出走危機
結論から言えば、俺はレースの出走資格を失ったわけだ。ミリーの脚は、熱を持っており無理をさせれば悪化する恐れがある。そんな状態では当然走らせることはできない。
少し前までミリーのいた馬房を確認する。
俺が昨日確認したときは、おかしな様子はなかった。ここ数日は無理もさせていない。疲労が溜まっていたのだろう。もしかすると俺がプレッシャーをかけていたのかもしれない。
しかし俺の責任であることには間違いはない。重大なケガではなかったのが唯一の救いだ。
「落ち込んでいますか。気にしなくていいですよ」
ふとすれば、そこにはユリアがいる。近づいていることもいることも全く気がついていない。慣れた土地でなければ危なかった。
「君の責任じゃありません」
「これじゃあ馬乗り失格ですよ」
「そんなことないです。ミリーがケガをしたのは私のせいですから」
なぜか分からないがミリーのケガを自分のせいだと言っている。彼女に乗っていたのは俺だ。俺が異変に気がつくことができていれば、万事問題ないはずだった。
「彼女は最初から走れる状態ではなかったんです」
「というと?」
「覚えていますか。君が初めて先生と私に出会った日のこと」
覚えているとも。彼女が言っている日と言うのは、初回の馬術の授業の時だ。フィリアに俺が初めてロバに乗った日でもある。
フィリアに跨ってウルスノアという野生のモンスターと戦った日でもある。
ウルスは、別な個体であるとはいえ、地元で今まで何度も相手をしてきた生き物だ。しかし、アイツはどの個体よりも大きく強かった。忘れられるはずがない。
「すみません。危険な目に遭ったのですから忘れられるはずがないですよね。あの時も私に力があれば……」
フィリアに申し訳なく思っているのは俺だけではない。ユリアも同様に負い目を感じているのだ。
だが、ユリアは俺よりも強かった。悲しそうな感情、言葉をそれ以上押しこらえた。
「私が言いたいことはそんな話じゃありません。残念ながらミリーに乗ってのレースの出走はかないません。でもオト君が望むのなら選択肢はあります。どうですか? 今でも出たいと思いますか?」
馬たちが放牧され、静かな馬房に彼女の言葉が響いた。ユリアは、真っ直ぐ目を見つめたまま動かない。
彼女の気持ちは分かる。俺だって出てみたいという気持ちがないわけではない。それでも……
「俺には資格がないです。今まで何頭もの馬たちを見てきたのに異変に気がつかなった。判断力、観察力が落ちていると思います。今のままではレースにでも勝てないですし、事故を引き起こしかねないですから」
「本当にいいのですか? 今日のレースには夢があってエントリーしたはずですよね」
痛いとこ突くな。ユリアの言う通りでしかない。でも気持ちつっかえて動かないのだ。
「夢を見ていたということにします。とても叶いそうにない夢を」
彼女は何も言わない。目を見ても何を考えているのか想像できない。ただ吸い込まれそうな、馬のような綺麗な目をした
そもそもの話、俺にはこの勝負に勝つ想像できていなかった。資格もなければ資格もない。なにも持ち合わせていなかったのだ。
「なんか臭いですね。今のなしで」
「分かりました。そうですね」
なぜか楽しそうに笑みをこぼした。どうしちゃったんだろう。
「急にどうしました?」
「競馬は好きですか」
「ええ。心を動かされますよね」
「なら行きませんか? レースを見に」
ユリアに連れられたまま競馬場へと誘導された。別に逃げるわけではないのだが、ゆっくりと歩く俺から離れないようにすぐ横を離れない。
観客席に近づくにつれて、どんどん熱が大きくなっている。1000人以上いるんじゃないか。特にコースから近い観客席の下の方は人口密度が押し合いになっている。
「上の方で見ますよ」
それはありがたい。下にいると熱に当てられて嫌になりそうだ。
「ここら辺に座りますか」
そう言われて示されたのは一番上の席だ。周りにはほとんど学生がいない。ここにいるのは教員や厩舎関係者たち大人である。
ハリエットもヴォイテクもいる。落ち着いた雰囲気で学生たちとは違う。水と油といった感じ。交わらないだろう。
「第一レースの出走は30分後ですね。盛り上がりますよ特に第一レースは」
着々と準備が進んでいく。時間が進むのに比例してどんどん下の方はどんどん騒がしくなる。一瞬、友達と一緒にいるアビゲイルがこちらを見た気がするが気のせいだろう。
「本馬場入場です」
横に座るユリアが姿勢を正しながら呟いた。
彼女の言葉通り楽隊の演奏が始まり、本馬場に出走馬たちが姿を現した。
大歓声が巻き起こり足元が揺れている。異常である。いつもの人が拡声器を使って出走馬と騎手の名前と情報をアナウンスしているだが、それに負けず劣らずの騒がしさである。
「すごいですね。こんなになりますか」
「もしかして、レース場で見学するのは初めてですか?」
思わず出た俺の言葉を拾い上げてユリアは、はっきりとした声で喋る。耳元で話しているわけだが、それでも意識しなければ十分に聞き取れなかっただろう。
「はい。近くには専用のコースがなかったもので」
聞こえているのか不明なものの満足げに頷いている。




