十月十余日までも御帳出でさせたまはず。
(原文)
十月十余日までも御帳出でさせたまはず。
西の側なる御座に夜も昼もさぶらふ。
殿の、夜中にも暁にも参りたまひつつ、御乳母の懐をひきさがさせたまふに、うちとけて寝たるときなどは、何心もなくおぼほれておどろくも、いといとほしく見ゆ。
心もとなき御ほどを、わが心をやりてささげうつくしみたまふも、ことわりにめでたし。
ある時は、わりなきわざしかけたてまつりたまへるを、御紐ひき解きて、御几帳の後ろにてあぶらせたまふ。
「あはれ、この宮の御尿に濡るるは、うれしきわざかな。この濡れたるあぶるこそ、思ふやうなる心地すれ」
と、喜ばせたまふ。
※十月十余日までも御帳出でさせたまはず。:中宮彰子は、皇子を御出産後、約一カ月間、御帳台の中で、身体を休めていた。
※西の側なる御座:御帳台西側の、本来は中宮が昼の御座として使う場所に、紫式部たちの女房が常に控えていた。
※心もとなき御ほど:生後一カ月の身体はやわらかく、むやみに力をいれられず、不安に思う。
※わりなきわざ:困ること。赤子の尿が道長にかかってしまうこと。
※御紐:直衣の首の周りの紐。
※思ふようなる心地:長年の願いがかなった気持ち。
(舞夢訳)
中宮様は、10月10日を過ぎても、御帳台からお出ましになられません。
私たち女房は、その西側の御座所に、夜も昼もなく、控えています。
道長様は、夜中にも、夜明け方にも、こちらにお越しになられては、乳母の懐を探られます。
乳母は、ぐっすり眠っている時もありまして、何が起こったのかわからなくて、寝ぼけながら驚いて目を覚ますので、実に気の毒にも思えます。
道長様は、まだ生まれたばかりで、首もすわらず、何の物心もつかない若宮様を、気がすむまで抱き上げて、可愛がられます。
確かに、そのお気持ちは、ごもっともと思いますし、素晴らしいこととも思います。
ある時には、若宮が困ることを、道長様にしてしまいます。
道長様は、着ていた直衣の紐を解いて、几帳の後ろで、女房に火にあぶらせ、乾かします。
そして、
「何と、この若宮様の御尿に濡れてしまうとは、実にうれしい」
「この濡れた衣をあぶる、これこそが長年の願いがかなった気持ちになる」
と言ってお喜びになるのです。
道長は、夜中でも夜明け前でも、初孫の若宮を見たくて、抱きたくて仕方がない。
乳母の困惑など、知ったことではない。
最大権力者の地位に加え、将来の天皇の祖父になるだから、道長にとって、御満悦の限り。
また、紫式部も、「それはそうでしょうよ」と、抜かりなく書き記している。




