一人きりの昼刻
「なかなか腕を上げているということでいいんだね」
年老いた男は険しい顔をしたまま呟く。しかし、わずかに口角が上がった。
「ええ、予想以上ですね。私の教えられることがどんどん減っています」
対する女は、笑顔である。しかし、その言葉には哀愁が漂っている。
「それじゃあ、見込みはあると」
「…………まだですかね」
男の問いかけに対してすぐには答えない。思うことはあるのだが、それを口に出すことはしない。その言葉が、男にとって負担を強いることになることを理解しているからだ。
口を閉ざした女に変わり男が口を開く。
「そうか。したら俺は何をすべきだと思う?」
「彼には知ってもらいたいことがたくさんありますよ。でも、貴方にできることはたくさんあります。いえ、貴方にしかできないことが多すぎて」
「そうか…………」
その反応から男はすべてを理解することができた。今回の件についてはもちろん、それ以上のことについても。ただ、男はそれ以上口を開くことはなかった。一生、その罪を背負うと決めた以上、裏切るようなマネはできないのだ。
※※※※※※※※
良い天気だ。雨なんて知らない子だぜ、と言いたげな空は昼時の校舎を照り付けている。まったく、いい迷惑だ。窓側の席にある俺の指定座席には、花の香りが漂ってくる。睡眠導入剤としては文句なしだが、集中を妨げることは紛れもない事実だ。
アビゲイルたちは昼食に出かけたらしく、教室内に安眠を邪魔する者はいない。逆転の発想で、今からお昼寝をしたいところなのだが、来客が来るようである。読んでもいない来客が。
教室の外に上級生の影がある。いつもの5人組。どうしたわけか、俺のことをいびってくるグループだ。先週、こちらが反撃してから来客頻度が格段に減っていただが、今日は登場するようである。まあ、させないのだが。
席から立ちあがり、窓枠に足をかけて教室の外に飛び出す。一瞬、振り返ると5人組の一人と目が合う。確か、コリンヌと呼ばれていた女の子である。他の4人は気が付いていないようだが、勘の良い一人に見つかった。軽く右手を上げて合図を送る。
ヤバい、鬼ごっこだ。それも逃げるサイドが一人で鬼が5人という人数比逆転鬼ごっこ。これは、授業中のお昼寝間違いなしだ。
「いやだー」と頭を抱えながら走ってみるが、追ってが来る様子がない。くるりと回って確かめる。窓から飛び出してくる人影はない。不思議だ。バッチリ挨拶したと思ったのだが。もしくは、俺に用事がなかったのだ。どうだろう。
戻って確認したいところだが、これ自体がワナの可能性もある。教室にいてもやることないし、戻ったところで午後のパフォーマンスを下げるだけだ。帰る筋合いはない。
お昼休みは残り40分ほど。図書館とかに行こうかな。いや、逃げたのに鉢合わせとか笑えない。何より、図書室内で見つかったら悲惨だ。周りの人たちに迷惑がかかる。
「散歩しかないよな」
校舎のほうに戻るのは諦めて、中庭に遊びに行くことにした。普段は東門ばかり使っているため、中庭の方に行くのはレアである。
正門と校舎たちを繋ぐ長い道は石畳になっており、校門までの道の途中には噴水が設置されている。
道の両サイドは庭園になっていて、自由に観光ができるらしく子ども連れの人たちがいる。もちろん学生たちもおり、カップルで食事をする者、花壇の世話をする者。それぞれが自分たちの時間を謳歌している。
ここなら、邪魔されないだろう。円形の噴水を取り囲むように設置されているベンチに腰掛ける。やばい気持ちが良すぎる。体の力が抜けてきた。向こうの方にベンチで横になっている学生たちがいる。天才かな。
俺もマネをしてベンチに寝転ぶ。太陽に暖められたベンチはホカホカする。
「あー、幸せ」
ぽかぽかの太陽に時々吹き抜ける爽やかな風、漂う花々の甘い香り。犯罪である。目を閉じれば、その途端意識が吸われていく。
「誰か起こしてくれるといいなぁ」
(おーい。オト、起きて)
体が揺さぶられている。カツアゲかな。お金なんてないよ。
「オト、遅刻するよ」
瞼の向こう側が暗くなる。加えて、俺の名前まで聞こえる。アビゲイルか? 右の瞼を少しだけ上げて確認する。
「うわぁ、ブレア」
目を開けると、すぐそばにブレアの顔があった。
「さっきから声かけてるでしょ、驚かないでよ」
「なんかゴメン」
「それより時間だよ。教室に行かないと授業に遅れる」
「そんな時間か。助かったよ」
「そういえば、ブレアはどうしてこんなところにいたの?」
「ボク? お昼はだいたい噴水のベンチにいるよ」
噴水のベンチ。俺もお世話になった。すぐ傍にブレアもいたのか。気がつかなかったよ。偶然だろうがブレアのファインプレーである。ブレアがいなかったら、授業をブッチしているところだった。大変ありがたい。しかし、ブレアはベンチで何をしているのだろう。
「ふ~ん、ところでベンチで何をしてたの」
「寝てるけど」
「寝てる?」
「そう。お昼寝。気持ちいいでしょ、ここ」
「確かに眠たくなったよ。もしかして…………」
驚愕の昼寝かぶり。いたよ、ベンチで寝ている人。あれがブレアだったのだ。昼ご飯を食べて、ベンチで最高の時を過ごしていたのだ。
あれ、ブレアは手ブラだ。おかしい、教室で昼食をとっている様子はなかった。でも、学食に行ってたのであれば、俺よりも先に寝ていたことに説明がつかない。まさか、昼食べていないのか。確かめなければいけない。
「ブレア、お昼は何食べたの? お昼ってランチね」
「分かるよ。お昼ご飯はね、食べてないよ」
「やっぱり」
それは良くない。成長期の子どもがお昼ご飯を食べないのは、健康に悪影響を及ぼす。見過ごすわけにはいかない。
「どうして昼ご飯食べないの?」
「面倒くさくない? お昼用意するの。朝と夜は出てくるのに昼は、自分で決めるか作るかしないといけないんだよ」
「その気持ちは分かる」
考えれば、俺も昼食べていないからね。ここで食べなさいと言っても聞き入れられないだろう。なるほど、決めた。
「実はさ、来週から弁当持って来ようかなと考えていたんだよね。もしよかったら一緒に食べてもらえないかな」
「ボクと? それはいいけど、何も返せないよ」
「それはいいよ。あっ、でも期待しないでね。大したものは作れないから。ところで食べられないものある?」
「うん。ボクは基本何でも大丈夫」
「オッケー。それじゃあ来週からね」
というわけで、今週末は買い出しだ。一週間分の弁当。ブレアは食も細そうだし、量はいらないだろう。満足できるレベルの料理さえ提供できるかが問題だ。もしかして、めっちゃ忙しい? こうなれば楽しむしかない。




