19.アレン
「え、今日も遅くなるんですか!?」
俺のネクタイを絞めるフェネッカが、早朝から不機嫌な顔をしてそう言った。
「約束したじゃないですか! 今日は――」
「仕方ねぇだろ! 新しい取引先と今後の方針決めてる最中なんだよ! メシとか先に食ってていいから」
「……はい」
ったく鬱陶しいな。
朝から気分が台無しじゃねぇか。
不貞腐れた表情を浮かべるフェネッカだったが、ふと彼女の左手人差し指に包帯が巻かれていることに気付く。
「どしたその指?」
「あ、これは……つ、突き指しちゃって」
突き指程度で包帯なんて、大袈裟な女だ。
「行ってくる」
「いってらっしゃいませ……」
俺は壁のフックにかけてあるジャケットを羽織ると、振り返らずに部屋を後にした――。
夜。
取引先の相手と会食しにレストランへ来た俺は、仕事の話などそっちのけで世間話に花を咲かせていた。
「わ~、そうなんですか! 男らしくて素敵ですね!」
「いやいや、そんなこと普通だよ」
テーブルを挟んだ反対側に座るのは、セラフィーニ伯爵令嬢。
セラフィーニ家は紳士服や婦人服をメインに装飾品などを取り扱う貴族だが、衣類系は人件費が嵩む事業のため利益はそこまで高くない。
だが、そんなことはどうでもいい。俺が求めているのは目の前の令嬢本人なのだから――。
ある地方の社交界に出ていた彼女は少し緊張していたのか、始まって間もなくは会場で孤立していた。しかし、初めてそこの社交界に出席したせいか会場に現れた瞬間、色んな男の目を引いていたのは確か。
それもそうだろう。栗毛の長い髪を靡かせる彼女は綺麗すぎた。
すぐさま俺は彼女に声をかけて、他の男の接近を阻止した。
社交界に妻を連れてくる男は馬鹿だ。みすみすこういうチャンスを逃してるからな。
彼女と話してみたら内気な感じは否めないが、その大人びた魅力に俺は虜になった――。
日を跨いで何回か彼女と会食を重ねる度に手答えを感じ、欲求がどんどんと深くなっていく。その抜群のプロポーションが余計にあれを掻き立てる。
ルナも割と良い身体付きをしていたが、結局抱くことは叶わなかった。今思えばあの時、愛人になることを断ったのは失敗だったかも知れねぇ。
せっかく、あいつのお初を奪えるとこだったのに、俺としたことが勿体無いことしたわ。
ん……そうか!
もう一回ルナに交渉を持ちかけりゃ、あいつは必ず乗っかってくるはず。
だが、他の商会との契約を取り消す必要なんかねぇ。一発かましちまえば、後はバックれても大丈夫だろ。仮に「早く契約取り消してよ!」とか騒ぎ立てて来ても。
『お前の親父に“ルナは俺の愛人になった”ってことバラすぞ』
って脅せば、間違いなくあいつは黙る。
弱みさえ握っちまえばルナともヤリ放題だ。
あ~やべぇ……。
考えてるだけでヨダレ出そう。絶対あいつも手に入れてやる。別に愛人なんか、何人いたって困らねぇしな。
要はバレなきゃいいんだろ?
馬鹿なフェネッカなんて、今日みたいに俺の緻密な行動に気付くワケねぇし――。
「アレン様、どうされました?」
彼女が心配そうに首を傾げて訊いてきた。
ぐお、いかん。
突っ込みたい……!
「あ、いや、大丈夫」
「具合でも崩されましたか……?」
「うん、まぁ、ちょっと別なところで休みたいかな。落ち着いたところで話も進めたいし」
「そうでしたか……困りましたね」
俺はグラスのワインを口に少し含むと、それをテーブルに置いた。
「ちょっと、どっかのホテルで飲み直さないか? そこなら俺も休めるしさ。ここは賑やか過ぎる」
「……え、ええ」
「あ、君が行ってみたいホテルで構わないから!」
そして、彼女が選んだホテルは『前から憧れていた』という理由で高級なところだった。だが、こんな美女を抱けるなら出し惜しみなど無用。それほどの価値がこの女にはある。
どうせ金なんか、俺の懐にはいくらでも集まってくる。
彼女に“ホテルの入室手順”を伝えた俺は、レストランを出発した。
沈んだ陽の代わりに、満月の光が道を示してくれている。
俺が成り上がるまでの道のりを――。