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紅葉の美しい頃・きらきらと光る星を・眠らない街で・ひと目見たいと歩き回っていました。

 アンドロイドは人間の良きパートナー。そんな謳い文句が町中に散らばっている世の中では、人間のやれぬ事は機械人形の力を借りることが当たり前であった。未知のウイルス、自然災害に見舞われながらも逞しくも生き延びた人類は、途上国の人口爆発と先進国の人口減少の極端な高低を埋めようと人型の機械を産み出すために一念発起した。技術を持った会社は軒並み飛ぶ鳥を落とす勢いで大企業、その経営者は大富豪にまで上り詰め、いつの間にかアンドロイドは量産されて人間のそばで暮らすという未来の一つが出来上がっていた。

 ある都市部。繁華街のすぐそばの中流階級者が多く住まう住宅街に、ある男がいた。彼はこの世界において特段珍しくもないが、娘と呼ばれるアンドロイドと二人で暮らしていた。娘の見た目は6歳か7歳ほどだった。

 「おとうさん、タマゴが焼けたよ!」

フライパンを持ったはりのある娘の声に起こされて、渋々と父親は万年床からナメクジが如く這い出すと掴んだ襖を杖代わりにしてよろよろと立ち上がる。目を充血させ、目やにもあり髪も癖毛だか寝癖だか分からない程にあちこちに向かって跳ねていた。男はリモートワークが利く職種だが、ここしばらく会議が行われないために、出社していた時より歯止めが利かずにひどい有様となっている。娘は早く早く、と洗面所に父親を押し出すと、鏡の前で男は一つ大きいあくびをした。納品の期日が間に合わず、徹夜に近かったので今朝はことさら眠いのだ。顔を洗い、鏡をなるべく見ないようにして素早くタオルを手に取る。自分すらも見れた顔ではないと男は思っている。しょぼくれてもうすぐ中年に差し掛かる年齢の男の寝起きの顔など、自分が見ても愉快ではない。だから顔を上げずにすぐにタオルで水分を拭き取って、ひげそりのために顎辺りだけを集中して見た。綺麗に剃られた顎だけ見たらイケメンじゃないかと、変な自尊心が芽生えて男は顎以外を見てみるが、いつものくたびれた男の不愉快な顔だった。嫌な気分になって洗面所を出る。狭いマンションなので、すぐに廊下を歩けば居間に着く。そこでは、娘が変わらずフライパンを持ったまま待ち構えていたようだ。

 「ごはんー朝ごはんだよー」

 「はいはい。今日は何のメニューかな」

 「えーと、たまごやきとあじつけのりと、ごはんとみそしる。あとしらすぼし」

 「分かった、今日もありがとうな」

礼を言って男が娘の頭をぽんぽんと叩くと、娘は誇らしげな顔をしてフライパンを戻しに台所に走った。そして手ぶらになってエプロン姿のまま食卓に着く。向かいに父親がいるのを確認して満足げににっと笑った。その笑顔は母親より父親にやり方が似ていると男は思う。彼がそう思うのには、目の前の娘は自分の娘だが自分の娘では無いからだ。アンドロイドに故人を似せたものだからだ。だから娘は歳を取らないはずだが、毎年少しずつ身長が伸びていると通わせている学校から報告を受けている。最近のアンドロイド技術はすごいな、と飛び跳ねて喜ぶ娘の前では男は口には出さなかったが、胸の中ではそう思っていた。毎日飽きずに朝食を作り、母親のまねごとをしているのもアンドロイドだからの手際だろう。だから感謝の意を伝えつつ、娘の成長を喜ぶ感情は極めて薄い反応をしていた。

 だが娘はアンドロイドだから、父のそんな反応を気にしないのか気付いていないのか、テンプレ通りの悦び方をしてソファで跳ねたり二つ結びの髪ぴょこぴょこと揺らしたりする。それを見ていると、男はだんだん父親の表情が戻ってくるのを感じた。そして少しだけ娘に同調して喜んだ。これが親子の日常だ。日常だから喜怒哀楽が感情として空中に飛び出して喧嘩になることもあった。だが男はいつもアンドロイドのくせに、という言葉を吞み込んでいた。いくら頭に血が上っても、そこまでの理性を失うことはなかった。喜怒哀楽はあるが、頭のどこかに壁が作られて感情が溢れ出しても無意識に出る単語がせき止めされているので傍目からは冷静に見えるのだろう。だが娘は鋭いもので、一度だけお父さんって怒りきらないよねと言われたが、アンドロイドなりに察したのか同じ言葉を言うことはなかった。


 娘がある日家出をした。喧嘩内容はくだらないもので、いつまで経っても風呂に入らないまま、男が手の上のスマートフォンを見つめていたかと思うとついには壁の一点だけをぼうっと見つめいていたことが、娘の子供らしい怒り以上の爆発を買った。早く入ってと甲高く叫ぶ娘に、男がああもううるさいなと返したのが発端だ。アンドロイドのくせに、アンドロイドのくせに、アンドロイドのくせに、と頭の中でせき止めていた壁がいつの間にか崩れていたらしく、男の喉が『アンドロイドのく』まで出た辺りで、自分の耳に入った言葉に急激にはっとした。頭の壁は瞬時に再構築されたが、目の前の娘の顔が崩れたのが視界に入ると、こちらの関係性は再構築は不可能になっていると感じた。風呂に入ったばかりの娘が、お気に入りのイチゴ色のパジャマを握りしめて俯き震えている。言ってはならないことを伝えてしまったのを感じた男は、娘が次の瞬間玄関のほうまで、残像すら残らぬ勢いで飛び出していった。ドアががちゃがちゃと開く音が聞こえるが、男は一歩も歩けないでいた。子供を夜の街に、しかも住宅街を抜ければすぐに繁華街に入る。車通りも人通りも多いが、酔っ払いもビルの隙間の路地裏も多い。無防備な少女を置いていい場所では無い。だが男の足はそうそう動かなかった。一歩をよろよろと踏み出したのが精一杯だ。父親は成人であり、日常生活に支障が出る障害もない。だが男は心が重傷であった。歩くだけが精一杯であるほどに。


 新種のウイルスによって生活様式ががらりと変わった。だがそれだけに留まれば人類は持ち前の柔軟さと困難を乗り越えるしたたかさで嵐が過ぎ去るのを待ったかもしれない。だが失われた命の多さが、嵐が過ぎるまで身を縮こめていた人々を絶望の底へと落とした。男の妻、娘の母もその一人だ。役所からの入院の日程を決められ、元気そうに大丈夫よと笑っていた妻の容態が急変したのは一瞬だった。その知らせを受けて男が駆けつけた時は、まだ死に近付いた程度で覚悟するほどでは無いとはいえ、人工呼吸器を付け、うつろな目をしている妻をガラス越しすら対面出来なかった。それでも顔を見よう男は人目も憚らずに頑丈なガラスに貼り付き、大勢の防護服の人々の隙間から妻を探した。すると彼女と一瞬だけ目が合って、男が安堵したのを見たのか、呼吸器で隠れた口元ではなく彼女は目で笑いかけてくれた。その次の瞬間、妻の容態は悪化してあっという間に亡くなった。葬儀は執り行えなかった。骨だけがしばらくしたら届けられた。妻が亡くなった時から骨を受け取るまで、男は感情を失い茫然とした抜け殻になっていた。その時娘は濃厚接触者であり検査結果が陽性であったため、妻と同じく入院していたのだ。一時容態が悪化した時と呼ばれたことがある。だから男は具体的に覚えていないが、妻と合わせて娘も入院中に死んだのだと記憶していた。だから家に娘が戻ってきたときは、アンドロイドだと疑わなかった。

 現に遺族へのケアとして故人に似せたアンドロイドを家に贈る、クラウドファンディングや寄付が多数行われていた。賛否両論あったが、男の生活を辛うじて支えるため娘は奮闘し、なんとか今男の生活は保たれている。その娘への恩を踏みにじってこのままにしてはおけない。男はようやく父親であること、大人としての責任感で玄関まで走り出した。

娘が駆ける街はネオンの灯りやビルの灯りで眩しかった。眠らない町は明け方に近付かないようにと周囲の大人に言われているが、自暴自棄になった娘にそんな危険性など構いやしない。あてもなく風のように駆け抜けて、ほっぺが赤くすり切れそうに冷たくなったのに気付いて足を止めた。周りには、スーツやドレスなどたくさんの大人が道を歩いている。喋ったり、立ち止まって見つめ合ったり、酔っ払って首が据わらなかったりと様々だ。皆人間なのだろう。ようやく訪れた平穏と、鬱憤を晴らすためにあえて夜の町の雰囲気に溺れている気がする。娘に危害を加えたり、特異な目で見るものはいない。皆自分のことで精一杯なのだ。だから娘もだんだんと冷静になってきた。だが家に戻る気は無くなっていて、ふと母親がまだ元気だが入院していた時の事を思い出す。まだ容態の無い母と娘は相部屋だった。


 「あのね」

 「なに?」

 「もし、もしね。おかあさんに何かあったら」

 「やだよ、やめて」

 「大事なことなの」

遮ろうとする娘を見る母の目は真剣だった。

 「大事な事よ。おかあさんがいなくなったらね、星になってるから」

 「星?」

 「そう。人はね、死んだら空に輝く星になるの。だからもしあなたが苦しかったり、悲しかったりしておかあさんに会いたくなったらね。夜空を見るのよ。きっとおかあさんがそこにいるわ」

 まるで予見しているような喋り方に、娘は反発してふーんとくちびるを尖らせてそっぽを向いた。だがその言葉通り母は数日で亡くなってしまったのを思い出し、娘の目から涙が零れた。ちなみにこの世界で流通しているアンドロイドに、涙腺の機能は無い。娘が人間である確たる証拠だった。だが娘は父親の前では涙を流さずにいた。形しか褒められなくても、アンドロイドにしか思われていないと分かっても、淡々と父の傍にいることを幼心に選んだのだ。星を見つけよう、と娘はてくてくと歩き出す。母に会いたくなったのだ。


 娘を知らないか!?と父親は会う人会う人にに片っ端から声をかけるが、なにぶん興味が無いのか娘を見たと言う人はいなかった。それどころじゃないの分かってるだろ、こっちは店が潰れて死ぬ前の最後のどんちゃん騒ぎなんだぞ!と酔っ払いに絡まれて父親は困惑したが、すぐに娘を探しているんだと震える声で押しのけるようにして離れた。ここまで他に興味が持てない繁華街では、娘は無事である可能性があるが少しだけ自暴自棄な雰囲気の繁華街にどんな暴力や思惑が渦巻いているのか、父親が持つ大人の想像力では恐ろしい結末しか浮かばなかった。父親には、娘がどこに行くのかまったく検討が付かないでいた。この町には妻との思い出があるわけではない、仕事の都合で来た町であって周囲に知り合いも少ない。だから娘のアンドロイドが、果たしてどこを目指すのかを考えても考えても答えは出てこなかった。そのため男は闇雲に眠らぬ町を走っていた。大人の歩幅で娘をとうに追い越していたかもしれないと気付いた頃には、繁華街の端まで来ていた。娘の足のみで、大人の男がここまで追い付けないことはないはずだと危機感を父は覚える。アンドロイドだから製造元に戻ることはあるのだろうかと考えて、だが製造メーカーの責任に、家出のアンドロイドを面倒見る機能があるものかと馬鹿な空想に頭を振った。アンドロイドはどこかに向かうことは無い。それにアンドロイドは感情が高ぶったとしても涙を流さない。帰る場所の無い己に情緒不安定にならぬよう、アンドロイドは精神状態を安定させた仕様のはずなので、先程娘のアンドロイドの手にしずくが落ちたのが急にフラッシュバックして反芻して父は頭を押さえた。何かとんでもない勘違いが起きている予感に膝が震え、その場に情けなく崩れそうになる。

 娘は、娘は違ったのか?

 父が思わず空を仰ぐと、イチゴのパジャマの薄いピンク色がネオンの灯りの隙間、近くのビルの屋上あたりの場所にあるのが男の目に入った。娘の名前をその場で叫ぶ。振り返ったように見えた小さい影に向かって、男は屋上を見ながらも娘から目を離すまいと瞬きもせずに階段を駆け上がった。ビルの入り口から階段へ駆け上る。その間も目では見えない娘を失うまいと心はとうに屋上へ飛んで、追う体は血眼で足が向かう先を見つめていた。階段の一番上、屋上への扉を体当たりして飛びつくと娘がビルの柵に掴まって振り返っている。

 「・・・おとうさん」

男は驚いたような惚けたように動かない娘の名を、もう一度叫んだ。

 「紅葉!」

その名前は亡き妻が、娘の母が付けた名前だった。

 「ねえこの子のほっぺ、すごくまっかで綺麗よ。見て」

 「ああ、そうだな。小さい手が紅葉みたいで綺麗だ。きっと君に似たね」

 「ねえ、名前。紅葉にしましょうよ。きっとこの子は美人になるわ」

 「鼻は君だね」

 「目は貴方よ」


 妻との愛の結晶である赤い血が通った娘は、抱きついて縋り付いてくる父親の謝罪の言葉を聞いていた。繰り返される言葉は、父親がようやく口にした生きた言葉だ。妻を唐突に失い、同時に母を失った娘を気遣う余裕のなくなった父親が、ようやく生きている自分を見て口にした言葉だ。アンドロイドだと勘違いして、記憶の混濁と悲しみの底で座り込んでいる父を、守らないといけないと幼心に思ったのが、母を亡くした悲しみと父への憐憫と怒りと周囲の目と差別への怒りとが一挙に溢れた感情でぐちゃぐちゃにかき混ぜられ、子供の素直なこころが耐えきれなくて娘は泣いた。

 「うわーん、わぁぁぁーん」


 娘だって被害者だ。紅葉だって死にかけたのに、感染症だからと周囲からは近付くなと心ない言葉も投げかけられた。しばらく引きずった味覚障害で味が分からなくて、ごはんの時間が耐えられなくて、だが誰にも言えなくてこっそりと病室で泣いたこともある。誰がこんな感染症を望んで罹患するというのか。

母の星を見ていたかったが、帰ろう、帰ろうなと父が真っ赤な鼻で笑いかけたので、娘はおとうさん、はながもみじだねと言って二人で笑ったのだった。


原典:一行作家

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