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7.

 陽が沈み切った夜。


 自宅に着いた私が玄関で小さく「ただいま……」と言うと、奥から出てきたお母様が安堵した顔を見せてきた。


「もう、ルナったら遅かったじゃない。何かあったのかと心配したのよ?」

「ごめんなさい……あ、お父様は?」

「リビングにいるわ。あなたが帰るまで夕食は食べれないってね」


 それを聞いてすぐさまリビングへ向かうと、いつものように椅子に座っていたお父様がハッとしたように振り向く。その手には、飲みかけのコーヒーが入ったティーカップが握られていた。


「お父様、帰りが遅くなって申し訳ございません」

「無事で良かったよ。少しは気分転換出来たのか?」

「え、ええ……それなりには」


 果たして気分転換になったのだろうか。むしろ憎悪が増して帰ってきたような気がするのだけれど……。


「農夫の方々の様子は、いかがでしたか?」

「思っていたより悲観していなかったよ。逆に『そんな顔するな!』と怒られてしまったくらいさ」


 参ったと言わんばかりに苦笑いするお父様を見て、思わず頬が緩む。


「ふふ……彼等の姿勢を、見習わなければなりませんね」


 その後に夕食と入浴を済ませた私は、自室のベッドに身を投げ打つようにして突っ伏した。


 翌日の朝になり、ナイトドレスから着替えた私がダイニングへ顔を出すと、すかさず不安げな顔をしたお母様が話しかけてきた。


「ルナ、今だけはリビングへ行かない方がいいわ」

「どうかしたの?」

「アレン様がいらしているの」

「……アレンがッ!?」


 あまりの驚きに、身体が凍りつくかのようにカチンと固まる。


「今朝になって突然『話したいことがある』と訪れてきて、今旦那様と話をしている最中なのよ……」


 昨日通達を寄越しといて、一体どういうつもりなの?


 行くなと言われてもじっとして居られなくなった私は、リビングの扉越しで中の様子に聞き耳を立てた。部屋内から少しだけ、お父様とアレンの声が漏れてくる。


「これが最後のチャンスだと思ってくれないか? せっかくの良質なブドウを埋もれさせてしまうのは、バストーニ商会としても忍びないのでな」

「そんなことを申されましても……」

「まぁまぁそう肩肘を張るな。農夫なんてどうせ使い捨てだろ? 買い叩くかもっと安く請け負ってくれる所を探せばいいだけじゃないか。何ならウチが紹介してやってもいいぞ」

「私達はこれまで共に苦難を乗り越えて歩んできたので、彼等とは家族同然なんです。そんな簡単に切り捨てることなど、私には出来ません」

「……馬鹿なことを。貴様のような無能のせいで、マルキ領の皆が迷惑するんだぞ?」

「そんなことには私がさせません。これ以上お話することは出来ませんので、どうぞお引き取り下さい」

「ふん……そうか、分かったよ。私の温情を無碍(むげ)にしたこと、必ず後悔させてやるからな」


 こちらへ向かってくる足音が聞こえたので、私は慌ててその場から離れた。しかし、扉が開いた音と同時に、アレンから呼び止められてしまう。


「おや? ルナじゃないか。ちょっと待てよ」

「話しかけないで下さい。もう貴方とは縁が切れたのですから」

「まぁそう邪険にするな。外で少し話さないか?」

「お断りします。貴方と今更話すことなどありません」


 すると突然、アレンは「いいから」と言いながら、私の手首を掴んで強引に引っ張ってきた。


「ちょ……!」


 そのままアレンは玄関を出ると、ぐいぐいと私を野原まで連れ出した。手首の痛みに耐えきれなくなった私が「ちょっと放してよ!」と無理矢理アレンの手を振り解く。


「……話、聞いてたんだろ?」


 目を伏せた私が手首を抑えながら「ええ」と短く返す。アレンは溜息を吐いて遠くの農園を見渡した。


「ふぅ……しかしまぁ、あの親父は本当に駄目だな。頭が固すぎて話にならない。わざわざこんな辺鄙(へんぴ)な土地まで、俺が直接足を運んできたというのに」

「ここが気に入らないと言うのなら、もう帰られてはいかがですか?」

「君が怒っているのは勿論分かってる。でもな、俺はルナを嫌いになったワケじゃないんだ」


 何言ってんの?

 私に面と向かって『見損なった』と吐いたのは誰よ。


「意味がわかりません。何を仰りたいのですか?」

「ルナが俺の()()になってくれれば、マルキ卿の無礼を水に流してやってもいいぞ。ここの農園を全部ウチが買い取って、農夫どもの生活も補償してやる」


 ……は?


「ルナも悪評が広まって、今後に縁談なんか望めないだろ? ここだけの話、お前のことはまだ恋しいと思ってるんだ」


 下衆男にも程がある。

 この男には人の魂が入ってるの?

 そんなことを言える神経が理解出来ないわ。


 今すぐにでも1発ぶん殴って『貴方がフェネッカと不貞してたこと知ってんのよッ!』と叫んでマウント取りたい。

 けれど、サイファーさん達の計画に支障がでてしまうから、それは不味い。


 私は怒りで体を強張らせながらも、何とか衝動を堪えた。


「貴方……自分で何言ってるか分かってんの? 私のこと舐めてない?」

「何って、全て丸く収まる最善の案だと思うんだが?」


 余りの悔しさに感極まった私の目からは、溢れるほどの涙がこぼれ落ちてきた。


「……もうやめて。ホントいい加減にしてよ。貴方みたいなクズの愛人になるくらいなら、死んだ方がマシだわ! 大切な農園も絶対に渡さない!」

「はぁ……あのなぁ――」


 アレンが肩をすくめた瞬間、背後からお父様が彼の肩に手を乗せた。彼が振り向いて「……ん、何だ?」と問いかけたその時。


 お父様が握り拳で――アレンの顔面を思い切り殴りつけた。


 唐突に拳を受けたアレンが尻もちをつき、口の中を切ったのか「ペッ」と少量の血を吐く。


「……い、いきなり何すんだ馬鹿野郎!」

「お前こそ私の大事な娘に近寄るな!」


 お父様の気迫に気押されたのか、アレンは苦虫を噛み潰したような表情で立ち上がった。


「貴様ぁ……こんなことしてタダで済むと思うなよ。そんなに野垂れ死にたいなら、徹底的に潰してやるからな……!」

「やれるものならやってみるがいい。私達は絶対に屈しない」


 鋭い眼光で睨まれたアレンは「チッ」と舌打ちして、おぼつかない足取りで車に乗り込み、猛スピードを出して帰って行った。

 温厚なお父様が激怒するのを、初めて目の当たりにした私。不意に抱きしめてきたお父様は、静かに震えていた。


「ルナ、辛い思いをさせてしまってすまない。私のせいだ……」

「お父様は悪くありません……元凶は全て、あの男のせいですから」


 アレンの顔が瞼に焼き付いて、憎たらしくて仕方がない。あんなに惚れていた男に対して、ここまで見る目が変わってしまうものなのか。いや、そもそも自分の見る目がなかったんだわ。

 

 アレンは差し違えたとしても、必ず地獄へ叩き落としてやる――。

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