馬ごとのベストポジション
大所帯になった先行集団が団子のまま一つ目のコーナーを駆け抜けていく。
後方からでも馬体がぶつかり合っているのが確認できるし、擦れ合った蹄鉄からバチバチと飛び散る火の粉を観察できる。
「先行集団は大混戦になっている。あれでは馬が体力を消費してしまいます」
「怖いな。レース前にこのような展開になることを予想できた人がいるのだろうか。いれば会ってみたい。そいつとはいい酒が飲めそうだ」
2秒弱ほど遅れて俺たちもコーナーに進入する。現在、俺とランサーは後方から6番手の位置にいる。俺たちより後ろにいるのは、リファレンスキングとカスパージャック、出遅れてしまった馬2頭。あと、大外枠のピエログリフ。
ピエログリフは、もともと俺の右手にいたはずなのだが、いつの間にか進路を変えて内ラチの傍を走っている。スタートも綺麗でスムーズな加速だった。しかし、気がついたら視界から消えていて、今ではベストポジションにいる。レース前のあれもすべて分かっていたのか。
この馬、そしてこの屋根は相変わらず予想ができない。
しかも、おおよその騎手は、この状況で自分のイメージしてきた展開予想が機能しなくなっているはずだ。それにもかかわらず、ピエログリフの鞍上であるロスコーは涼しい顔をして馬にまたがっている。
なぜだ。なぜそのように振る舞える。これもすべて計算していたというのか。ピエログリフの位置は、本当はランサーがいるはずだったのに。
「これは随分と大変なことになっているね」
余裕ぶった声は、リファレンスキングのロフトの声だ。俺たちのように後ろから競馬をする面々にとってはラッキーな展開である。反対に逃げ馬にしてみると絶望的な状況だ。
元凶になった人物があとで刺されないのか非常に興味がある。もっともロフトはカウントされないのだろうが。つまり、1人だけじゃん。これも勝負とはいえ……
「すげえよ。ランサーが前に行こうとした途端に自分たちも前に行こうと判断できるなんて。俺は決断できなかった。それ以前にスタートで手間取って」
こちらは、カスパージャックにまたがるクライドである。出遅れのおかげで命を救われた人物。加速するのに多少馬を追ったようである。多少、スタミナの消費はあるだろう。それでも、カスパーほどの馬にとってはノーカンか。
あと出遅れた馬が2頭ほどいた。スタート前にゲートの中で焦らされたことが原因なのだろうが。彼らも操縦性が失われていなければ注意だが……その必要は感じられない。あの様子では勝負には絡めない。馬券を買っている人がいたら馬券を捨てていい。もちろんゴミ箱に。
直線に入り俺たちは一列になって競馬を進める。後方集団の先頭である俺とランサーから中団の最後方までは4馬身。
風除けにもなるし詰めようとすれば、できなくはない。だが、ランサーはいいリズムだ。風も強くないし、余計なことはしないのが吉であろう。そもそも古来から、騎手は何もしないことが最善の乗り方と言われている。ここは何もしない。
先頭までは15馬身ほど空いている。これは想定内だ。後ろに付けた以上、あとはどこでスパートを切れるのか見極めるだけだ。余計な事はしなくていい。ただランサーと一体になって、その時を待つのみだ。
展開としては85点。風除け兼、ランサーがかかったときのストッパーがいないのは怖いが、それは望みすぎだ。高望みはいけない。
ここまでは、計画通りなのだから。
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直線に入るとポジション争いが落ち着いた。
「やっと騎手たちの腕が止まりましたね。けれど気は抜けません」
「ここでペースを落とすとポジションを奪われてしまいますから。2番手の馬が、引いたりすればともかく」
「そんなことをすれば、かえって番手のポジション争いが激化して馬が消耗するだけだ。理性的には分かっているはずだがな」
「それはできないよね」
私の右に腰かけるブローニーがボソッと呟いた。先輩たちには聞こえないような小さな声で。
「そうなんだ。ブローニーちゃんも詳しいんだね」
ブローニーの右に座っているシェリーが聞こえないような小さな声で返答する。その奥では、ブレアが目を輝かせている。なんとなく、ブレアがすべてをぶち壊すような気もして仕方がない。
でも、私から声をかけるには距離がある。もしも私がブレアに声をかけようものなら左隣の先輩にすべてを聞かれて、大人の話に巻き込まれるだろう。
先生、先輩たちの話に首を突っ込みたくはないけど、お話をしたいというブレア以外が共有している私たちの思いが無駄になってしまう。
「それでもオト君が最初、前に行こうとしたときは驚いたよね。ねえ、アビゲイルさん」
わたし? 私の意見が聞きたいの? 大人たちで話していたと思っていたのにユリア先生が私に話を振ってきた。どうしよう、ブローニーちゃんたちには話を投げられない。私が防波堤になるしかない。
「そうですね。スタートが良かったからそのまま行こうとしたのでしょうか」
「もちろんそれもありますよね。でも、それだけかな。アビゲイルちゃんは、オト君の作戦については聞いていないのですか? それとも彼は、思い付きであのような選択をできるのですか?」
先輩は、何を言いたいのだろう。作戦を知りたいの? 何かを聞き出そうとしている気がする。邪推かな。
「作戦については、何も聞いてはいません。それに逃げにでることが作戦だとしたらオトは失敗したことになりますよね。内に入り損ねて今現在後ろにいるのですから」
「ですよね。だからこそ彼は……」
なぜか私の回答に満足した様子の先輩は、それ以上は質問をしなかった。でもすべてを理解したかのように微笑んでいる。私よりもオトのことを理解しているのだとしたら、それはイヤだ。言語化はできないけれど、嫌なのだ。
「作戦かどうかなんてのは後で話を聞けば分かるんだ。ここでは想像を語るよりも目の前で繰り広げられるレースを見ている方が面白いさ」
「それって会見ってこと? ボクも質問したい!」
「いいですね。私も混ぜてくださいよ。聞いてみたいですから、内と外では10馬身近く差が生まれるこのコースをどのように攻略しようとしたのか」
「それもそうですね。本当に外から逃げようとしたのであれば、勝算だってあったはずです。計算を知りたいですね。何より、今後彼とはいっぱい語り合えるのでしょうから」
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