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34.サイファー

 世界でも最北に位置するソルディア連邦。


 国土はそこまで広くはないが豊かな自然資源を持ち、特に石油や天然ガスにおいては屈指の輸出量を誇る。


 そんな国に皇太子として生を受けた私には、ソルンツェという愛してやまない妹がいた。

 彼女は燃えるように情熱的で紅く美しい髪を持ち、そして純白のドレスがよく似合う透き通る白い肌をした、天使のような女性だった。


「お兄様これを見て! 植えていたゼラニウムが、やっと花を咲かせてくれましたわ!」

「そうか、苦労して育てた甲斐があったな」


 ソルンツェは太陽を思わせるほどに明るい性格で、極寒が支配するこの国のなかでも、常に周りを照らす光のような存在だった――。


 幼い頃の私は人見知りが激しく、なかなか他の子供達と馴染むことができなかった。大樹の根元に座り込み、他の子達が遊ぶのをただ傍観するしかない。


 そんな私に声をかけてきたのは、満面の笑みを浮かべたソルンツェだった。


「お兄様、なにしてーんの? いっしょに遊ぼ!」


 突然、私の顔を前屈みで覗き込んできたソルンツェの背後には、眩い太陽が隠れていた。

 戸惑った私が返事をする隙もなく、彼女に手を引かれて子供達の輪に入る。


 すると、そこにはソルンツェの幼馴染であるラケタがいた。

 ラケタが生まれたボストーク公爵家は時計を制作する事業を営んでおり、彼自身も機械を触るのが好きだった。私はラケタに誘われて工房に入り、機械の面白さを教えてもらった。


 彼と仲を深めていく一方で、いつしか機械弄りは私の趣味となっていた――。


 13歳になった頃。


 軍事機密保護方法設計案という名目で、各地から選抜された専門家達を集い、各々で案を提出させるコンペが開催されることになった。

 そこで父から「ダイヤル式ロックを開発してみないか」という勧めを受け、少々無茶な話だったが、私は無心になって一人部屋に閉じこもった。

 そんな私の頭に、ふと思い浮かんだのはラケタだった。


「父上、親友のラケタをコンペに誘っても宜しいでしょうか? 彼なら凄いものが作れるはずです」

「ああ、構わんよ」


 ラケタにその旨を伝えると「じゃあ、どっちのダイヤル式ロックが国に採用されるか僕と勝負しよう!」と、快く乗ってきてくれた。

 私とラケタが提案するダイヤル式ロックは、コンペの中でも軍事機密輸送方法に関する部門だった。


 ラケタは相当頭の切れる男。


 人より何倍も負けず嫌いな私は、そんな彼に遅れを取らないよう机へ必死にしがみついた――。


 コンペの採用審査結果が発表される当日。


 皇居の会場には案を提出した専門家達がずらりと整列し、息を呑んで結果待ちしていた。寝る間を惜しんで一生懸命考案こそしたが、専門家達の顔触れを見てそれほど期待はしてなかった。

 だが採用決定されたのは、私の考案したダイヤル式ロックだった。設計案は考案者の名を無記名で提出するため、父の贔屓などもない。

 歓喜した私は、すぐにラケタの元へ駆け寄った。しかし、彼は悔しがることもなく満面の笑みで「おめでとう!」と祝福してくれた。


 それからというものの、ソルンツェとラケタが恋仲にあったことを複雑に思っていたが、彼にならソルンツェを任せても大丈夫だろうと、前向きな気持ちへと変わっていた――。


 そして5年後に、ラケタはソルンツェの正式な婚約者となる。


「この形状では、抵抗が強過ぎて破損を招かないか?」

「出来ればこの小ささは維持したいんだ。材質を強硬な物に変更すれば何とかなるかな?」


 ラケタとは、相変わらず機械弄りの話で盛り上がっていた私。彼は精巧な腕時計の開発を始めており、私は興味津々で彼の描いた図面と睨めっこをしていた。


 片や、ソルンツェはラケタと婚約したのにも関わらず、夜になると時たま私の部屋を訪れて「怖いから一緒に寝たい」と聖書を片手に強請(ねだ)って来ていた。


「いい加減、立場と歳を弁えろ」

「良いではないですか。幾つになっても、お兄様には甘えたいのですから」

「また聖書の解読に付き合ってくれと?」

「ふふふ……」


 彼女は、帷が降りる夜は悪魔が活動する時間だと信じていた。そのせいか、昔から独りで眠ることを恐れた時は、私と枕を共にしていた。


「夜は暗闇ばかりではない。人が道を外さないよう、月明かりが道を照らしてくれるだろう?」

「確かにそうですけれど、月だって日を追うごとに欠けていき、今宵のように新月を迎えてしまうではありませんか……」


 そう。ソルンツェは決まって“新月の夜”になると私のところへ訪れる。しかし、月も休みたいのでしょう――と、彼女は聖書にある『万物を愛せ』という精神を、直向きに守り抜いていた。


「ラケタがお前にとって、常に欠けることのない満月のような存在になれると、私は信じている」

「私もですわ……お兄様」

「さぁ、もう寝なさい。明日は園遊会で、朝から忙しくなるはずだ」

「ええ、とても楽しみです」


 ソルンツェとラケタの幸せを願ってやまなかった。2人に何か良いことがあれば、自分のことのように喜んだものだ――。

 

 2人の結婚式を迎える年となり、私達は穏やかな日常を送っていた。この頃に父は持病の悪化を理由に、年内で皇帝を生前退位する意向を国民に示していた。


 が、そこへ突然――異変が起こる。


 他国での公務を終えた私が1週間空けていた皇居に朝方頃帰宅すると、ソルンツェが首元にアザをつくっていたのを発見した。


「待てソルンツェ。首が赤くなっているじゃないか。何があった?」

「お、お兄様……! これは、その……」


 私が声を抑えつつも眉を顰めて尋ねると、ソルンツェは辿々しくその原因を説明し始めた。

 前日、彼女は皇居に誘致されていたフィラリア外交団のために開いた歓迎パーティーに出席していた、しかし。


「覚えていないだと?」

「はい……恐らく足元がフラついて、転倒した時に負ってしまったのかも知れません」


 ソルンツェは酒を飲み過ぎてかなり泥酔していたしく、記憶が曖昧だと言って、そこから先は何も答えなかった。


 歓迎する側の立場で、そんなになるまで飲むか?

 

 側から見れば不躾とも取れる話だが、他国の文化に触れて高揚し、陽気な性格も相まって羽目を外し過ぎたのだろう――と、注意こそすれど、それ以上彼女を責めるに至らなかった。


 しかし、神妙な面持ちを浮かべるソルンツェの様子は、どこか真実を隠しているようにも感じ取れた――。

 

 だが、その2ヶ月後。


 結婚式も半月後に控えていた頃、しきりに体調不良を訴え続けていたソルンツェに精密検査を受けさせたところ、衝撃的な事実が発覚する。


 彼女は――()()していたのだ。


 酷く混乱した私は、すかさずラケタを婚前性交の疑いで問い詰めたが「全く身に覚えがない」――と、真摯に向き合ってきた本人も困惑していて嘘を吐いてる様子はなく、ソルンツェに至っては何を訊いても口篭って話にならない始末。


 火のないところに煙は上がらない。


 不本意だが、ソルンツェに不貞の疑いを持ち始めていた私は、ふと彼女の首にアザがあったことを思い出す。


 まさか、泥酔していたソルンツェは転倒したのではなく、フィレリア外交団の()()から強姦を受けたのではあるまいか――と、背筋に悍ましい悪寒が迸った。


 その後、私は皇居内を徹底的に調べを上げた。大勢の使用人によって清掃が隅まで行き届いた皇居で、2ヶ月も前に起きた痕跡を探し当てるのは困難を極めた。

 しかし、根気詰めて調査を継続したところ、本来外交団が立ち入るはずのない家事室の壁に、使用人以外の()()を発見することに成功した。

 さらに使用人の一人から、当日に顔色の悪いソルンツェが家事室から出てきた瞬間を目撃した証言を得たことから、指紋の持ち主がソルンツェに暴行を加えた犯人である可能性が、強く色味を帯びてきた。


 とはいえ指紋がついた経緯として、酔った外交団の一人が皇居内を彷徨って家事室に偶然入ってしまった路線も否定できず、まだ“ソルンツェを強姦した”と確証するには裏付けが弱すぎる。


 手詰まり状態となって頭を悩ませていた私に突然、侍従の口から『陛下がソルンツェ様に対して中絶を言い渡した』と告げてきた。


 居ても立っても居られなくなった私は、父上に猛抗議した。


「そんなことをすれば、ソルンツェがどんな目に遭うかはご存知でしょう? 二度と子を産めない身体になってしまうかも知れないのですよ?」

「分かっている。お前が案ずる気持ちも解るが、ラケタの子でないと判明した以上はやむを得ない処置なんだ。ボストーク家にも示しがつかん」

「現在ソルンツェを妊娠させた犯人を追跡中なんです。その片が付くまでは、絶対に中絶などさせません」

「待て。お前は次期皇帝として国民を導かねばならない。それに向けてやるべき事が山積みな今、お前がすべきことは――」


 バンッ――。


 父上の言葉を遮るように、私は書斎の机に小指が骨折するほど拳を強く打ちつけた。


「今はソルンツェを守ること以外に優先することなどない!」


 いつにもなく感情的に声を荒げる私に対して、父上は冷静な眼差しを向けてきた。


「ならばお前は、これからどうするつもりなんだ?」

「犯人は私が見つけ出して必ず断罪する。だがお腹の子に罪はない。ソルンツェの子は私が責任を持って育てればいい。このことは妻からも了承を得ている」

「無茶なことを……そんなことがどれだけ茨の道になるのか、お前達は解っているのか?」

「茨の道であったとしても、道があるのなら耐えて進むだけだ。それでもソルンツェに中絶を強要するのなら、私は継承権を放棄して皇室との縁を切るぞ」

「ユヴェル……」


 小さく私の名を呟いた父上はそれ以上何も言わず、ただ俯いて沈黙した――。


 その日の夜、妙な胸騒ぎを感じてソルンツェの寝室へと向かった。

 すると、窓際で椅子に座るソルンツェが、夜空に浮かぶ満月を見上げるように眺めていた。どこか虚な目をしている彼女に、心配して声をかける。


「どうしたんだ、ソルンツェ」

「お兄様……」

「思い悩むくらいなら、何でも相談しろと言ったはずだろう」


 妊娠が発覚して以来、彼女はラケタと不調和が続いていると聞いていたが、不貞疑惑が完全に払拭されていない状態であれば無理もない。

 彼女は哀しそうな表情で視線を下に落とした。


「生まれ変わっても、またお兄様の妹になれたら……嬉しいな」

「何を言い出すんだ。お前の人生はこれからじゃないか」

「うん……ごめんなさい」


 黙って彼女の肩に手を乗せると、潤んだ瞳で私を見つめてきた。


「私はお兄様を……心から愛しております――」





 翌日の朝。





 皇居裏にある崖の下で――ソルンツェの横たわる姿が発見された。




 

 目の前で愛する妹が、純白のナイトドレスを着て安らかな顔で眠っている。

 膨らみのあるお腹にゆっくり手を伸ばして触れてみると、まるで氷のように冷たくなっていた。


 そう。


 ソルンツェは息絶えていたのだ。


 もう二度と、彼女に温もりは帰ってこない。


 ラケタと共に、雪が敷き詰められた地面に平伏せて泣き叫ぶ私を見下ろした父上は、


「お前らは何も悪くない。これは……中絶を言い渡してしまった私の責任だ」


 と、しゃがみ込んで私とラケタを静かに抱き寄せた――。

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