名馬に挟まれて一呼吸
豪華なメンバーや華やかな経歴の馬たちが紹介されていく。というよりアッパー階級の学生は漏れなく名馬に乗っている。これがお金の力か。
しかし、戦績ならばスプリングランサーの敵ではない。ランサーにとって怖いのは、距離延長に伴う適性の具合と老化に伴う体力の低下だ。
ふと、ランサーの脚が止まる。自分の番が近づき、コースがはっきりと見えたからだろうか。物見をしている。今入場しているのが11番の馬。15番であるランサーはもう少し先だ。
「残りは7頭です。続きますのは、大本命2000メートルのスーパーG2ノートル賞ほか重賞3勝、14番カスパージャック。鞍上は名門シンクレア家の長男クライド・シンクレアです」
さて、ここで問題が起きた。自分の番になっても出ていこうとしない。どころか、そもそも覇気が感じられない。まるで見学者のようにじっとしている。違うよ。君は主人公だ。
もしかしてパレードリング(パドック)で集中力を高めるタイプの馬なのか。だとしたら少しやばいかも。パドック終わっちゃってるよ。
歩くように促してみるが、進む気配がない。代わりに16番目の馬が先に本馬場に入場していく。
「続いては変更のあった15番のはずですが、先に16番リファレンスキングが姿を現しました。父にダンシングキング、母にリファンレスボアという名馬を両親に持ち。当馬も現役時代は中距離クラシックディスタンスで活躍していました……」
活躍馬だね。すごい名馬だよ。明らかに言葉が熱を帯びているもんね。でもランサーの方がすごいんだ。走りさえ、いや歩きさえすれば。
「だからさ。歩こうよ」
「おかしい。オトって15番のはずでしょ。どうして出てこないの」
ミラは、鼻息を荒くして本馬場の入り口を睨みつけている。オトが話していた通りかなり気にしているみたいだ。
「心配いりません。のんびり屋さんで、そういった癖を出す馬だというだけです」
少し離れたところから、そう答えたのはユリア先生である。いつの間にいたのだろう。それ以前にミリーのことは知っているのだろうか。知らないとしたら無責任だと思う。
「先生、実はミリーが走れなくなっているんです」
「えっ? じゃあ、オトはどうやってレースに出るの? もしかして走るんじゃないよね」
「聞いていますよ。安心してください。ベルナールの許可の下で代わりの馬を決めていますから心配いりません」
その言葉を聞いてミラが唇を嚙み締めて俯いた。そういえば、ミラはどこまで知っているのだろう。ブレアは知らなかったようだが、オトが代走を使うという噂は四方から聞こえてくるから、鋭いミラはまったく気が付いていないわけではないのだろうけど。
事態を把握していないブレアが口をはさむ。これが自然な反応である。
「どうするかですか。それは直ぐに分かりますよ。でも、きっと。大騒ぎになるでしょうけど。なんせ私たちも開いた口が塞がらなくなりましたから。ね?」
先生は私に向けてウィンクをする。この人、どこまで知っているのだろう。シャーロット先輩とも仲が良いみたいだし、距離を置いた方がいい人なのかな。
最後の一頭。21番ゼッケンの大外枠の馬を見送って、ランサーの脚が動き始めた。愉快でもなければ入れ込む様子もない。どちらかというと退屈そうなくらいだ。感情が読み取ることができない。
ほかの馬を先に行かせるということは、ボス馬ではあり得ないことだ。年齢的にはランサーはボスをしていてもいいはずだし。普通、周りの馬も気を遣うはずだ。
俺だって、人生をかけてこのレースに臨む。その割に緊張感もなければ、張り合いも感じられていない。いや、これに関しては俺の性格によるところも大きいのだが。
実績の有無という違いはあっても案外お似合いなのかもしれない。そんな風に考えてもみたのだが、その考え方は誤りであった。
本馬場に入場するその瞬間、ランサーの一完歩が大きくなったように感じられる。それと同時に観客席の方から熱を帯びたコメントが聞こえてきたのだった。
「ダークホースが最後に姿を現しました。実績は圧倒的ナンバー1。G1競争6勝、マイル戦では、無敗を誇った名馬が満を持しての登場です。その歩みは余裕の表れか。スプリングランサー、騎手はオト・ストックウェルです」
実況で呼ばれた自分の声に反応するかのように、わずかに立ち上がったのち。ゆっくりと、しかし確かな足取りで返し馬を始めた。促すこともなく自分の判断で走り始めたのである。
観客席からは、怒号のような大歓声。街の方まで聞こえているのではないだろうか。間違いなく本日一番の歓声である。これは予想外だ。
ライバルの馬たちも何事かと脚が止まりスタンドを眺めている。それと対照的に馬に跨る騎手たちは、ランサーの姿に釘付けになっている。何億zもの莫大な賞金を獲得してきた馬だ。草競馬に出てくるような馬ではない。
間違いない。この競馬場を支配しているのは、スプリングランサーである。
返し馬を終え、輪乗りを始めても観客席は騒がしいままである。
それどころか、厩務員からターフビジョンの映像を撮影するスタッフから、誰も彼もがランサーに視線を注いでいる。
ランサーは大丈夫だが、俺の落ち着きがなくなって輪乗りから抜け出す。
鐙の高さを調整したいのだが、思うように腕に力が入らない。俺の方が輪乗りで入れ込んでしまったかもしれない。
ヤバい。こんな感覚は久しぶりだ。視界もどこかセピア調だし、芝の香りもあまり感じない。ランサーの鬣をわしゃわしゃして気を紛らわせる。この姿もターフビジョンでもすっぱ抜かれているに違いない。
ゲートの前に案内されるが、肝心のうちのスタッフの姿がない。ランサーを信頼しきっているということだ。ランサーは翌ても俺がダメだよ。
奇数番号の俺たちが先に枠入りを済ませる。次いで偶数番の馬たちが入れられていく。スタッフがポンポンと手際よく完了させる。
両サイドも埋まった。あと少し。
「なあ、あんたは俺たちを見ているのか」
ふと、左隣の馬にまたがる騎手から声をかけられた。14番はカスパージャック。有力馬だ。
「見ていますよ。強いですよね」
「なんだよそれ。レース前の感想がそれですか」
今度は右の騎手から声をかけられた。リファレンスキングの乗り役。こちらも強敵だ。あれ、この両サイドって。
「水を差す馬がいるとは思ったが、まさかスプリングランサーに化けるとは」
「驚きだよ。まさか滅びかけているヘイパリンオン系しかもランサーの後継馬と勝負できるとはね」
ヘイパリオン系。これはヘイパリオンという100年近く前に活躍した大名馬を始祖とする種牡馬の血統の1つなのだが、俺は配合に関しては門外漢でありよく知らない。
「へー。そうなんだ」
「俺も初めて知った。あまり見ない血統だとは思ったけど」
「君たち。キング系もジャック系もランサーには痛い目を見せられているいるんだよ。なんで知らないのさ」
情けないような、怒っているような不思議な反応をしている。誰だっけ。名前聞いてなかったや。
「もう少しでスタートだぞ」
ゲート係であろう。背後から声が聞こえて背筋がシャンとした。あれ、いつの間にか腕に感じていた違和感が収まっている。自然な感じになっている。これはいい状態だ。
「ランサーはすごい馬ですけど、年齢も年齢です。どうぞお手柔らかに」
「馬の年齢は関係ない。やるからには全力だ」
「ええ。因縁を晴らさせてもらいますよ」
3人がジッと前を見据える。その瞬間、ゲートが開いた。




