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難儀の始まり

 夕方、今日の授業はすべて終了。ここからはフリータイムである。寮に変えるのも自由、遊びに行くのも自由。もちろん、馬の面倒を見に行くのも自由だ。

 ただし、俺はそのどれもにも当てはまらない。寮に帰ってもやることはないし、これから遊びに行くような友達もいない。馬に関しては、俺がお世話しているミリーは療養施設に移動したようだ。俺は甘んじて帰りを待つしかない。

 というわけで行く当てがないのだ。こんな日は、図書館にでも行って読みたいと思っていた雑誌類を読み片付けてしまうに限る。眠たいしお昼寝もして久しぶりの休息だ。


 鞄を拾い上げて図書館がある棟へと向かって歩く。うーん。頭が熱っぽい。 何とか授業は乗り越えたけどその反動で、頭がいつもより回っていない。やっぱり休息による冷却が必要だ。


 建物を出てレンガの敷かれた道を一路図書館に向けて歩む。学園の建物・敷地自体、歴史ある施設だと思うのだが道はきれいに舗装されている。街中の路地裏とは違う。こんなところにも金がかかっている。

 などと考えているのだが、なぜだろう。みんながこっちを見てくる気がする。


「何してるんだこんなところで」

 耳を澄ませば話し声が聞こえてくる。

「邪魔ばかりして恥ずかしくないのか」

 会話というより悪口だ。誰かが喧嘩でもしているのだろうか。そもそも聞き耳を立てるものではないな。聞かなかったことにしよう。


「おい、無視するなや」

 そう言われると肩を掴まれた。

 すぐそこから声が聞こえる。先ほどの声と同じ声の人物だ。なるほど俺に向けられて言われていたのか。どうして俺に? そう思いつつ顔を確認する。すごい、顔もでかいし体が俺より二回りもでかい。

 知らないよこんな人。絶対に人違い。ぱぱっと切り抜けよう。

「何もしゃべらないとはお高くとまっているもんだ。お前何様だ。ええ?」

「何様って。ええと、なんでしょうね。現在自分探し中なんでその質問には答えかねます」

「違う。違う。そんなものには興味はない。そんなことも分からない野郎に邪魔されて人生を台無しにされたやつらがかわいそうだ」

 ええ、話が分からないんだけど。人を殺人犯のように言わないでほしい。

 というよりも結論を最初に話していただけないと正直、時間が無駄である。この先輩は……三回生か。三回生にもなってそんなこともできないとは。情けない。思わず出そうになったあくびを噛み殺す。


「ところで肩に乗っている右手をどかしてもらえません。痛いんですけど」

「な、手だ? はーん。それが人にものを頼むときの態度か? 頭も下げられないのか」

 話が飛躍した! もしかして心の中を読まれたのか? 怖いんだけど。

「すみません。手をどかしていただけませんか。お願いします」

「なんだよそれ。どうしようかなあ。どかしてもいいんだけど。分かるだろ」

「めんどくさい人だな。話もくどいし、こうはなりたくない(よろしくおねがいします。急いでいるんです)」

「あっん!? 今なんつった??」


 えっ、今? ええと今は、「めんどくさい人だな。話もくどいし、こうはなりたくない」。あっ、(よろしくおねがいします。急いでいるんです)というはずだったのに内心を話してしまった。失敗。言葉と内心が逆になってしまった。

「おい。なめてんじゃねえぞ」

「なめてない。なめてないです。」

 顔の前ですごまれるとなかなかの迫力がある。というか唾がかかっている。ポケットに手を突っ込みハンカチを取り出す。

「馬鹿にすんなよ!!」

 その掛け声とともに左のフックパンチが顔に向かって飛んできた。

 嘘でしょ。考える間もなく反射的に右の肘を突き出してパンチを受け止める。


「ぐぁあ」

 男のパンチは上腕骨の先にヒットした。痛かったのだろう。男は右手を離して左手を抑えている。俺も右肘の先にあたったため、腕が痺れている。やめやめ。早く逃げ出そう。

「お先失礼します」

 右手を軽く振って、感覚を確かめながらその場を立ち去る。

 3歩ほど進んだところで背中から気配を感じる。瞬間的に振り返るとやはり目の前まで拳が迫っているではないか。


「くたばれ!!」

 やはり、男がこちらに走りこんでくるではないか。しかも大きく右腕をテークバックしている。体格差もある。あんなのに当たればひとたまりもない。まじでくたばる。 この男、容赦がない。

 体を翻して、すれすれのところでパンチをやり過ごす。間一髪。近いな、コンビネーションは回避できない。ならばこちらから仕掛けるしかない。

 向こうの体が通り過ぎる直前に相手の左足の位置に合わせて右足を軽く前に踏み込足払いをする。

「うわあ」

 俺の右足に引っかかった男は目の前ですてんと転んだ。見事な転びっぷりだ。予想以上のきれいな回転。

「あのう。大丈夫ですか?」

 思わず、声をかけてしまった。ここは走って逃げるべきである。

「ふぁけるな!!」

 なぞの言葉と権幕をまとった男は素早く立ち上がって、こちらに向かって突進を繰り出してきた。相変わらず動きが速いんだよ。

 ここはあえて、かわさない。スピード・パワーはあちらが上。逃げたところでいつか捕まる。逃げたところで徒労に終わるだけだ。それならば一瞬にかける。

 タックルがヒットする瞬間に軽く後方にジャンプする。 そのまま相手の突進がヒット。後方に投げ出される。

 受け止めなかったおかげで威力は減少できたが、相手に腰を掴まれた。このままじゃ相手を上にしたまま地面に叩きつけられる。抑え込まれれば逃げられない。その後のことは考えたくない。

 どうする。思考回路を高速回転させ、これまでの経験から対処方法を考える。


「それしかない」

 ここはあえて受け身はとならない。とはいっても体を回転させて相手を地面の側にして自分が上にくるような体制は作り出せない。俺にはそれだけのパワーがないからだ。

 それゆえにこちらもダメージ覚悟のカウンターしかない。

 体を大きく反り返らせる。

 地面に叩きつけられる瞬間に右膝を顎に向けて振り上げ、組んだ両手を相手の脳天に振り下ろす。


「イタタタ。でも生きてるー」

 かなりの衝撃が全身を駆け巡った。俺の体重プラス男の体重で押し付けられたのだ。背中が悲鳴を上げている。それで男は?

「……」

 男は声すら上げずに地面に突っ伏している。気を失っているらしい。

 勝負ありだ。大きくため息をついて肩の力を抜く。よくやったオトくん。

 周囲を見渡す。いつの間に人だかりができていたようだ。ここは放置しても大丈夫だろう。ということで早くこの場から立ち去ろう。

「あの、ご愁傷様です。もう関わらないでください」

 一言、心の底からお願いしてその場を後にした。この時の俺にしてみれば、絡まれたことは大したことではなくて、図書館で用事を済ませることの方が数百倍重大なことに思えていたのだ。正直、今でも思っている。

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