暮れて月いとおもしろきに、宮の亮、女房にあひて、
暮れて月いとおもしろきに、宮の亮、女房にあひて、とりわきたるよろこびも啓せさせむとにやあらむ、妻戸のわたりも御湯殿のけはひに濡れ、人の音もせざりければ、この渡殿の東のつまなる宮の内侍の局に立ち寄りて、
「ここにや。」
と案内したまふ。宰相は中の間に寄りて、まだ鎖さぬ格子の上押し上げて、
「おはすや。」
などあれど、いらへもせぬに、大夫の、
「ここにや。」
とのたまふにさへ、聞きしのばむもことごとしきやうなれば、はかなきいらへなどす。いと思ふことなげなる御けしきどもなり。
日がくれて、月が素晴らしい雰囲気を見せていると、中宮様の亮(藤原実成;藤宰相)が、女房に面会をして、(自身の加階に対しての)この上ない喜び(のお礼)を中宮様に申し上げていただきたいと考えたのでしょうか(やって来て)、ただ、妻戸の付近はお湯殿からの湯気に濡れていまし、女房のいる様子も感じられなかったので、こちら側の渡殿の東端の宮の内侍の局に立ち寄り、
「こちらにおられますか」
と、声をおかけになっています。
宰相は、それに加えて中の間に寄り、まだ鎖をしておろしていない格子の上そ押し上げて
「こちらですか」
などと声をおかけになります。
それでも、顔を見せないでおりましたが、中宮大夫(藤斉信)が「こちらですか」とに対して無視をするのも、分を越えているような焦らしと思い、少しだけ返事をします。
(中宮様の亮様と中宮大夫様の二人は)全く頓着のないようなご様子です。
行幸の翌日の夜、緊張感から解放され、しかも月が素晴らしい雰囲気。
中宮様の亮様と中宮大夫様の二人は、中宮様に加階のお礼を伝える目的に、中宮付きの女房に取次を求めに出向いて来た。ただ、それに加えて懇意の女房と話をしたい、という「下心」も持っていたようだ。(せっかくのお礼言上なので、見知らぬ女房を通じてよりは、と推測する)
尚、この二人の「懇意の女房」は、古来、紫式部説がある。
(紫式部自身は、認めることはないけれど)
また、この場面は「紫式部日記絵巻」に描かれ、二千円紙幣の図柄ともなった。




