【第十三話】 牽衣頓足(4/4)
大雨が降っていた。
暗い灰色の雲が無尽蔵に大きな水玉を地面に投げつけ、弾けさせている。
僕達はフードを被り、頭上に円錐上の土の膜を作ることで雨を防いでいたが、靴が濡れてビショビショになっていた。
歩くたびに水が足の指の間を通り抜けて気持ちが悪い。
あの日以来、僕はフーリアさんとろくに話していない。
僕が話しかけても、フーリアさん側から話を終わらせてくるのだ。
まるでこれ以上の僕との接触を避けているような、そんな様子がひしひしと感じられる。
結局、フーリアさんと会話という会話をしないまま、僕達はついに家の玄関の前に立った。
約二〇日ぶりの実家だ。
僕は勢いよく家の扉を開く。
「ただいま! 父さん! 母さん!」
せめて父さんと母さんには明るく接さなければ。
僕はそう思いながら、濡れた靴のままで家の中に入り、父さんたちに近づいた。
「リーバ! 帰ってきたか! どうだ? 結果はよさそうか?」
父さんが嬉しそうな顔でそう言った後、不安そうな顔に変わって、僕にそう訊いた。
「良さそうです!」
そう言うと、父さんは心底ホッとしたような表情をした後に、玄関に立っているフーリアさんの方を見た。
「リーバ、おかえりなさい。調子はどう……だった?」
母さんは二階から降りてきて、僕に結果を聞こうとしていたようだが、何故か僕の後ろの方を見て押し黙ってしまった。
よく見れば、父さんも固まって僕の後ろを見ている。
どうしたのだろうか?
僕は二人の視線を辿りながら振り返った。
フーリアさんが、跪いていた。
泣いているのだ。
「どうしたんですか!?」
僕は慌ててフーリアさんの元へ駆け寄る。
頭、胴、足の順でフーリアさんの体を見るが、どこも怪我はしていない。
すると、内面的な怪我や痛みによるものか……?
僕はちょうど地面を這っていたクモを見つけたので、それを掴み詠唱する。
「生と死の女神よ、この者の命を献上いたします。ですのでこの聖者の苦痛をお和らげください」
もう少し部屋を綺麗にしてほしいものだが、今回ばかりは汚い部屋で助かった。
しかしフーリアさんは未だにわんわんと泣いている。
クモの命じゃ駄目なのか……!?
僕は更に辺りを見渡すが、ちょうどいい生物がいない。
居るのは父さんと母さんと……僕だけだ。
仕方がない。
僕は自分の体に触れながら詠唱を始めた。
「生と死の女神よ、この者の命を献上いたし──」
「……だ、大丈夫です、どこも痛くはありませんから……」
そう言って、フーリアさんは僕の治癒魔法の詠唱を制止してきた。
僕は父さんと母さんの方を見る。
最初からこうなることを知っていたかのような顔。
何かを隠していたらしい。
「父さん……? 母さん……?」
僕はただただその言葉を繰り返して呟いていた。
何かをひた隠しにされていた失望と、この次に来る大事な話の恐怖に僕は震えていた。
何も言うな。
何も言わないでくれ。
まだ僕は心の準備ができていない。
やめてくれよ。
やめろ。
そんな静かな願いも虚しく、僕は次のフーリアさんの言葉で、絶望に打ちひしがれた。
「徴兵……されました……」
徴兵。
日本で暮らしていた頃は、ほとんど聞くことの無かった言葉だ。
聞くとしても、学校の授業なんかでしか聞いたことがなかった。
自分に関係する言葉になるとは思いもしなかった。
「なんでですか……?」
力の抜けた声だ。
情けない。
「魔法学校で教鞭を取っている人間以外の魔術師が招集されたんです」
フーリアさんは涙声でそう言う。
そもそも、戦争が起こっている話自体、僕には初耳だった。
だからか。
だから街中にホーラ王国の国旗が飾られていたのか。
自国の民を鼓舞させるために、国旗を大量に掲揚していたのか。
「どうにかして、招集は免れることはできないんですか?」
僕がそう聞いてもフーリアさんは横に首を振って、「できません」と言った。
「これでも、結構持ったんですよ。
君が私同伴で魔法学校の試験を受けられた事自体、まず奇跡みたいなものなんです。
私は本来、半年前には戦地に行かなければいけなかったんですよ。それでも、私が必死に懇願をして、来月まで期間を伸ばしてもらいました。
これ以上期間を伸ばすことはできないです」
フーリアさんが喋るごとに、僕の心がズキズキと痛む。
こんな小さな体をしている人に、王国は戦争に行けと言うのだ。
「先生は小さい体なんですよ……?」
「国は魔術師ならば年齢、性別、容姿を選ばずに招集してきました」
「なら今からでも魔法学校の教師に……!」
「今の魔法学校はどこも教師が足りています。足りすぎるぐらいに足りています」
つい二ヶ月前に見た流れを、僕はまた繰り返してしまった。
僕が言い訳に近い言葉を発し、フーリアさんがそれをズバッと即答の刀でそれを断ち切る、そんな流れを。
どうにかして、どうにかしてフーリアさんを引き止めなければ。
……でもどうやって?
テロ? 革命? 王族の暗殺?
資金はどうする? 僕みたいな子供にできるのか? すぐに鎮圧されないか?
駄目だ。案が浮かばない。
こうなるのが分かっていたのなら、前世で頭の良い大学を出ればよかった。
「大丈夫です、リーバくん。私は死にませんから」
フーリアさんは目端に涙を溜め、優しい顔をしてそう言う。
しかし、その表情の陰には不安、恐怖、悲しみといった負の感情が隠れていた。
「でも、先生……」
僕はフーリアさんのローブの裾を掴む。
行ってほしくないという思いで、力強く、麻でできている薄茶色のローブを、僕は掴んで離さない。
目元から次々と涙が溢れ出てくる。
「僕、行って、ほしく、ないです……」
泣いてしまって、言葉が途切れ途切れにしか発する事ができない。
行かないでほしい。
頼む。
「……今日の夜、お別れの会を開きましょう」
無情にも母さんがそう言って、僕の背中を擦ってくれた。
次の日、フーリアさんは家を発ち、その十日後、僕の家の郵便受けには、魔法学校の試験の合格通知が入っていた。
第一章【家庭勉強編】の終了でございます。
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牽衣頓足:とてもつらい別れを惜しむこと。
戦地へ赴く兵士の衣服を、家族が必死に掴んで悲しんだことから来ている。




