「四条大納言にさし出でむほど、
(原文)
「四条大納言にさし出でむほど、歌をばさるものにて、声づかひ、用意いるべし」
など、ささめきあらそふほどに、こと多くて、夜いたう更けぬればにや、とりわきても指さでまかでたまふ。
禄ども、上達部には、女の装束に御衣、御襁褓や添ひたらむ。
殿上の四位は、袷一襲ね、袴、五位は袿一襲ね、六位は袴一具ぞ見えし。
※四条大納言:藤原公任。故太政大臣頼忠息男。実際は、この時は従二位中納言。
翌寛弘6年(1009)に権大納言になっているので、この部分の執筆は、それ以降になる。道長から特に期待されていた歌人。歌には絶対的な自信を持つ。それ故に、我がままだったとの説がある。また、紫式部と特に親しかったとの説がある。
(舞夢訳)
「四条の大納言に歌を差し出す時には、歌そのものは当然のこと、歌を詠みあげる声の出し方にも、相当神経を使うべきなの」
などと、ひそひそ言い合っていましたが、様々な趣向が実に多くて、夜が更けてしまったこともあって、特にお酒を注いで歌を求められることもなくて、大納言様はお帰りになってしまいました。
この日の引き出物は、上達部には女性の装束に、若宮のおむつを加えたもののようです。
殿上人には、四位には袷が一揃えと袴、五位には袿一揃え、六位には袴一揃えだったようです。




