上に参りたまひて、主上、殿上に出でさせたまひて、
上に参りたまひて、主上、殿上に出でさせたまひて、御遊びありけり。殿、例の酔はせたまへり。わづらはしと思ひて、かくろへゐたるに、
「なぞ、御父の御前の御遊びに召しつるに、さぶらはで急ぎまかでにける。ひがみたり。」
など、むつからせたまふ。
「許さるばかり歌一つつかうまつれ。親の代はりに。初子の日なり。詠め詠め。」
とせめさせたまふ。うち出でむに、いとかたはならむ。
(その後、公卿たち一同は)清涼殿に参上されました。
帝は、殿上の間にお出ましになられ、子の日の管絃の御遊びと、なりました。
道長様は、いつものように、酔いが回っています。
相手をするのも面倒なので、(私は)姿を隠して離れて座っていたのですが、(見つかってしまいまして)
道長様
「何の理由があって、貴方のお父様は、帝御前での御遊びに呼んでおいたのに、それも果たさず帰られたのですか?少々ひねくれておられるのですか?」
などと、絡んで来られました。
「このことが、許されるように、歌を一首、詠みなさい」
「今日は子の日なのですよ、さあ、お詠みなさい、お詠みなさい」
と、お責めになられます。
しかし、(そうは言われても)不用意に歌を詠んだりしたら、どれほどの恥ずかしいことになるだろうか、と考え(相手はしていませんでした)
道長の「親の不始末の詫びとして歌を詠め」との指示ではあるけれど、他の女房や殿上人も、聞き耳を立てている。
紫式部らしく、慎重な態度を貫いている。
その前の話で、右大将(藤原実資)の(道長に対する)硬骨ぶりを書いているので、紫式部も、それに習った可能性もある。




