風であった。別の世界から光が差し込む。突然の眩しさに目を細めた。向こうの掘削屋のヘルメットについているヘッドライトであった。タガネも自らのヘッドライトの光を相手の顔に向けると、その相手も同じように手で光を遮るようにして目を細める。タガネはセットウのような屈強な男を勝手に想像していたのだが違った。自分と同じように土埃で真っ黒になった顔。自分と近しい年のころ。もう一人の自分だと錯覚したほど、自分とよく似た人間がそこにはいたのだ。

 タガネにはコロニー政府から言い渡されていたルールがあった。坑道が貫通したとき自らのコロニーの識別ナンバーを提示することである。それに従ってタガネは自分が住むコロニーのナンバーを穴の向こうに伝えた。それを確認したのか穴の向こうからも同じように連番数字の返答が返ってくる。きっと向こうのコロニーのそれであろう。義務は果たした。タガネが異世界の掘削屋と確かめ合いたかったのは、こんな味気ない業務連絡ではない。

「コロニー間海底連絡トンネル工事の受注者――カナリア組!」

彼女は腕を穴に差し出して手を開く。

「私は、棟梁の“タガネ”だ!」

 それに相手も応える。言葉は解らなかったが、きっと相手も、タガネと同じように自らの名を誇りを持って名乗ったに違いない。先ほどの合言葉のときより相手の声にも力がこめられている。そしてタガネに応えるように手を差し伸べて、二人の手が繋がれる。その瞬間、その場にいた誰もが初めて実感できた。トンネルは貫通した。二つの世界が一つとなった。この時、その場にいたすべての掘削屋が暗い坑道の中で歓声を上げたのだった。前代未聞の大事業を成し遂げたという心に深く刻まれるような感動を、彼らはお互いに確かめ合っていた。


④夢の続き。

 カナリア組の掘削機〈ロッキィ〉格納庫で異世界の掘削屋を交えて、お祭り騒ぎのような打ち上げパーティーが催されたが、それも終わりかけていた。誰もが飲んだくれて寝込んでいるなかタガネとチスは起きていた。二人は酒を飲めるほど大人ではない。

「父ちゃんは、私に何の夢を見せたかったんだろ」

 父の言葉を思い出していたタガネが、ぼんやりと言う。

「それはもうわからいけど……」

 それに対して、飲み会はそこそこに〈ロッキィ〉の整備をしていたチスが手元を見たまま答える。

「タガネはこれから何がしたい?」

「私がしたいこと? 私の夢……」

 ないと言えば嘘になる。だがそれは、あまりにも壮大すぎることで、言葉にするのは照れくさい。答えないタガネをじれったそうに見ていたチスは立ち上がって彼女の近くに歩み寄る。

「俺がタガネの気持ちを代弁してあげようか」

 タガネが眺めていたホワイトボードには、コロニーの位置を示した図が張り付けられている。点が散らばっている中で二つの点が線で結ばれていた。自分の住むコロニーの点にチスは手袋のまま触れた。そこから一番遠い点に向かって指を動かすとオイル汚れで、新たに一本の線が引かれる。

「こんな感じでどうだい」

 突然に途方もないことを言い出したので、タガネは呆気に取られた顔でチスを見る。しばらくすると不安そうに引きつった笑顔でチスがタガネに振り向く。いまのはチスにとって精一杯の冗談話であったのだと理解したとき、タガネは可笑しくなってチスの背中を手で叩いて大笑いしてしまった。タガネはセットウの最後の言葉を思い出す。仲間を増やせば、それはできるかもしれない。

「ごめんごめん、私の夢を言うよ」

 そういってタガネはペンを取り出し、すべての点を線で繋いだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 素晴らしい知識。 経験者は語る的な、 坑道とか暗くて狭くて怖い。 度胸一発みたいな、、、 [一言] 久々の新作、 読み込んでしまいました。 いつもながら 臨場感豊かで凄いで…
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