嵐の前の静かさ
「本当にそう思っているなら悩まないことです。悩んで失敗したときのことを考えても苦しいだけですから」
「悩まないか……それできたら苦労しないですよね」
「無理にとは言いません。勝ち筋が分かっているのなら、あとはひたすらに再現するだけじゃないです」
「机上の空論じゃない? それで失敗したら、責任とれるの?」
だんだん落ち着いてきたな。いい感じ。もう少しで落とせそう。“落とす”って敵に塩を送るだけな気もするけど、一度応援すると決めたのだ。しっかり、支えないと。
「以前、シャーロットも心配なことがあるんだってお話ししてくれましたよ」
「先輩がですか? そうなんだ何でもできて、常に自信にあふれている先輩でも悩むようなことが……」
「でも先輩、そんな素振り見せないじゃないですか。そして失敗していないんです」
「え……確かに、でもそれって」
大丈夫だよな、周囲にシャーロットいないよね。……大丈夫だ。ふっ、と息を吸い込む。間を開けることで、俺への注意を促す。よし! 次で落とす。
「成功している人だって悩むことはあるんです。でも、現に成功しています。シャーロットもそう、悩んだからって成功に近づくわけではないことをよく知っているんですよ。代わりに彼女は、成功すると分かっている道を歩み続ける限り、失敗することはないと分かっているんです。だから常に自信を持て、それが彼女をカッコよく見せているんです」
ミラは返事をせずに俯いてしまった。どうやら俺の言葉を整理しているようである。詭弁だからあまり考えられても困るんだけど。やっぱり無理だったかな。
「分かったわ! 私悩まない。そうよ、勝ち方は分かっているの。先輩みたいに自信をもってそれを再現する。それでいいのね」
「その通り! 君に足りないのは自信だ。これ以上、考えても無駄だから今日は早く寮に帰りましょう。あ待っ――」
「分かった。そうする。ありがとね、オト。おかげでスッキリしたわ! 明日は最高の走りを見せるから!!」
元気に右手を振り上げて走って帰って行く。大丈夫かな、寮に帰ってもやることがなくて余計なことを考えたりしないよね。
「凄いね、今の。あんな元気な姿初めて見た」
「あれ、ブレア? ブレアは何してたの?」
「トイレだよ。もう、どこも使用中で講義棟まで行ってきたよ」
「大変だね。ところでブレアは、見学してみて何か思わなかった? 馬術部に入りたいとか?」
俺の質問に対して、ブレアは腕を組んで悩み始めた。そんな難しい質問してないよ。
「僕はまず、馬に乗れるようになりたいかな。それと、今日ユリアの横にいた学生の」
「女の子でしょ。シャーロットだよ。うちの3年生」
「シャーロット? 僕はちょっと苦手なかな」
「苦手? それまたどうして」
「根拠はないよ。根拠はないけど。でもね、オトも気を付けた方がいいと思う」
朝霧が街全体を包み込み、太陽も出ているのに少しひんやりとする。運命の日というやつだろうか、頭がいやに冴えている。
アビゲイルのベッドはきれいに整えられている。時刻は朝の6時。どこからともなく生活音が聞こえてくる。
顔を洗って寝グセのついた髪を梳かし、着替えをすませたら1階のダイニングへと向かう。
「あら、おはよう。今日は自分で降りてきたのね」
「おはよう。たまにはそんな日もありますよ」
寮母のビルギッドは、フライパンでトーストを焼きながら鼻歌を歌っている。キッチンで朝食を作るビルギッドの横を通り抜ける。
そこには、テーブルを囲って寮生が3人いた。その中にはアビゲイルもいるが、あとの先輩たちは新聞を読んでいる。
「あれ、早いねオト。まだ夢の中だと思ってたよ」
「それが眼が冴えちゃって、楽しい夢の途中だったんだけど」
アビゲイルの横にある椅子を引いて腰を掛ける。定位置があるわけではないが俺は常にアビゲイルの横である。
アビゲイルの目の前の席に座っているルシールが新聞から目を離す。ルシールは学園に通う4年生で、彼女が読んでいるのは高級紙の新聞である『デイリー』だ。
デイリーは世界初の日刊新聞で、保守貴族をはじめとして上流階級に購読者が多い。値段も高い代わりに都市では配達もしてくれる。マスコミ志望の学生は第一志望をデイリーを発刊する『デイリー・カンパニー』にするという。
誤報が少ないため、俺も情報を集めるときはデイリーに頼る。
「面白記事でもありましたか?」
「特にないですね。強いてあげるなら『セント・ローレン・学園で毎年恒例の草競馬開催』くらいかな」
「そんなことが記事になるのですか」
「なりますよ。今日も記者が来て勝ち上がると名前が紙面に載りますね」
「すごいねオト。頑張らないと」
「それに今日頑張れば、今夜続きを見れるんじゃない」
ルシールがこちらにウィンクをしつつ愉快なことを言う。どうやら彼女も俺がレースに参加することを知っているらしい。しかも新聞に名前が載ることは初めて知った。改めてこの戦いの注目度を再認識する。
「そんなことを考えるのは勝ってからにしなさいよ。勝てなきゃ悪夢なんだから」
それだけ言うとアイネは再び新聞に目を落とした。彼女が読んでいるのは地方紙である『ザ・レノン』だ。
アイネの言葉は厳しいが、彼女なりの警告なのだろう。
「わかってます。ありがとう、アイネ」
俺の言葉にアイネは一瞬、目を上げたが再び新聞に目を戻した。
しかし、先輩は我慢できなくなったのかゴトっと音立てて椅子から立ち上がった。
「ああ、もう。アニーのこと起こしてくる!」
まるでいつも通りの朝である。




