本番前練習
ゲート内に入れ、駐立させる。ミリーは慣れた様子で肢を地面につけている。他の馬より体が小さいためゲート内は広く感じているはずだ。いい調子だ。スターターと目が合い、ゲートが開かれる。
「よし。この感じで」
スタート成功。ミリーの肩を叩いて褒める。及第点じゃないだろうか。
「ミリーも様になってきましたね」
「ですよね。これなら勝負になりそうですよ」
状態を確認するユリアの手には、人参スティックが握られている。ミリーは首をグイっと伸ばして人参をかじり取る。「なんでも食べるんですよ」とユリアが呟く。
体は小さいが、精神力では一線級の競走馬にも負けていないだろう。温厚なようで内に秘めているものはかなりのものがある。
「勝負になるかは、本番次第じゃないでしょう。見知らぬ馬が横にいて期待通りのパフォーマンスを発揮できるか? 今みたいにはいかないでしょう」
「確かに。でもミリーは図太そうですし。メンタル面の強さは、今まで乗ってきた馬の中でもナンバーワンですよ」
なお知っているのは、重賞レース未出走の元条件馬と実家にいた中間種の農耕馬だけである。それでも、気まぐれな競走馬と上り坂で脚が止まる農耕馬と比較すれば、前進気勢がなくならないだけでもやり安い。
「マウローニは、頭の良い仔が多い反面、気が強いのも多いですから競り合いになれば強いかもしれないですね」
「そうですよね。勝ち目があるとすれば……」
ポニーの気が強いのは本当である。というか、馬という生き物は、体が小さくなれば小さくなるほど気が強くなる。ミリーよりも体の小さなポニーと軍馬のデストリエが喧嘩していたぐらいだ。体の小さな馬がデストリエに攻撃されたら一溜まりもないだろう。
あの軍馬はかなり性格が荒かった。しかも、領主の館にいた馬だ。一般人では、一生働いても手が届かないくらいの価格だろう。間違って怪我をしたら大変なことになるから、利からの弱いポニーと一緒のはずなんだけど。まあ、怪我しなければいいのだ。
「考えごとですか? レースは、不測の事態が起きますから、備えすぎても無駄ではありませんけど」
「そうですね。実際にやらない限りは、勝敗は分かりませんから」
さて、選抜レースの出走表は、明日の放課後に発表される。明後日の馬術の授業は、かなり荒れそうである。ノーマークな俺は気楽だけど。
少し早めに練習場につく。今日は、本番前の最後の授業だ。ゲート係の人たちが談笑しているほか、学生たちは誰もいない。見慣れたゲートが太陽の光を反射してギラギラしている。ミリーの手綱を握る右手の人差し指が普段よりも太く感じる。
話によると、一部の学生たちはこの授業を休んで、ダートコースに行くそうである。ゲート練習なんかよりも、レース場などでしっかり馬を調整したいだろう。もちろん、レースで対決する相手と仲良く授業を受けたくないという気持ちもあるのだろう。
なお、自主練習で使えるのは、ダートコースに限定されている。安全のため、芝コースの使用は許可制なのだが十中八九、整備の都合だ。実際、芝コースや坂路の使用がOKならば、授業を休む人はもっと多いだろう。
ちらほらと、馬を連れた人たちが表れ始めた。やはり、雰囲気が重い。先についている俺のことは、眼中になさそうだ。どの馬が強いのかは、戦歴から予測できる。そのような馬へと視線が注がれている。
アビゲイルはどこだろうか。アビゲイルは、週末のレースに参加しないが、授業でペア組んでいるミラが参加するとのことである。しかも、俺が一度乗ったことのあるアスペンドリームでだ。
おっ、いたぞ。ミラが跨るアスペンドリームをアビゲイルが曳いている。当然のようにミラは神妙な面持ちをしている。
選抜レースに登録しているのは、65人。うちの学年が125人であることを踏まえるとおよそ半分だ。そこから、選ばれるのはわずかに3人。馴れ合いや結託をできるような人数ではない。
辺り一面敵だらけと言っても過言ではない。
神経を尖らせているのはミラだけに限られない。俺の周囲の人たち、そして人に当てられて、馬も緊張している。もはや火薬庫だ。周囲を刺激しないようゆっくりと二人と一頭の方を目指す。
「いい天気だね、二人とも」
「あっ、オト早いね」
「確かにいつもギリギリのイメージがあるかしら」
あるかしら? 普段はもう少し、ツンツンしている気がしたけど。
「今日はミリーがすぐに動けたからね。そこの放牧地にいたおかげで、厩舎から連れてくるよりもスムーズにいけたかな」
もと来た方向を鞭で指し示す。アビゲイルはなるほど、頷いている。丁寧なことに馬装まで済ませてあった。馬装をしてたのは多分、ユリアだ。しかし、口には出さない。一人の学生に肩入れしていることがバレたらユリアが非難の対象になりかねないからだ。
「どう思う? ドリーム大丈夫そう?」
「ドリームは大丈夫だよ。すごいね、トモの筋肉に張りがあるよ。引退した馬には思えないよ」
「坂路で鍛えたらね。本当はオトにも手伝って貰おうと話していたんだけど」
「そうそう。馬の扱いが上手って、アビーも言ってたから」
「うちのミリー……このポニーもギリギリで。まさかそんな話になっているとは思わなかったよ」
会話なのかで様子を確認するが、うん、大丈夫ではない。ミラの様子がおかしい。いつものミラは、そんなことは言わない。もっと強めの言い回しを好む子である。しかし、俺に対してそのような調子でいいのだろうか? だって俺は…………
アビゲイルの仲良し4人組のあとの2人は、遠くでお喋りに熱中している。参加しないのだから、当然の反応か。いや、この雰囲気に飲み込まれないためにわざとそのようなことをしているのかもしれない。
もいかして気が付いてないだけで俺も緊張している?
そのような悩みを考える前に担当の先生が現れた。騒がしかった学生たちが黙り込む。その異様さを受け、馬たちが耳を立てて警戒する。それでも、うちのミリーは余裕そうである。この図太さは強みである。




