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勝負の前に

 ミリーを馬房の中に入れ扉を閉める。若い彼女は、物足りなさそうに耳を動かす。今日は散歩をして終わったのだから当然だ。レースの当週は部屋で大人しくさせなければならない。しっかり休ませたいし、ケガのリスクのある夜間放牧はもっての外だ。

「じゃあまた明日」

 多分聞いていないであろうミラに別れを告げて、厩舎の外に出る。毎日のように足を踏み入れているため、この厩舎に馴染んできた気がする。


「もうお帰りですか

 背後から呼び止められた。声の主はこの厩舎のスタッフであるユリアだ。体をゆっくり反転させる。

「もう、というか太陽が沈みかかっていますしけっこう遅い時間ですよ。学生の姿もありませんし」

 周囲を見渡しても学生らしい姿はない。たまに厩務員らしい人たちが馬を夜間放牧に出しに行っているぐらいだ。


「今日はどうでした?」

 ユリアは飼い葉の入ったバケツを地面に置いて、近くの柵に腰掛ける。俺も習って、隣の柵に座る。


「オト君の場合、毎日来ているからほとんど身内みたいな感じです」

「確かに毎日、お世話に来ているのは俺とブレアぐらいな気もしますよ」

 ブレアは俺と同じクラスで唯一と言っていいくらいの友達である。当初は馬にも乗ったことがないレベルであったが、数週間の間にメキメキと腕を上達させている。


「ブレアさんは先生がいいですからね。ランサーもかなり体が絞られてきているんですよ、現役とは言いませんけど、結構走れそうですよ。全部そう……参りますよ」

「そんなことないですよ。俺もユリア先生に馬乗りを教わっていたら今頃、Aクラスにいたのかな」

「私じゃないですよ、先生は」

「自信持ってください。俺は助けて貰っていますから。でも、ほかにブレアの指導をしている人といえば、Cグループの先生たちであるジョーンズ先生たちですか?」

 ユリアは俺の言葉を聞いて苦笑いらしい表情して首をかしげる。どうやら芯を食った質問ではないらしい。しかし、誰だろう? ほかに乗馬を教えられる人といえば……


「どうしたんだ君たち?」

 今度は頭の上から声がする。声のほうを向くとこの厩舎の厩舎長であるベルナールの姿があった。厩舎の二階の窓からこちらに向けて話しかけたらしい。

「ちょっとお話をしていました」

「話か、呑気で結構」

 そう言い捨てるなり、窓の奥に姿を消した。

「もしかしてお仕事残ってました?」

「いいえ。今日の分は片付いているはずですよ。あとはフランツ君とデイジーが放牧して帰ってくるのを待っているぐらいです」


 ユリアが名前を挙げた二人の姿を探しながら、牧草地を見渡す。牧草地は学園の所有物であり、民間の建物が建築されないように保護されている。学園の正面と側面は街に面しているのに対して、背面である北側は際限もなく自然環境が広がっているのである。

 あまりに広すぎるためどこまでが学園の敷地で、どこからが公有地になっているのか俺には分からない。言えているのは、学園の背面を開拓させていないためもともと街の中心にあったはずの学園が、街の発展とともに相対的に端の方へ追いやられているということだ。

 ある意味で危険である。俺のように田舎出身で自然の恐怖を知っている身からすれば、手つかずの自然がこれだけ残されているというのは安心できないところがある。


「意識が戻ってきましたね。あれ? どうしました? 顔色が悪そうですよ」

「あっ、いえ。考え事をしていただけです。この自然は誰が管理しているのか気になっただけです」

「一応、ゲームキーパー名義のフォレストキーパーさんがいますよ。それと学生団体のサークルがありますね。広大な土地ですから管理も一苦労ですよ。長期休暇に入ると学生のアルバイト雇うこともあるくらいですからね」


 学生のアルバイト? この街で学生と言われれば俺たち以外にいない。しかし、学園側は学生たちに自分たちの土地の管理を手伝わせているのか? お金には困っていないと思うんだけど。

「学生のアルバイトって俺たちのことですか?」

「ええ。結構給料がいいんですよ」

 そう言い切るなり、ユリアは急に体の向きを変えてこちらと向き合う。


「今日のミリーはどうでしたか?」

「悪くないと思います。しっかりダグを踏ませてきましたよ」

「いいですね」

「だといいんですけどね」

「心配ですか?」

「それは……もちろんです。緊張とは違うんですけど、勝ち負け関係なく自分が場違いな気がして」


 弱気な俺の発言を聞いたユリアは大したことじゃないという様子で笑って空を見上げる。

「そんなことですか。いえ、大切ですよね。私もそうでしたから」

「私も?」

「そんなことより、レースで使う競馬場のことはどの程度知っていますか?」

「レースコースに関しては、掲示されていたポスターで確認してます。1900メートルのレースで、左周りのコーナーを3回曲がるんですよね」

「それだけですか? もっと他のことについては知りません?」

「聞いていないです」

 ミラは口を開けてポカンとしている。俺の発言が意外だったらしい。確かに、知っている情報としては少ない気もする。だが、他の人たちもそんな感じじゃないかな。


「草競馬じゃないんですから、もっとしっかりしてください。馬術部のメンバーになるのは非常に名誉なこととされているんですから」

「すみません。勝つどころか、勝負になるのかも自信がなくて」


「私は4割方、入着できると考えています」

「えっ、どうしてそう思えるんですか?」

 思いがけない発言に体が前のめりになった。バランスを崩して柵の上から落ちそうになるのをユリアに支えて貰ってなんとか堪えた。

「詳しく説明しますね。オト君は南の方の出身でしたよね。南部の競馬ってどうなっていますか?」

 確かに俺は大陸に近い南部の田舎の出身である。それこそ、馬に頼らなければ生活が面倒なところである。競馬に関しては芝の競馬じゃなくて、砂の競馬の方が主体である。なお、競馬協会はこの国の競馬場を北部と中部と南部の3地域に分けて管轄しており、地域ごとに文化が異なるとされている。

「競馬はダートが主流ですよ。それがどうしました?」

「ダートはそうですけど、南部の芝とここら辺の芝って同じですかね?」

「芝ですか? あんまり意識したことがなくて」


「南部とここの芝、種類が違うんですよ。強いて言うなら3地域とも違いますね」

「違うって、どういう感じで」

「ここ中部の芝は、クッション芝と呼ばれていてパワーの少ない馬でも速く走ることができるんです。軽い馬が有利とも言えます」

「それはつまり……」

「体の小さなミリーに有利なんです。しかも、マークされないでしょうから君の技術次第で出し抜けますよ」

 思いがけない事実を聞き、驚きとともに喜びに近い感情が沸き起こる。拳に力が入っているの分かる。今週末の予選で5着、来週の本選で3着で良いのだ。周りはミリーよりも体が大きく、パワーのある馬ばかりで正直着を拾うのもギリギリだと考えていた。

「本当ですか? 根拠は分かりましたけど、本気で思っています」

「65分の3、私はいけると踏んでいます」

 この顔は本気でそう考えているようだ。一筋の光どころじゃない。がっつり希望がありそうである。すべては俺の技術次第ではあるが。


「いいですか、予選では4着か5着です。無駄な力を使いたくないので前の方で競馬をしてくださいそうすれ――」

「いつまでいるんだい?」

 再び頭の上から声がかかる。当然、ベルナールである。

「オト君もう帰りましょうか」

「太陽も沈みましたし、そうします。あまりに寮に帰るのが遅いと、夜ご飯出してくれないんですよ」

「そうしてください。それと体には気を付けて夜は早く寝て下さい」

 ユリアは手を振りながらこちらに会釈した。俺も同じように手を振りながら会釈したところ偶然にも「おやすみなさい」とユリアと俺の言葉がハモった。


 収穫と言うべきか。面白いことになりそうである。

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