「和歌一つ仕うまつれ。さらば許さむ。」
「和歌一つづつ仕うまつれ。さらば許さむ。」
と、のたまはす。いとわびしく恐ろしければ聞こゆ。
いかにいかが かぞへやるべき 八千歳の あまり久しき 君が御代をば
「あはれ、仕うまつれるかな。」
と、二たびばかり誦ぜさせたまひて、いと疾うのたまはせたる、
あしたづの 齢しあらば 君が代の 千歳の数も かぞへとりてむ
さばかり酔ひたまへる御心地にも、おぼしけることのさまなれば、いとあはれにことわりなり。げにかくもてはやしきこえたまふにこそは、よろづのかざりもまさらせたまふめれ。千代もあくまじき御ゆくすゑの、数ならぬ心地にだに思ひ続けらる。
(道長様は)
「和歌を一首づつ詠聞かせなさい。そうしたら許してあげましょう」
と、おっしゃられます。
とにかく逃げてしまいたいけれど、道長様のご意思にそむくことも恐ろしいので、何とか次のように詠みました。
数えることなどできる手段があるのでしょうか。限りないほどのあまりにも久しい若宮の栄えある御世を
(道長様は)
「うんうん、なかなか上手に詠みましたね」と、二回繰り返して(私の詠んだ歌)を詠まれ、実に素早くお返しになられました。
この私にも、鶴のような千年の長寿があるのなら、若宮の千年の歳も数えてあげられるのですが
相当な泥酔でおられるのに、道長様にとって若宮のご誕生と今後の御長寿はかねてからの大願であったことから、実に納得できるのです。
何にも増して若宮のことを大事に思っているからこそ、全ての儀式も最上級にしているのであり、私などの大した身分でない者であっても、若宮様の栄えある未来について思い浮かべることができるのです。
道長は念願成就で当然ながらうれしくて仕方がない。
無難な受け答えと記述を貫く(その内心はともかく)紫式部。
ただ次の話では、そんな道長に呆れる(呆れる態度を示すことができる)人が登場する。




