【第三百九十九話】恩師と教え子の部屋
家の扉を開いたとき、僕は六年前の日々に戻ったような気がした。
一日中、近くの小さな森でフーリアさんと魔法の授業をして、くたくたになりながらフーリアさんと一緒に家に帰ってきて、畑仕事を終えた母さんが夕食の準備をして、そして家族でテーブルを囲んで食事をする。
そんな日々を思い出して、僕はわさびを食べたときのようなツーンとした刺激が目元にきて、また涙が零れ落ちそうになった。
「……ただいま」
僕がそう言うと、母さんが少し微笑んだように「おかえりなさい」と言って僕を家の中に入れた。
「ほとんど変わりないですね」
「フーリアちゃんが王都に行ったのは二年前でしょ? それじゃ全然変わらないわよ!」
母さんは嬉しそうに笑いながらそう言って「二人共疲れたでしょ? 部屋でゆっくりしていきなさい」と僕達に二階の部屋へと行くことを促した。
「わかりました。あっでも……」
フーリアさんが僕の方をちらりと見て、困ったような顔をした。
いったいどうしたというのだろうか?
「あぁそうそう、リーバがいない間、フーリアちゃんがリーバの部屋を使ってたのよ」
母さんがそう言って、フーリアさんが僕に「すみません……」と頭を下げてきた。
「もしかしたら、部屋の物が移動していたり、なくなっていたりするかもしれません……」
とフーリアさんは心底申し訳なさそうな顔をして、僕にぺこぺこと繰り返し頭を下げている。
部屋に大切なものはあまり置いてなかったし、これといって見られて困るようなものも置いてなかったので、そこまで謝られる必要はないかな。
「大丈夫ですよ! それほどなくなって困ったりするようなものも置いてませんでしたし」
僕がそう言うと、フーリアさんは「本当ですか……?」と少し右目をゆらゆらさせながら訊いてきた。
「本当です」
僕がそう言うと、安心したようにフーリアさんが下げていた頭を上げて「では、部屋に行きましょうか」と言ってきた。
よくよく考えれば、僕の部屋に戻るのも三年ぶりということになる。
「ちなみに移動させた部屋の物って何ですか?」
階段を上がっている最中、僕はフーリアさんがこちらに倒れ込んでこないか警戒しながらそう訊いた。
「ええっと……強いて言うなら机とベッドでしょうか。机は窓際に移動させ、ベッドは部屋に入ってすぐ横の壁際に置きました」
割と結構な大移動だな。
机とベッドの位置がまるきり入れ替わっている。
しかし、フーリアさんがしばらく僕の部屋を使っていたようだし、ベッドを入口横に置いたのは、起きてすぐに一階に降りるためだろう。
机を窓際に置いたのは……フーリアさんのことだ、外の景色を見ながら作業を行いたいというような理由だろう。
「大丈夫でしょうか……? なんでしたら位置を元に戻しますが……」
「大丈夫ですよ。それに先生に重いものを移動させるなんてことはできませんから」
今の状態のフーリアさんに重いものを運ばせるなんて、ただの鬼畜の所業である。それに、この家に長居するわけでもないので、家具を移動させるだけ無駄だ。
そんなことを話しているうちに、僕達は部屋の前までやってきた。
「で、では、開けますね……?」
少し気まずそうな言い方でフーリアさんはそう言って、僕の部屋のドアノブに手を掛けた。
部屋の中はフーリアさんが言っていたように、机とベッドが移動していたが、特にそれ以外は変わった様子はなく、三年前、ひいては六年前とも全く変わっていなかった。
部屋の匂いから、窓からの日光の差し方、天井の端が少し埃っぽいのもあの頃と同じだ。
「本当に……昔に戻ったみたいですね……」
僕がそう言うと、フーリアさんは「えぇ、そうですね……」と部屋へと入っていき、すっと深呼吸をした。
ドアノブに埃が付いているのを見ると、掃除はそれほどされてないようだから深呼吸は止めたほうがいいのかもしれない。
「先生……あの、あまり深呼吸はしないほうが……」
「あっ、そうですね。ですけど、少しぐらいはいいじゃないですか」
そう言ってフーリアさんは嬉しそうに微笑みながら、部屋の中を歩き始めた。
「寝床はどうしますか? 一緒の部屋が嫌なら、僕は一階で寝ますけど……それとも、埃っぽい部屋は嫌ですかね?」
僕がそう言うと、フーリアさんは「いえ、この部屋でいいですし、一緒でも構いません」と答えた。
一緒の部屋で寝るなら、僕は床だな。まさかフーリアさんを硬い床の上で寝せるなんて真似はできないし。
「じゃあ僕が床で寝ますね」
「それじゃあ駄目です。ここはもともとリーバくんの部屋なんですから。リーバくんはベッドの上で寝てください」
そうなるとフーリアさんが床で寝ることになってしまう。
いくらフーリアさんが良いといっても、さすがにそれだけは容認できない。というか、容認してしまったらそれこそ父さんたちに嫌われる可能性だってある。
「そういうわけにはいきませんから! フーリアさんがベッドで寝てください!」
「ですけど、それではリーバくんが……」
「僕のことはいいですから」
僕がそう言うと、フーリアさんは少し悩んだ様子で「うーん」と唸りながら僕の部屋の中央で停止した。
よく見ると、部屋の床には埃が散りばめられていて、とても女の人を地べたで寝かせられるような状態ではない。
布団は一応人数分ありはするのだが、しばらく使われていないまま倉庫に置かれているだろうから、カビやダニが繁殖している可能性がある。
そんなことを考えていると、フーリアさんが「あっ」と何か思いついたように顔を上げて、僕の方を向いた。
「それなら、一緒のベッドで寝ましょう! 私なら体が小さいですから、二人でも寝れるはずです!」
と名案を思いついたかのような誇らしげな顔をしてフーリアさんは言って、褒めてくださいと言わんばかりに胸を突き出している。
「あの……でも、いいんですか? 一応僕は男ですよ?」
「リーバくんは少女に興奮する趣味でも持っているんですか?」
いや、特にそう言った趣味を僕は持っていないし、持っていたとしても僕はアディ一筋だ。フーリアさんには靡かないだろう。
「そんな趣味は持ってませんよ!」
僕がそんなふうに言うと、フーリアさんは笑いながら「なら大丈夫ですね」と言って、夕食も済ませていないのに、早速ベッドに寝転んだ。
……間違ってフーリアさんを潰さないよな……?
僕は先生と寝ることへの気恥ずかしさより、そんな心配の方が勝った。




