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紫式部日記 舞夢訳  作者: 舞夢
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九日の夜は、春宮権大夫仕うまつりたまふ

(原文)

九日の夜は、春宮権大夫仕うまつりたまふ。

白き御厨子一よろひに、まゐり据ゑたり。

儀式いとさまことに今めかし。

白銀の御衣筥、海賦をうち出でて、蓬莱など例のことなれど、今めかしうこまかにをかしきを、取りはなちては、まねび尽くすべきにもあらぬこそ悪ろけれ。

 今宵は、おもて朽木形の几帳、例のさまにて、人びとは濃きうち物を上に着たり。めづらしくて、心にくくなまめいて見ゆ。

透きたる唐衣どもに、つやつやとおしわたして見えたる、また人の姿もさやかにぞ見えなされける。

こまのおもとといふ人の恥見はべりし夜なり。


※九日の夜:皇子誕生9日目の夜。9月19日。

※春宮権大夫:藤原頼道。中宮彰子の弟。

※おもて朽木形の几帳:垂布の表側に朽木形の摺り模様がある几帳。

※こまのおもとといふ人:確定されていない人であるけれど、「こまの高嶋」と呼ばれた「高嶋采女」と推定されている。知識に富み、また美貌を誇ったとの説がある。別説に、紫式部の同僚で高階道順の娘小馬とするものがある。

※恥みはべりし:宴席において、彼女が、酔っぱらった公卿たちから、相当絡まれた、(きわどい冗談を言われたか、それ以上の行を迫られたか)との説がある。

また、紫式部の同僚で高階道順の娘小馬にも、酔っぱらった公卿たちから、恥ずかしいことをされてしまった、との説がある。


(舞夢訳)

お誕生九日目の夜は、東宮の権大夫(頼道)様が主催する御産養になります。

お祝いの品々は、白い御厨子棚一対に乗せられ、置かれています。

このような作法は、あまり他に例がないので、実に今風な感じがします。

白銀の御衣箱に、海賦の模様が打ち出してあり、その中には蓬莱山を描くことのそのものは、普段よく見かけるのですが、それらがいかにも現代風であって、細部まで精巧な趣です。

ただし、それを一つ一つ、細かく書き尽くせないのが、実に残念です。

今夜は、表側に朽木形の摺り模様がある几帳という、いつも通りの様子になっています。

女房たちは、濃い紅色の打衣を上に着ています。

今までの、白一色に目が慣れてしまっていたためか、これも新鮮で優美に見えます。

透けた唐衣ですので、下の打衣のきらきらとした輝きが、部屋一面に広がるのですが、それと同時に、女房たち一人一人の容姿も、くっきりと見えているのです。

こまのおもと、という人が、恥ずかしい思いをした夜になります。



藤原道長の長男、頼道(当時は春宮権大夫)主催による御産養。

といっても、頼道は中宮彰子の弟であるので、その若さを生かした、「当時の先端」の趣向を凝らしたようだ、

また、以前の御産養での装束は、白一色。

今回は、濃い色の打衣を着るなどの変化があり、紫式部は、しっかりと記述を忘れない。


さて、最後の一文「こまのおもとといふ人の恥見はべりし夜なり」を、不穏に感じる。

誰かは特定されていないものの、酔客に乱暴な言葉か、あるいは、それ以上の行為をされてしまったのか。

紫式部は、何故、詳しく書かなかったのか。

自分が仕える道長の屋敷の中の事件であること、皇子ご出産という慶事の最たるものがあり、それを祝う儀式や宴会が続いている中、不穏な事実は書きづらかったのか。

ただ、非常に短いけれど、書いていることは事実。

それでも、書かずにはいられないほどの、恥ずかしいことと、推定できる。


宮仕えの、当時の女房たちの辛さを推定してしまう、不穏な一文である。


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