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18.レオナルド

 戦意をほぼ喪失させた俺は、自身に掛けられた悪人疑惑を晴らすことなく、無条件でサイファーの手錠を外した。

 応接室へと戻り、再びソファにサイファーと向き合って座ると、彼は首を傾げる仕草をした。


「さて、何かご質問はございますか?」

「……なぜ……なぜ部下にアレンの変装をさせたんだ? 最初から奴を疑っていなければ、そうはならないはず」


 下を向いた俺は明らかに声量が落ちて、蛇に睨まれた蛙状態と化していた。


「では、これまでの調査結果を踏まえた私の見解を、順を追ってご説明致しましょう」


 紅茶を口にしようとしたサイファーだったが、冷めていたのが気に入らなかったのか、眉間に皺を寄せてテーブルに置き戻した。


「バストーニ商会会長のヴェロン様は堅物な性格ながら優秀な経営者でした。しかし、彼の体調が崩れ始めた約半年前から歯車は狂い始めます。御令息のアレン様がヴェロン様の名を借り、代理で商会の舵取を始めてからです」

「商会の評判が傾き出したのも……ちょうどその頃からだ」

「経営悪化の原因は、間違いなくアレン様の無理な事業拡大です。彼は高利益率事業に片っ端から手を出しておりましたが、その新規事業開拓の仕方は悪評を振り撒いて堕ちた業者を安く買い叩く手法という、狡猾かつ非人道的なものでした。ところが、経営に関してド素人のアレン様には、それらを上手く回すことすら出来なかったのです」

「当然だろうな。おのずとバストーニ商会の悪い噂も広がったわけか」

「そんな最中、アレン様は当時婚約者だったルナ様を連れて当店に来られました。何も知らないルナ様が目を輝かせてショーケースを覗き込んでいたのを他所に、彼は私に向かって、こう尋ねられたのです。


『宝石商は、どのくらい儲かるんだ?』


とね。その時から当店は、アレン様に対して警戒網を張っていたのです」

「ルナとの結婚式当日に婚約破棄したのも、公衆の面前でマルキ産ブドウを扱うマルキ家を批判するのが狙いだったのか。欲望にまみれた……金の亡者め」

「しかし、アレン様を調査しているうちに“別の過ちを犯していたこと”も判明致しました」

「別の過ち……?」


 何だ?

 アレンはまだ何かやらかしているのか?


 俺が怪訝そうに返すと、サイファーは肩をすくめて組んでいた脚に両手を乗せた。


「フェネッカ様との不貞ですよ。アレン様はルナ様に婚約破棄を告げる以前から、何度もフェネッカ様と宿に泊まられておりました。これには我々も驚かされましたがね」

「ふ、不貞だと? そんなことルナは知ってるのか?」


 威圧気味に尋ねたら、サイファーは手のひらをゆるりと返してきた。


「もちろん。私共は自らを別れさせ屋と称し、手紙でルナ様をここへお招きしてその件をお伝え致しました。彼女からアレン様の素性を聞き出すためにね」

「ふざけるな……無垢なルナを騙して利用したのか?」

「私に『愛する妹がいる』という作り話までして、ルナ様の復讐心を煽ったのは事実です。しかし、彼女から得たアレン様の情報は大いに役立ちましたよ。アレン様を地獄へ送る計画にね」

「計画?」

「はい。レオナルド様にはその内容を全てお話し致しましょう」


 サイファーが企てた、アレンを地獄に送る計画――それは用意周到かつ、余りにも残忍極まりないものだった。


「よ、よくそんな酷い事を思いつくな……まさかとは思うが、その計画にルナは参加してないのだろ?」

「いいえ、彼女はこの計画の決行に立ち会います」

「な……!? そんなことをすれば、ルナがどんな目に遭うかわかってるのか!?」


 ルナはいわば真っ白いキャンパスのような人間。サイファーの計画を目の当たりにすれば、たちまち黒い油で闇に染まってしまう。


「私は忠告致しましたよ? しかし、これはルナ様がご自身で決断されたことです」

「……ダメだ。今すぐその計画を中止しろ。俺が父上に相談して――」

「それは不可能です」

「なぜだ!?」


 間髪入れずに返したが、サイファーは間を置くように溜息を吐いた。


「計画の決行日は()()。そして、もう間もなく実行の時刻を迎えますから」


 一瞬、頭の中が空白になった。それでもソファから立ちがり、焦るようにサイファーへ詰め寄った。


「現場はどこだ!? 教えろッ!」

「それを聞いてどうされるのですか? 貴方様には他にやる事があるのですよ?」


 サイファーが俺を引き留めようと肩に手を掛ける。


「ルナを守ること以外やることなんてないだろ! あの子は必ず連れ戻す! このままじゃルナが……!」


 我を忘れて彼の手を(はた)いて振り払った瞬間――サイファーは片手で俺の胸ぐらを掴むと、思い切り壁へ打ちつけてきた。


「ぐっ……!?」


 何ッ!?


 凄まじい衝撃を喰らった俺の息が詰まった途端、サイファーの鋭い眼光が突き刺さった。


「私の眼を見ろ、レオナルド・ディマルク! 侯爵令息が恋煩(こいわずら)いごときで狼狽(うろた)えるな!」


 空気が振動するほどの怒号が室内に鳴り響く。


「ゴホッ……!」


 咽せながらも彼の腕を掴む。しかし、渾身の力を込めてもビクともしない。


 な、何だ……この怪力は……!?


 抵抗する俺に対し、サイファーが低く唸る声で囁いた。


「よく聞け、レオナルド。これまであの娘がどれほどの苦痛に耐えて来たのか、お前に分かるか?


待ち望んだ結婚式という晴れ舞台で愛する者から裏切られ。

知らぬ間に友人から婚約者を寝取られ。

自分を愛し育ててくれた親の尊厳すらも奪われた。


甘えたくても幼馴染に負担をかけまいと相談することもできず、大切な領地と領民を守るため、自ら裏切り者の愛人に成り下がることまで覚悟した。

そんな娘が雪辱を晴らすため、心が蝕まれるのを受け入れて闘おうとしている。お前があの娘の邪魔をすると言うのなら……この首をへし折るぞ」


 ルビーの如く真紅に染まったサイファーの瞳が、哀しそうに輝いている――それは俺の脳裏に、ルナの言葉を思い出させた。


『いつかもっと上手に作れるようになったら、レオにプレゼントして上げる!』

『私ね……今日、アレン様と婚約したんだ』

『サイファーさんとは……えっと、その……今は言えない』

『家まで一緒に来てよ』

『根に持つ女って……どう思う?』

『違うの……何か色々……思い出しちゃって……だ、大丈夫だから!』

『うん……ありがとう……宝物にする……』


 そして、ルナの部屋に入れてもらった日。急用を思い出した彼女が別れ際に言った、最後の言葉。


『また……会えたら嬉しいな――』


 俺はずっと一本道を走っていたと思っていた。

 本当は深い霧がかかった森の中を、彷徨っていたとは知らずに――。


 手の力を緩めて抵抗するのをやめる。すると、サイファーが静かに口を開いた。


「お前が何故ここにいるのか落ち着いてよく考えろ。フェルナンドが息子のお前に何を託したのか、何を求めているのか。お前は私を恋敵と思い込み、ラ・コルネの摘発に執着した。そのせいで、アレンやバストーニ商会の存在をお座なりにしたのは大失態だ。チェルソの件といい、ルナへの想いもそうだ。中途半端な優しさは、自分や仲間の破滅を呼ぶこともある。ルナに対しても自己都合でいたずらに優しく接すれば、余計あの娘の心を追い込むことになるぞ。いずれ人の上に立つお前は、感情で判断を見誤ることなど許されない。


自分を見失うな、レオナルド。いい加減目を覚ませ」


 サイファーが腕の力を抜いて、胸ぐらから手を放した瞬間、俺は糸が切れた人形のように床へ腰を落とした。

 見下ろしていたサイファーが膝をついて前にしゃがみ込むと、俺の眼を見つめて優しく微笑む。


「私を失望させないで頂きたい。貴方様の潜在能力はそんなものではないはずです。相手の挑発や脅しにブレている場合ではないのですよ」


 俺は……誰のために、何のために走っていたんだ。


 ルナのため?


 いや、違う。


 “ルナのため”だと仮面をつけていたんじゃないのか?


 本当の俺の素顔は――“ルナを手に入れたい”と自分勝手に動く偽善者だったんだ……!


 床に手をついてゆっくりと立ち上がり、真剣な眼差しをするサイファーに訊く。


「……さっきあんたは『他にやる事がある』と俺に言ったな? 頼む、教えてくれ。今の俺に何が出来るのか。ルナを救いたいんだ!」

「クククク……いい面構えになりましたね。そのお言葉を待っておりました。ですが、レオナルド様の重要な役割は現場とは“別の場所”に御座います」


 意外な答えに疑問が浮かび、片眉を吊り上げる。


「別の場所だと? 俺でないとダメなのか?」

「左様です。これから私が指示することを、よく聞いて下さい――」


 ラ・コルネの裏口扉を開けて飛び出した俺は、近くに停めてあったディマルク家の車に飛び乗った。居眠りしていた運転手が仰天して振り返る。


「レ、レオナルド様、お戻りで!?」

「寝てる場合じゃないぞ! すぐに車を出せッ!」

「は、はいー! 行き先はどちらですか!?」

「バストーニ家の屋敷だ、急げッ!」


 ルナ……間に合ってくれ――。

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